昭和生まれの平成懐古話番外編 トラウマアニメシリーズその7『ポールのミラクル大作戦』
と、いうのもですね。ついうっかり、標題のこの番組がサンテレビで再放送しているのを発見してしまったんです。
絶望のあまり『いいのか?放映当時ですら阿鼻叫喚だったんだぞ』的なつぶやきをしましたところ反応してくださった方がおられまして。
そこから色々思い出すことがあったりしましたので文章としてまとめてみました。
この作品の本放送は1976(昭和51)年10月3日からということなので、資料を調べて初めて自分(昭和50年生まれ)が再放送組だったことを知ったんですが、その割にみんな見てましたなぁ。再放送なのにテレ東のゴールデンでやってたおかげでしょうか。ゴールデンでアニメの再放送とか、今はさすがにテレ東でもやらないことですが、今に通ずるルーツのようなものを感じますね。
また、本作は全50話なので約1年間かけて放映されていたことになりますが、これは当時としてはそれほど珍しいことではありませんでした。ただ、今回この全50話というのが実に大きな意味を持ちます。
不思議な世界の魔王ベルトサタンが己の魔力を取り戻して再び君臨するために主人公ポールのガールフレンドのニーナをさらうのですが、その事実をニーナの家族を初め街の人々が誰1人として信じてくれないという強烈な鬱展開が当時の子供の心を痛撃しました。
まぁ、リアルな思考とすれば当然なんですが、子供向けアニメでやることとしてはどうなんでしょうか。しかも荒唐無稽な設定が叩かれるような時代でもなかったというのに。
ほのぼのしたオープニングソングから地獄の鬱展開。しかも、オープニングの歌詞である程度示唆されているというのが、もういけません。「大人は誰も信じちゃくれない」という文言はこの手のお話の歌詞にありがちなんですが、先述のとおりニーナの両親を初めとして、全ての大人がこの歌詞そのまんまの行動をとりまして。
なにしろニーナの行方を現実世界で探している刑事さんに不思議な世界の話をしては「捜査の邪魔をするな!」と怒鳴り散らされる始末でして。
結構冒険部分は活劇としてもドラマとしてもよく出来ていて、ベルトサタンの『魔王』の名に恥じぬ悪逆ぶりと、それに怯えつつも自尊心を失わずポールやニーナのために比喩でなく命懸けで便宜を図ってくれたりする不思議な世界の住人達の生き様に胸を打たれたりもしたものですが。
そのメインのはずの部分よりも、ポールが酷い目にあうシーンばかり憶えているのはやはり子供心に人と人が分かり合えない辛さが一番深く刻まれてしまったからだと思います。
さて。以下お話する内容は、重要なネタバレを含みますのでこれから新規に視聴される方はお読みにならないようにお願いをいたします。
以下ネタバレゾーン
と。大仰な注意書きを終えたところで一番書きたかったことを書かせていただきますと。このお話、資料によれば本来は最終話にポールがニーナを救い出して大団円というのが当初の予定だったようですが(オープニングソングからもその辺は明らか)、なんと半分にも到達しない17話で救出されてしまうんですね。その後はポールとニーナがコンビでベルトサタンに立ち向かうという、どっちかと言うとタイムボカンシリーズっぽい路線に変化します。
ここから先は私の完全な邪推ですが、阿鼻叫喚した全国の子供達の声を親達がテレビ局やタツノコプロ等制作サイドに届けたがゆえの路線変更だったのではないかと思う次第です。
私の記憶でも確かに途中でニーナが助け出されて、以後コンビでベルトサタンと戦うという展開に憶えはありましたが、それは17話よりももっと後だと思っていました。それだけポールが周囲から糾弾され爪弾きにされる展開が辛かったということなのでしょう。
そんなに辛かったにも関わらず毎週欠かさず見ておりました。テレビ画面(当時はまだブラウン管)に向かって憤慨したり悲嘆したりする私を見かねた母親からは『そんなにまでして見なきゃいけないの?見なきゃいいんじゃないの?』と諭されたりもしましたが、どうしても見ることをやめられなかったのです。それどころか母親に対して「なんてヒドいことを言うんだ」と逆恨みに近い心情を抱いたものです。
そんな胸を抉られるようなドラマにこそ、人を引きつける魅力があるのだと今となっては分かるのですが。むしろ、自分が文章を書くにあたってはそのくらいのものを書けるようにならねば、とすら思うのですが。なかなかこの辺も思うようにはなりません。
以上ネタバレゾーン
以上、重大なネタバレを含む部分でした。最後に。あの頃のタツノコは結構な頻度で油断ならないトラウマアニメを送り出してくるので(ガッチャマンFとか)、今後視聴なさる方々もくれぐれもお気をつけ下さい。
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