声優ラジオの時間ゴールデン『【俗・】さよなら絶望放送とは何か?』感想(前半)
佐藤太×田原弘毅 アニラジ屋の矜持
・このタイトルを見て携帯版を連想したリスナーの挙手を求めます。いないとは言わせません!
・この対談は過去のトレーディングDJCDと内容が重複する部分がありましたので感想も重複するかも知れませんが、もう何年も前のことなのでご容赦ください。…って、今確認したらトレーディングDJCDの感想ってアップしてなかったですね。もう今更ですからやりませんけど。
・「なったらいいなあ」が全て実現した構成T。そりゃ奥様から「あの4年間あなたはおかしかった」って言われますわな。
・それに対して普通に仕事として受けただけな佐藤D。この対比がことごとくプラスに働きつづけていた4年間でしたねぇ。
・「送られてきたメールを今すぐに使わない」これはライブ感を重視する傾向が強いラジオにおいては珍しいやり方だと思います。おかげで何度でも聴けるSZBH仕様に。
・番組終了までに届いた投稿数17万通以上に対して「20万通に行かなかったのがちょっと残念」と述べる構成T。4年でプラス3万通あったら毛根以外にも絶望的なダメージが入っていたのでは…?
・佐藤D、過去に却下された手法を絶望放送にぶち込み、批判にも負けず見事SZBH仕様の一部として昇華させる好プレー。
・生放送アレルギーがあるラジオディレクターって。生魚を扱っていない寿司屋みたいですね。
・今でこそニコ生とかで普通に生放送やってますけど、この頃はWEBラジオで生放送?なんで?どうやって?みたいな時代でした。
・絶望放送の構成台本、3日がかりで書いていたとは…。まぁ、それだけの内容ではありましたね。
・割に合わないことを敢えてやるというのは成功したコンテンツにおいてはしばしば当てはまる現象でして。そもそもが原作であるところの「さよなら絶望先生」自体が明らかに割に合わない労力のかけ方をして作品の魅力を広げていましたね。
・綿密かつ長時間にわたる濃厚な打ち合わせあってこその絶望放送。しかし、ここで初めて明かされたように思いますが、やっぱりアジアさん(諸事情あって拙ブログでは神谷さんのことを敢えてこう表記しております)が台本作成に絡んでいたんですね。テイストと言いますかフレーバーと言いますか、台本に構成T以外の要素を感じる部分が確かにあったんですよね。具体的に「ここ」という指摘をしようと思えばCD全部聞き直さないといけないでしょうけど。
・「全部の引き出しを使ってネタを読む」ぴろし17歳とかいう、この番組さえなければ世に出なかったであろう謎のキャラクター。
・新谷さんを評して「普通の天才」とは実に正鵠を射ていますな。ただ、「無我の境地」はともかく「禅僧」はどうだろうか。
・避けて通れない東日本大震災の話題。そこでも「普通」だった新谷さん。さすがです。
・実際、非日常的な出来事に打ちのめされることってしばしばあるわけです。その時、新谷さんが「我々の帰るべき普通」として君臨していてくれることのありがたさ。絶望放送が終わって4年、いよいよ身にしみます。
・新谷さんの「黙るスキル」。会話に加わらない、でも確かにそこにいる。杉田さんゲスト回で如実に発揮されましたよね。兄とその友人が楽しく遊ぶ姿を見守る妹のようでした…というとちょっと美化しすぎですかね。でも「今回はほっといてもらっていいですか」はなかなか言えないですよ。
・新谷さんをパーソナリティにした決定打が「かってに改蔵のファン」だったのは高橋Pの好判断でした。新谷さんは『ファン代表』的なポジションにも座ることができる貴重な存在になっていたと思っています。
・今思えば絶望放送のフォーマットは第1回で既に完成していたんですねぇ…。バリエーションは豊富でしたけど、あくまで原点は不動でしたからね。
・「毎回が奇跡」というのは感想ブログを書いていた人間には痛切に響くところがございます。毎回苦労したのは量の多さのみで、うわ〜今回は面白いところがないぞ的な苦労はついぞございませんでした。
・ゲストの方々もまぁ、見事というかなんというか…。人間誰しも生きていれば絶望的体験の持ちネタはあるわけでして。それをプロのスキルでご披露なさるわけですから面白くならないわけはないんですが、それでも一種独特の「絶望放送だからこのくらいハッチャケてもいいよね?」オーラがありました。あと、ゲスト回で個人的に一番好きだったのはさおりん、一番ハマったのは杉田さん、一番笑ったのは親方でした。
・常連リスナーを「絶望放送のキャラ」として立たせたのは見事でした。リスナーのファンがつくようにもなったりもしましたし。ここで個人のお名前を挙げるのは控えますが、別のラジオ等で絶望放送当時のテイストで投稿なさっているのを見聞きしますと嬉しくなったりいたします。ええ。ハイ。
・「共犯関係」とは実に言い得て妙。基本、私は感想書きばかりしていて本体には貢献できなかったんですが、この表現はよくわかるつもりです。
・副委員長会議の実態は『あいつらあんな面白いことしやがって。だったらこっちはこうしてやる』という思いを腹に隠して馬鹿話に興じるおっさん達の集いだった模様。
・インタビュアーさんの「違う場所にいる熱いファン達による究極の素人コラボ」は実に言い得て妙。我々の『こういうことをやったら面白いだろうなぁ』がどんどん形になっていく夢のような時間が確実にそこにはありました。
・復活はして欲しいですけど、原作やアニメがあったから面白かった部分というのは確かにあるでしょうし、「復活は四期ありき」「もう1回アニメになる以外ない」というのは分かります。時代を超えた面白さがある一方で天地人揃ってこその面白さというのも存在するわけですし。
・文字屋かつ聴くだけリスナーだった私としては構成Tの「ラジオは言葉だ!」も佐藤Dの「ラジオは音だ!」もどっちも分かるのですが、この二人のスタンスの違い、せめぎ合いが番組に活力を与えていたのだとも思います。どっちかに特化していたら最後までついてこられなかったリスナーもいたかも知れませんし。
・原作最終回のテイストをラジオに生かすのは…、いや、それこそ久米田先生が構成作家でもない限りは不可能でしょう。「アニラジとしては先に終わって正解だった」という言葉は構成作家としての白旗かも知れません。
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