台湾旅行記2018(2日目)
今回ここにいるのは他でもない。念願叶って金門島へと行けることになったためだ。利用するのは華信(マンダリン)航空という中華航空の子会社。
便利なものでチケットは日本にいる間にネット予約で簡単に抑えることができた。新婚旅行の時、まだ新幹線が開通していなかったので台北から台南に行くのに飛行機を使ったのだが、台湾の国内線を予約するのにどこでどうしたらいいかわからず大変苦労したものだ。
それを思うと隔世の感がある。
ただ。機材が小型機なので実にどうにも生々しい。窓からチラリと下を覗くと、久々にゾッとした。うっかり先日遊園地で窓のない遊具にて上空高くまで上げられるなどという体験をしてしまったためか。あの生々しい感覚が蘇ってきてどうにも座りが悪かった。
それでも蒼海に浮かぶ澎湖島などを見ていると次第に心が落ち着いていく。着陸する頃には心のざわつきもすっかりおさまってくれた。
金門島初上陸。台湾は現在でも正式には中華民国といい、その実効支配する領土は台湾省と福建省とに分けられる。ここ金門島は福建省に属するし福建省政府も置かれている(ただし現在省としての機能は凍結中)。自動車のナンバープレートにも福建省と書かれている。
中華人民共和国の廈門市や泉州市とは2~3キロしか離れておらず、国共内戦台湾ラウンドにおいては最前線となった島でもある。
今回はその攻防戦の跡地を中心に巡る旅となる。
バスの本数や行きたい場所の問題を検討して出た結論としてはタクシーをチャーターするしかないのだがその交渉をタクシーとまともにできるだけの語学力がない。
観光案内所に行って相談してみたものの、直接交渉してくれとのこと。
仕方なく当たって砕けろとばかり作成したメモを見せながらたどたどしくお願いしてみたところ「3小時(3時間)1200元」との答えが返ってきた。
勿論異論のあろうはずもなく。まずは八二三戦史館へと向かってもらったのだが、タクシーの運転手さんは我々がそういうものに興味関心を持つと知った為か、その前に途上にある成功坑道を案内してくれた。以前巡ったことのある足尾銅山や生野銀山よりも余程狭苦しい洞窟陣地の中を慎重に歩く。
実際に使用されたものと思しき大砲や機関銃、戦車なども兵士の銅像付きで展示されている。単なる過去の遺物としてではなく、ここに配備された一兵士の気分で銃眼から外を眺めると、長閑なはずの砂浜も敵の上陸地点として映り、グッと身の引き締まる思いがした。
外に出ると眼下に広がるのは長閑な砂浜と穏やかな海。勿論そこには身を切るような緊張感など欠片もない。
戦時中の空気がそのままパッケージ保存されたかのような光景に触れると、今現在車窓から見えている観光地化した姿の方に違和感を覚えてしまう。
湖畔にたたずむ平和そのもののリゾートホテルの横を抜けて行くと八二三戦史館に到着する。
しかし。あのホテルこそは戦いがすでに過去のものとなったことを何よりも雄弁に示しているだろう。おそらく、敵として戦っていた中華人民共和国の人々も宿泊するはずだ。それが平和というものなのだろう。
閑話休題。
さて。そもそもこの「八二三」とは何かとというところからお話しさせていただきたい。正確には八二三砲戦といい、1958年8月23日、中国人民解放軍がここ金門島及び隣の小金門島に対して行った砲撃を端緒とする一連の戦いのことを指す。
全島で総計47万発の砲弾が撃ち込まれたものの台湾軍の粘り強い反撃により金門島は守り抜かれた。
八二三砲戦に付随する戦いとして九二海戦(もしくは料羅湾海戦)という海上戦闘があるのだが、この時旧大日本帝國海軍所属の駆逐艦雪風改め中華民国海軍所属駆逐艦丹陽が活躍している。
日本の元号で言えば昭和33年。東京タワーが竣工した年であり、もっと言えばプロ野球では長嶋茂雄が、鉄道界ではブルートレインあさかぜ号がデビューするなど太平洋戦争の傷跡もようやく癒えて新時代が幕を開けようとしていた頃。この島では全てが紅蓮と化しながらも戦っていたのである。
その事実いうものをどう受け止めるべきなのか。
その答えの一端なりとも見つかるだろうかと思い、また先述の丹陽の足跡に少しでも触れられればという気持ちから今回訪れてみたのだが。
まず。九二海戦について触れている展示こそあったものの残念ながら丹陽に関する展示は一切なかった。この辺りは陸と海のセクショナリズムが関係しているのかいないのか。
その分、という表現が正しいのかはわからないが、他の展示は充実していた。定番の年表や現場写真から始まって、宣伝のために大陸に投下されたビラや物品というちょっとニヤリとできるものから、島のどの地区に何発の砲弾が撃ち込まれたかを示した地図というゾッとするものまで幅広く揃っている。
全てを見ての感想としては、たとえ泳いで渡れそうな距離しか離れていなかったとしても、陸続きでないことがこの島の命運を分けたと感じた。海というのは実に偉大だ。
続いてテキ山坑道という洞窟陣地へと行ってもらう。ここは八二三砲戦のあとに掘られた隠し水路で、小型の舟艇がそのまま海へと出撃できるような構造になっているとのこと。能天気で大変申し訳ないが画像を一目見たときからその秘密基地感に惹かれてしまい、どうにも行ってみたくてたまらなかったのである。
途中、免税店や高粱酒の工場などの前を通るたび立ち寄るかどうかを確認されるが、今回は時間的にも体力的にも余裕が非常に限られた旅なのでパスせざるを得ない。次の機会があれば度数58という匂いを嗅ぐだけで酔っ払ってしまいそうな高粱酒にも触れてみたいとは思う。
車は30分ほど走っただろうか。島を一気に横断して目指す坑道に到着した。
駐車場からちょっと歩くだけでも汗が噴き出すので、売店で水分補給をしてから中へと入る。今度はタクシーの運転手さんも一緒についてきた。
固い岩盤の下り坂をゆっくり進んでいくとそこには確かに『秘密基地』があった。わずかな照明に照らされた水路の脇にある側道を慎重に歩く。
「すごい」「すごいな」しか言葉が出ない。なにをどう言っても上手く表現できないような気がする。
幸か不幸かこの坑道が実戦で使われたことはないようだが、これが作られる必要性はこれまでに十分すぎるほど見てきたので大げさだか無用の長物だとかは微塵も思わない。
地上に戻ってくると、タイムスリップでもしたかのような錯覚に陥る。芝生の広場には高射砲や上陸用舟艇等が展示されているが、露天展示の割には保存状態は悪くなくこの島を守った一員として大事にされていることが伝わってきた。
さて。2カ所まわってみて台北へ帰る飛行機の時間までまだまだ時間はあるものの昼ごはんがまだということもあって、とりあえずフェリー乗り場である水頭碼頭で降ろしてもらう。
ここからは隣の小金門島へと向かうフェリーと、「小三通」政策によって就航した中国大陸の廈門行きフェリーが発着している。我々はこのあと小金門島に渡るのでまず小さい方の乗り場へ向かい、時刻表を確認してから併設された食堂で遅めの昼食をとることにした。
ここ金門島は石垣島と同じく離島ながら牛肉の産地。お土産売り場にもビーフジャーキーがずらりと並ぶほど。
というわけで私は牛肉定食に台湾ソーセージ追加、家人はさっぱりとしたものを求めて牡蠣ラーメンを注文。
金門牛はいわゆる和牛的な箸で切れる脂身な美味さではなく赤身のしっかりした美味さだった。途中から薬味を足すなどして結構ボリューミーな分量を飽きずに完食できた。
さて。食事と休憩が済んだところでいざ小金門島へ。ひとり60元の乗船料を払って乗り込む。
20分ほどの短い船旅だが、見るべきものは多い。進行方向右手に見えるのが中国大陸。本当に近い。何しろ金門島と廈門市は最短で2キロ程度しか離れていない。この水道は日本の明石海峡よりもなお1キロ以上も狭い。
日本で言えば石垣島と竹富島の関係に近いのだろうか。
もちろんここにも金門島のような洞窟陣地や戦史館もあるのだが、フェリー乗り場から一番近い九宮坑道だけを覗いてトンボ帰りする。レンタサイクルで島一周とか出来ればよかったのだが、もはやそんな体力もない。
坑道の一部がビジターセンターとして活用されているところなどは実にいい使われ方だと思った。
乗り場に戻って帰りのフェリーを待っている間、タクシーをチャーターして島を一周しないかとしつこく誘ってくる老婆がいたので暑さを我慢して外で待つことにした。にじみ出る汗を海風が荒っぽく乾かしていく。
待つというほどのこともなく、船は入港してきた。スクーターが元気良く飛び出していき、そのあとから人波がどっと押し寄せる。
その全てが帰りの船中でも景色を堪能するつもりだったが疲れから寝こけてしまい、気付くともう入港寸前だった。
金門島に再上陸して時計を見ると残り時間が実に微妙。当初の予定では金門島の中心街金城鎮に立ち寄って買い物の一つでもと思っていたのだが、これだと立ち寄るだけになりかねない。ならばもう立ち寄らず空港に戻ろうということになった。
港からはバスでも空港には戻れるのだが、面倒になってタクシーを拾う。道に広がる大陸からの観光客に行く手を阻まれながらも、それ以外は渋滞もなく快適なドライブで無事空港着。
国内線でも飛行機に乗るのだからと早めに戻ってきたわけだが、チェックイン時に見事1時間のディレイを告げられる。
ならばと土産物売り場でのんびりお買い物。貢糖というおこしのような菓子がある。これは台北でも買えるのだが、ここが本場なので1瓶買っておく。昼食で食べた肉の味が気に入ったのでビーフジャーキーも1袋購入。
そして。ここではこの島に撃ち込まれた砲弾を材料に作られた包丁も売っていた。「毛沢東からの贈り物」とも称されるこの砲弾包丁は材料が材料だけに切れ味抜群と聞いており、私の好事家魂も騒ぐのだが日本には銃刀法というものがあり刃渡りの長いものは帰国時に没収される。
一番小さい「フルーツナイフ」と書かれていたものでも悠々アウトな長さであり、断腸の思いで諦めることとなる。
あとは地元紙の金門日報を観光案内所で無料配布していたのでもらって読んでみる。記事も広告も地元密着ばかりかと思えば米中(こちらの表記では美中)貿易戦争の記事が出ていたりもする。地理的に国際情勢に敏感にならざるを得ないのは国境の島ならではだろう。
そんな感じで楽しく時間は過ぎていき、ちょっと早めくらいのタイミングで保安検査場を通過する。何しろ小さな空港なので立て込むと厄介そうだったので。
搭乗口付近でベンチの空きを見つけ夕飯の算段などをしていると、華信航空から遅延のお詫びとしてお弁当とジュースが配布された。
良くも悪くもこれで夕飯については決まってしまった。
他の乗客たちはその場で早速封を切り食べ始めていたが、我々はどうにも落ち着かないのでホテルに戻ってから食べることにした。
遅延以外はトラブルもなく、無事飛行機は台北松山空港に戻ってきた。タクシー乗り場も空いていたので空腹を抱えて暑い中列に並ぶということもせずに済んだ。
ホテルの部屋で開封した弁当はまだほのかに温かかった。
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