恋愛の才能
昔々のその昔。1992〜1993年に製作されたオリジナルビデオアニメ作品「天地無用!魎皇鬼」の第1期エンディングテーマが同タイトルだったりいたします。
ですので、同作品に思い入れのある私は大変懐かしくなりまして。
リハビリ代わりにちょこっと書かせていただきます。
という書き出しでしたら普通は「天地無用!魎皇鬼」という作品の思い出についての文章になるんでしょうが。今回は歌についてのお話です。
『恋愛の才能』という歌は作詞枯堂夏子、作曲松宮恭子、編曲藤原いくろう、歌横山智佐という豪華ラインナップにより構成されております。私と同世代のオタ諸氏にはまぁまずお馴染みであろうという名前がずらり、でございます。
以下にその歌詞の一部を引用させていただきます。
「好きだよ」と言わないで つまらない台詞よ
知らんぷり できるのが
恋愛の才能
ねえ また いまも 目が合ったよ
ね
目をそらす 瞬間が AH 好きよ
わかってるの キミの気持ち
わたしだって 同じだけど
「恋人」と呼ばれたとき
もう それは 恋じゃないのよ
だから 確かめたりしないで
どうぞ このままで
(CD「漫謡集〜枯堂夏子作詞集〜抹茶」パイオニアLDC発売 より引用)
いやぁ。もう、ね。ええ。これはもう、ご存じない方にはどうかぜひ実際に聞いていただきたい。
枯堂さんの持論に「恋愛とは関係ではなく状態のことだ」というものがあるそうですが、まさにこの歌詞はその持論をとことん突き詰め煮詰めそのエッセンスを抽出した結晶だと思います。
人間、そんな不安定に長く耐えられるものではありません。先へ先へと無我夢中で突っ走るのが常です。相手を大切に思えば、愛おしく感ずれば、失いたくないと求めれば自然とそうなるものです。
脆く、危うく、壊れやすく、儚く。だからこそ恋愛は追わずにいられない永遠の夢なのだと思います。
「這いよれ!ニャル子さん」シリーズにおいてこのタイトルが使われた理由がどの辺にあるのか明確には不明ですが、珠緒のお当番回にふさわしいチョイスだったのではないかと思う次第です。
・「真尋と珠緒という2人は“関係”ではなく“状態”という表現で括れるか否か」については大議論に発展する余地があると思いますが、私は原作未読者なのでご容赦願います。「もしニャル子一党が現れなければあのふたりは進展するか?」という問いには「いやぁ、あのまま結局言い出せず、大人になってから振り返ってその淡さと甘酸っぱさとに身悶えるんじゃないかな」とだけ。
・「漫謡集~枯堂夏子作詞集~抹茶」に収録されている歌ですと、『目は口程の恋じゃない』も切なくていいです。本当の恋にはすれ違いがつきものですが、この歌を聴いているともどかしさに身を切られる想いがします。『恋愛の時空』は壊れてしまったところからもう一度再会し、恋をリスタートさせる歌ですが、これがまた個人的なシチュエーションと色々合致するところがあって一段と思い出深かったりします。
・リハビリばっかりしてますが、リハビリしてもしても結局色々あって本命を書く時間が確保出来ないまま来ております。というか、平成25年度になってからはリハビリ時間すらもあまり確保出来てませんが。そんなわけで今後もしばらくリハビリに勤しむ日々になると思います。このまま小説を書けずに時間だけが過ぎていくんでしょうか…。それだけは避けたいところですが。
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