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漫画、アニメその他諸々の感想がメインのブログです。現在は「ここだけの話」シリーズについての感想を中心に運営しております。毎日15時の更新は終了し、現在は再び不定期更新に戻っております。
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 実は私この日東京都内におりまして。
 某神社の秋季例大祭にお呼ばれしていたもので、午前中はそちらに出席し、午後からは神保町、アキバと懐かしのコースをうろついてきました。

 で。その時、その神社のお土産コーナーに↓を見つけ。

太郎ちゃんまんじゅう

 思わず買ってしまってその2時間後に

オレ達の太郎

 をアキバで見る事になろうとは。

 この日の動きは大変長くなるので、今回はおおざっぱに書きますが、神保町で「いもや」の天ぷら定食を食べ、アキバで山本耳かき店で耳かきをしてもらい、道はさんで反対側のプラーナリフレでは眼精疲労マッサージをしてもらったあげくに終わった後はヲタトークを堪能し、最後にはメロンブックスとK−BOOKSに寄って帰ってきました。

 言うまでもなく大変充実しておりました。機会があればまた詳細な内容も書きたいんですが、とりあえず今回はこんな所で。

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 日程が確定しましたのでお知らせさせていただきます。

 7月26日出発で台湾へ行ってきます。27、28と滞在して29日に帰国します。
 残念ながら久米田先生のサイン会とはタイミングが合いませんでしたが、事前に告知のポスター等あれば画像を確保してきたいと思います。猫喫茶とかメイドカフェとか古本屋街とかその他諸々のオタ向けの場所にも立ち寄る予定ですので、その辺でも面白いものが入手できればと思います。

 そんなわけでして、26〜29までは留守にしますので、更新が止まります。あらかじめご了承ください。

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 前日が強行軍だったので、この日は朝遅め。なにしろ目的地が2カ所だけで、しかも1カ所は何度も行ったことがあるところだったので、比較的気楽なのである。

 今回泊まったドーミーインは朝食も結構うまいのだが、あえて朝食はとらず、でも朝風呂には入り、大変気分よく宿を出発。この時期、広島は気候的には一番いい時期かも知れない。日差しはそこそこ強いのに、風がさわやかで心地よい。「10年前の北京に似てる」とは、留学経験者の妻の言。

 広島駅までは路面電車で。広島駅からは呉線で。計1時間ほどして、呉駅に到着。

 呉駅前は何だか来るたびに光景がマイナーチェンジされている気がするのだが。ちなみに今回は「大和温泉物語」という施設が新しく加わっていた。時間があったら入ってみようと言っていたのだが、朝が若干予定より遅かったため時間的には厳しくなっている。
 そんな話をしながら歩くことしばし。視界右手に潜水艦が見えてきた。



 でかい。

 というか、幻覚でも見ているんじゃないかと言う非現実感。陸揚げされた潜水艦の有無を言わせぬ迫力。
 アレが、今回の主目的地「てつのくじら館」のメイン展示物潜水艦あきしおである。

 見とれていても仕方ないのでとっとと移動する。海上自衛隊史料館ということで入場は無料。混雑時は整理券を配布との事だが、我々はすんなり入れた。

 中の展示はまず海上自衛隊の主任務であった掃海の歴史。敗戦後、国内の主要航路にどれだけの機雷が敷設されており、それを取り除く作業(専門用語で啓開というらしい)がどれだけの難行苦行であったかという事がよく分かるようになっていた。こういう広報は大切だ。先日の事件の失点を補えるところまでは行かないかも知れないが、こういうアピールはちゃんと続けるべきだろう。

 その先に進むと、掃海関連の実物や模型が展示されていた。機雷の模型から始まって、掃海に使用する器具各種。ペルシャ湾で機雷を除去してひしゃげたフロートは大変迫力があった。あと、サメのイラストが描かれたフロートには思わず笑ってしまった。なにしろ目と口だけで十分なはずなのに鼻とシワまで描いてしまうあたり、どうしようもなく日本人気質。



 続いては潜水艦コーナー。展示は実際に使っていたロッカーやら三段寝台の蚕棚やら食堂の机椅子やらトイレやらシャワーやら潜望鏡やら。昼夜の感覚を保つための赤灯も実体験できた。



 あとは元自衛官の方が個人収集していた世界各国の潜水艦乗りの資格章が展示されていた。個人収集のくせに大変充実しているのは国民性ですかやっぱり。というか、イランを初めイスラム諸国や共産圏の潜水艦乗りの資格章なんてどうやって入手したんだか。

 その先へ進むと、いよいよ潜水艦の内部見学。中が狭いので進むのが大変らしく、行列ができており、しかも遅々として進まない。
 待っている間に期待感が高まり、中に入ってがっかりという最悪のパターンを危惧したが、取り越し苦労だった。
 収納の合理性を究極まで高めたものがそこにはあった。カーテンしかないトイレとか2時間もいたら気がおかしくなりそうに狭い庶務室とか絶妙な高さの通路とか。一見豪華な士官食堂も有事には救護室に早変わりするとか、とにかくスペースの有効利用がありとあらゆる面で図られていて、水に潜るという事、その中で生きていくという事の凄まじさの一端を垣間見た気がした。

 最奥の司令室で潜望鏡から実際の外の光景をのぞかせてもらって見学コース終了。わずか10分か15分程度だったのに、日の光が嬉しかった。もともとが重度の海軍オタで潜水艦乗りにも憧れた事があったが、どうにも私には向いてないようだ。

 また、出たところにあった海自情報ステーションには戦時中実際に使われていた日米両方の双眼鏡が置いてあり、呉港の様子を眺められるようになっていた。物凄い贅沢な事をやっているのだが、驚喜したのは私一人。


 
 展示見学が終わると、お楽しみのお土産購入タイム。
 昨日岩国でしこたま買い込んだのだが、ここはここでまたオリジナルの土産を置いており、目の色が変わった。
 まず、実際自衛隊に納入されていると言うサバイバル弁当を二種類とも購入。また、我が家ではおなじみの海軍コーヒーも確保。また、地元呉の和菓子屋謹製の「鉄のクジラがお出迎え」という和菓子も買ってしまう。こうやって振り返ってみると食い物ばっかり。

 ほくほく顔で外に出て、今度は大和ミュージアムへ。

 中に入る前に、入り口前の露店で休憩。大和むすびという、大和最後の日の戦闘糧食を再現したおむすびを売っていたので、これを購入して食べる。
 ゴマをまぶした梅干しのおにぎり2つに沢庵が2切れ。昭和20年4月7日の日本の食料事情からすると夢のようなご馳走だが、グラマンやらロッキードやらの飛行機に乗って攻撃してくるほうはステーキとアイスクリームがふんだんに食えていた事を考えると目頭が熱くなる。
 でも、人生最後の食事にどっちを食うか聞かれたら私は間違いなくおむすびを選ぶので、これはこれでいいのかも知れないと思ったり。

 腹を満たして、いざ中へ。連休最終日という事もあって、なかなかの込み具合。人の少ない特別展から見て回る。漁港の呉浦から軍港呉への変遷の様子が豊富な資料をもとに展示してあった。

 あとは前にも来ている常設展なので帰りの列車の時間を考えて駆け足で、と思ったらこれが甘かった。微妙に展示替えをしており、ついついじっくり見てしまった。やはり入場者数も多いので力が入っているのだろうか。これで中に大和の士官食堂を再現したレストランでもできればもっといいのだが。

 それでも飛ばせるところは極力飛ばし、予定していた時間内に見終わった。残り時間で売店を見て回るが、もうカバンにも財布にもそんなに余裕がなかった事もあり、ラムネ2本だけ購入して外で飲む。このラムネが昔に忠実と言うかなんというか、開栓したら「ぷしゅー」と音を立てて勢いよく吹き出した。
 飲みながら、ついつい「昔間宮というフネでは中で羊羹とラムネを製造できて」などの濃い話をしてしまう。

 飲み終えると呉駅へ戻り、再び広島駅に出る。駅ビルのレストランで遅い昼食をとるため新幹線の時間を1時間後にずらした。この日は連休最終日なのでなかなか再予約に苦労したが、なんとかなった。
 苦労の甲斐あって昼食はうまかった。
 広島から新幹線で姫路まで出て、そこから新快速で京都まで。直通で京都までの指定席は最初っから取れなかったのでこんな乗り換え方法になったのだが「姫路からなら始発だし座って帰れるからいいだろ」ということで、むしろ名案に思われた。
 しかし、思わぬ落とし穴があった。
 姫路菓子博なるイベントが開かれており、姫路駅の新快速を待つ人の列もなかなかに長かった。当初予定していた列車では座れなかったので、一本遅らせて座って京都まで。
 時間的に間に合ったので出発時同様京都タワー温泉へ行き、旅の垢と疲れを落とす。これのおかげで足のむくみがだいぶ楽になったし、タクシーを使わずに帰れた。

 毎度の強行軍だったが、帰りの道中に「来年はどうやって行こうか」なんていう話で盛り上がれる程楽しかった。富士/はやぶさが廃止されると今回のルートが使えなくなるので、目下それだけが悩みの種となっている。

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 0:37発の寝台特急富士に乗るべく、日付変更するころに京都駅に戻ってきた我々は、せっかくなので0番ホームへ急行きたぐにを見物に行く事にした。

 急行きたぐに、大阪発新潟行き。これは私がまだ乗った事がない夜行列車で、その上走る時間帯が遅いので(京都駅発は0:02と、奈良線の最終よりもあと)実際に走っているところを見るのも今回が初めて。期待に弾むあまり浮かれている私に妻っからツッコミが入ったが、あまり効き目がなかった。

 往年の名車583系を使用したこのきたぐには自由席、グリーン席、B寝台、A寝台と各種そろっており、私のような者には見ているだけでも面白い。自由席はリクライニングしないボックス席で、この歳になってしまうと、夜行であれに乗るのはかなりきつい。グリーン車はリクライニングシートなのでまだマシと思われるが、やはり座席夜行は乗るのがためらわれる。B寝台は今時珍しい三段寝台の蚕棚で、上段と中段は気をつけないと起き上がる時に頭をぶつけるほど狭い。A寝台はボックスシートのワンボックス1つ分がまるまる寝台になっており(実際寝台を解体するとボックスシートにできる)、高さも十分ある。

 と、このように実際どんなものかは知っているのだが、乗った事はない。いつか乗ってやろういつか乗ってやろうと呪文のように唱え続けているのだが、いかんせん機会に恵まれずここまで来てしまった。今回こうして動いているところを実際に見た事でかなり意欲は高まったので、今年こそ何とかしたいと決意を新たにした。

 見送って、今度は我々が乗る富士のやってくる6番ホームに移動。行ってみて驚いたのは、人の多さ。もちろんラッシュ時とは比べるべくもないが、真夜中なのに10人以上はいた。しかも、カメラバックを持っている人の率がやたらに高い。「もしかして、同じ目的の人が結構いるのか?」という疑問は後ほど解消される事になる。

 待合室で待つ事30分弱。定刻どおり列車はやってきた。名車EF66にかかる富士/はやぶさのヘッドマークが少年時代の憧憬を呼び覚ます。

 乗り込むと車内は大変静かで歩くのにも大変気を使う。当然である。なにしろもう既に車内放送もない時間帯。確保した寝台を確認し、とっとと横になる。岩国到着は6時前で明日は早い。しかも、かなりの疲労が見込まれる。体力を温存しておかなければ。

 しかし、ネタは尽きないと言うかなんというか。大阪駅で足止めを食ってしまった。

 車内放送はなく、ホームで流れているアナウンスで事態を理解するしかなかったのだが、どうやらこの先の元町駅付近で火災があり、列車足止め中という事らしい。この機を逃さずホームに出て列車撮影に勤しむツワモノが多数出現したが、私はこのあとの事を考えて自重。

 案の定と言うか『扉を閉めさせていただきます』というアナウンスがあって、慌てて駆け戻る姿が目撃された。

 元町駅付近の火災は消火されたらしいのだが、なかなか出発しない。15分が経ち20分が過ぎたところで発車を待たず横になる。目が覚めたのは5時半頃。車窓に『三原の何々』という看板が散見されたので大体のあたりがついたが、予定なら広島を過ぎていなければいけない時間でまだ三原市内だとすると、どう計算しても1時間近い遅れだ。

 6時を過ぎてから行われた車内放送でも60分の遅れと言っていた。予定の狂いは大きい。九州方面の乗客に関しては新幹線への振替乗車が云々とも言っていたが、こちらはその代替措置すらしてもらってはありがた迷惑になってしまう。もしこの先広島で新幹線に振り替えられても困る。何しろ山陽本線岩国駅と山陽新幹線新岩国駅はかなり離れている。この距離は目的地へ出るのに大きな障害になってしまう。

 腹をくくって洗面等を済ませ、あとはごろっと寝た状態で岩国付近まで過ごす事にした。時間の遅れに関しては回復させる考えはないようであるし、たとえ予定より60分遅れても鉄道で岩国入りする場合はこの列車が最速である事には変わりない。となれば少しでも体力を温存しておいたほうが良い。

 広島を過ぎてから起きだし、身支度を整えた。妻も起きだしたので今日のこのあとの動きなど確認し合う。あとで気がついたのだが、山陽本線名物の朝の瀬戸内を車窓から楽しむ貴重な機会を逃してしまった。

 そんなこんなあったが、列車は60分遅れで無事に岩国駅へと到着。
 寝台特急は扉が1両1カ所なので人数が多いと乗降には時間がかかる。この岩国駅でもぞろぞろと降りてくる人数があまりにも多かったため、60分だった遅れが若干拡大したようだった。そのあまりの多さに発車するはやぶさ・富士を見送る余裕もなく、我々は改札へと急いだ。
 予定より1時間遅れだったので駅のKIOSKも開いている。地元紙の防長新聞も買えそうだったが、とにかく遅れをとりもどさなければという思いからスルーしてタクシー乗り場へ。

 ピストン輸送の基地直通バスは混雑する。こういう時はタクシーに限る。乗り場には行列もなく、すんなり乗れた。「アメリカ海兵隊岩国基地へ」というと運転手さんは軽く笑ってから「渋滞してますからちょっと回り道しますよ」と言ってから車を出した。

 ロータリーから一本向こうの道を回ってから、基地へ向かう2車線のうち1車線が営業車両専用になっており、多種多様なナンバーの車によって作られた長い列を横目に我々はスムーズに進んだ。

 このまま正門までいければ良かったのだが、それはできない取り決めになっているとの事で、基地横の指定場所でおろしてもらう。駅を出てわずか10分ほどで到着。ここから正門までも10分ほど。結局7時半の開門より前には正門に着いてしまった。

 開門してからも今度は中で荷物検査があり、すんなりは入れなかった。この際事前に「武器、麻薬などは持ち込めませんので」という注意があり、そこかしこから笑いが起きる。ジョーク扱いなだけ平和だと思う。

 さて。検問通過のあとはひたすら滑走路を目指して歩く歩く。航空基地が広いという事は軍オタなので知識としては知っていたが、今回実際に歩いてみてその大きさをようやく実感できた。

 正門から宿舎横を抜けてSakura Theaterの前をとおり、航空機の展示場へ出る。そこから航空ショーの観覧広場まで延々と延々と歩く。見えているのに全然近づいてくる気配がない。着かない。途中、売店で公式ガイドブックを購入した他は脇目もふらず歩く。そこかしこから肉の焼ける良い匂いがしてきて大変に惹かれたが、せっかくいい位置につけているので、そのまま突き進んだ。
 その甲斐あって早い段階で観覧広場に到着。

 列もまだそんなに長くなっていなかったので、ちょっと待っただけで中へ入れた。料金は一人500円で、払うと手にスタンプを押してくれる。これを見せれば再入場OKらしい。

 滑走路に沿ってひな壇が5段ほど組んであるのだが、端っこまでいくと出入りが大変になってしまうのでなるべく近いところに席、しかも最上段という好位置を確保。しかしこれが失敗だった。

 妻が買い出しに行っている間に非常に大きな荷物を大量に抱えた老人一歩手前くらいの2人組がやってきて我々の両脇にあった一人分あるかないかのスペースに入り込んできた。「あんたらの荷物だと2人分以上開いているところに座らないとダメだろ」と言ってやりたくなったが、まぁトラブルは避けようと黙っていた。こんなことになるんだったら荷物を足下に置かずに両脇に置いておけば良かった、と思ったが後の祭り。

 案の定ばかでかいカメラをガンガン振り回し、しかも安定性が悪い最上段の席で立ったり座ったりを繰り返すので、こちらはおっかなくて仕方がない。妻にメールしてまだ今だったら間に合うから場所変えようかと言う相談しようとしたが、妻は妻でメールに気がつかなかったのでそのまま動けず。

 開始予定時間になったころ妻が戻ってきたが、もちろん相談などできずそのままの位置に座り続けるしかない。買って来てくれたハンバーガーとチョコケーキを食べながら待つ事にする。ハンバーガーは表面焦げ焦げで普通なら食べられたものではないはずなのだが、これがなかなかいける。普通なら焦げた部分が喉に引っかかるのだが、すいすいと入って行くのである。単純に腹が減っていただけかなとも思ったが、長年肉を食い続けてきたアメリカの歴史がなすワザなのかも知れない。
 妻はこのときついでに函館でなくしてしまったブルーインパルスの帽子を買い直してきた。のろけで申し訳ないが、よく似合っていた。
 曇天なので、雲がもう少し薄くなるのを待ってからショーは開始された。

 メモをとらなかったのでだいぶおおざっぱだが、ご容赦願いたい。

 まずはプロペラ機(機種は不明)が滑走路から飛び立っていった。目の前で飛ぶだけでも迫力十分。これが背面飛行したりコックピットをこちらに見せながら飛んだり、あげくには上空高く舞い上がり、黒い粒になった状態から落下してくるのが圧巻だった。このとき、ミッドウェー海戦の時ってあんな感じだったのかな、と軍オタぽい感想を抱く。
 しかも、錐揉み状態からの引き起こしが見事の一語。駐機してある他の戦闘機の横を抜けて行くのだからただただ見とれるしかない。飛行機雲をたなびかせて大空を自在に飛ぶ姿はそれだけで満足できる代物だった。

 続いてジェット機(こちらも機種不明)が発進。こちらは機動云々よりも、一番インパクトがあったのは衝撃波。飛行機が通った後から音の洪水が押し寄せてくる感覚は新鮮だった。鼓膜は破れそうになったがその甲斐は十分あったと思う。



 それが終わると、今度はハングライダー。どうやって飛ぶんだと不思議に思ってみていたら、背中に背負ったロケットで器用に上空へ上がって行った。
 こちらは迫力云々ではなく、空中散歩とでも言うべき楽しげな様子が大変和んだ。かてて加えて、ここまでさんざん痛めつけられた耳にも優しかったのが何よりありがたかった。

 この辺で風が強くなってきて身体が冷えた事と、周囲のカメラ撮影の傍若無人ぶりに耐え難くなり、席を立った。勿体ない気もしたが、これ以上留まる事でせっかくの楽しいイベントが嫌な思い出で終わる事のほうがよっぽど勿体ないと思い、見切りをつけた。

 というわけで、観覧席を後にして、露店巡りを開始。一番興味があったステーキは途切れない長蛇の列がどこの店の前にもできており、断念。まぁ、さっきハンバーガー食べたし、目についたところから適当に回って行く事にした。
 真っ先に向かったのは、ここのお隣にある海上自衛隊岩国基地の露店。オリジナルグッズを販売しているというのでそちらへ行ってみる。
 自衛隊オリジナルグッズというのでも結構衝撃的だと思うのだが、基地単位でオリジナルグッズとは…。帽子、Tシャツ、バッヂ、ネクタイピンなどなど。これが充実しているのである。
 オリジナルレーションがあれば即購入だったのだが、さすがにそこまでは売っておらず、代わりに自衛隊おでん缶を購入。

 これは今まで見た事なかったのだが、聞いてみると最近売りだされたらしい。アキバの追随商品か。他にも饅頭だのせんべいだの栄養ドリンクだの食べ物のグッズがやたらとある。そして売れている。
 私はこういう機会があるたびに売店露店をのぞいているのだが、その度に充実度合いが増しているのはどういうことなのか。自衛隊には商品企画部とか企画開発部とかいう部署はなかったはずだが。

 続いて、この基地祭のオリジナルTシャツを買いに行く。今年の分と一緒に昨年の売れ残りも一緒に売っていたのだが、昨年分の『岩国城に錦帯橋、桜に謎の富士山というカオスな光景をバックに飛ぶ飛行機』というデザインが大変気に入ってしまいこちらも購入。
 また、米海兵隊岩国基地自体のマークがそもそもカオスなのである。海に浮かぶ鳥居(おそらく宮島・厳島神社がモデル)の額に漢字で「岩国」の文字、そして鳥居の真ん中に海兵隊の紋章がデーンと鎮座。生を受けて33年、もしかしたら今が一番アメリカ人を好きになった瞬間かも知れない、と思った。こいつらは間違いなく私が大好きなタイプの馬鹿だ。
 こいつらとはうまくやっていけそうだ。売店のにーちゃんねーちゃんもフレンドリーだったし。

 つづいて、物欲を満たした後は食欲とばかりにサーチを開始する。

 並ぶのが面倒だったので「空いているけどうまそうな店」というむつかしい条件でサーチすると、肉とチリビーンズセットの店を発見。アメリカ人はチリビーンズ好きらしくて、この手の店は何軒かあったが、それほど日本人の食欲をそそるものでないためかどこもそんなに込んではいなかった。
 肉はチキンとポークが選べたので、それぞれを1つずつ購入。これにトウモロコシのチップスとフルーツジュースが付いてくる。なんだか軍の昼食みたいなセットなところが気に入った。
 空いている椅子などないので、そこいらで適当に座って食べる。この辺も基地の食事っぽくて良い。
 アメリカ人の味覚と言うと「あまい、からい、でかい、脂っこい」の4種類だと思っていたが、このセットはなかなかうまかった。肉はいうまでもなく合格点。トウモロコシチップスをチリソースにつけて食べるのも妙に後を引く。
 画像を確保するヒマもなく、あっという間に食べ終わってしまった。

 腹もくちくなったところで、今度は展示されている機体を見て回る事にした。海兵隊と海自あわせて何十機もあるので、これだけでも結構時間がかかった。目当てはいかにもオタっぽいノーズアートだったのだが、上からのお達しでもあったのか、ほとんどの機体にノーズアート自体がなかった。せいぜいが、尾翼に描かれた部隊のマークがアメコミぽかった程度で、こちらの期待はあっさりかわされた。



 また、一部の機体は中に入れてもらえるのだが、これがまた長い長い順番待ちであっさり断念する我々。

 まぁ、外から見ているだけでも十分楽しいし、次回来たときの目標にしてもいい。そんな事を話しながらのんびり歩いていると、そのうちショーのほうが佳境に入ってきたようで、爆音とともに上空に機影が4つ現れた。見上げていると、縦列編隊が瞬時に組みかわる。思わず拍手。

 また、飛行機以外にも自動車とかバイクとか展示されているのだが、一部が軍警察で実際に使用しているもので、特にバイクは子供がのっかってサイレン鳴らして遊んでいたりした。子供だけでなく大人も一緒に順番待ちしていたので私も並んでみたい衝動に駆られたが、ここは我慢。
 それにしても、米軍警察のバイクがKawasakiとBMWっていいのか。アメリカにしたらどっちも外国産だろうに。

 こんな感じでぐるっと一回りし終わり、だいぶ疲労もたまったところでとっとと撤退する事にした。

 終了ギリギリまでいないと勿体ないような気もしたが、このイベントは十分堪能した。これ以上は消化不良を起こしてしまう。
 ということで来た道を戻り、正門から外へと出た。外は外で日本人による露店が多数出ていた。たこ焼きお好み焼きの露店を見ると、外国から戻ってきた時のような感覚になった。

 我々はその花道のように飾り立てられた通りをまっすぐ進み、大通りへ出てタクシーを捕まえた。
「すいません、南岩国駅まで」
「南岩国のほうですね」
岩国とつく駅は岩国、新岩国、南岩国、西岩国と4つあるのでうっかり間違えると大変な事になる。
 岩国駅方面への大渋滞を横目に、我々は車窓を楽しみながらあっという間に南岩国駅に着いた。予想どおり、こちらの駅には大して人がいない。やってきた電車もガラガラで、ゆうゆう座れた。おかげで宿泊予定地広島まで約一時間、ほぼ熟睡できた。

 広島に到着すると、まず宿へ移動して荷物を置き、一休み。広島は広島でフラワーフェスティバルというのをやっていて大変にぎやかだったが、路面電車も大して混雑しておらず、苦にはならなかった。宿の真っ正面が会場だったので音は響いていたが、このくらいは許容範囲。

 大浴場でさっぱりしてから夕飯を食べるべく外へ。宿から近いのでフェスティバル会場で何か食べても良かったが、せっかく広島に来たのだからとお好み村へ向かった。お好み村とは、ビルの2階から4階に集まったお好み焼き屋の集合体のことで、我々のような旅行者には重宝である。
 しかし皆さん考える事は一緒なようで、2階から4階までどのお好み焼き屋も混雑していた。空いているところに適当に入ろうと思っていたのだが、どこも並ぶようなので、それなら気に入ったところにしたい。とはいえ、情報が少ないので選ぶ理由そのものが見当たらず決め手に欠ける中、「水軍」という名前のお好み焼き屋を見つけて即決する。このネーミングセンスは我々向きだ。
 しかも、店の暖簾に書いてある家紋が一文字に三ツ星ではなく丸に上。

「この店、毛利水軍じゃなくて村上水軍だ」「すげー」という、おそらくお店の人に大変理解しがたい喜び方で盛り上がる我々。ちなみに、エロゲンガーのほうじゃなくて、ごく一部で人気の太ましい人のファンなので誤解なきように。

 そんな理由での選択だったにも関わらず味もボリュームも言う事なしで、大満足して店を出た。

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 ゴールデンウィークの前半は桜前線の追撃を行ったが、後半はどうするか。実は直前まで「なにもなし」だったのだが、たまたま私が時刻表を立ち読みしていたら『岩国航空ショーに伴う臨時列車』という文字を見つけたのをきっかけに行ってみる事にした。

 したのまではよかったが、調べてみるとこれが毎年20万人以上が集まる大イベントで、前泊しようにもどこもいっぱい。

「よし、寝台だ」ということで当たってみると、最初狙っていた個室は取れなかったが、上下揃いでB寝台を確保できた。朝6時前に着くので、そのままタクシーを飛ばせば列に並ぶのもかなり有利になるだろう。その上、新幹線と違って寝台は岩国駅に着くのもありがたい。

 京都駅発が0:37なので、いつもの寝台旅行に比べてもだいぶ時間に余裕がある。まずは京都タワー温泉でのんびり汗を流して、と思ったらこれが大混雑。それでもまだ
我々はラッキーだったのは、待たされもせずバスタオルも借りられた事。少しあとになると脱衣所のロッカーがいっぱいになって順番待ち。バスタオルは在庫がなくなり貸し出し終了とこれまで見た事のない盛況ぶり。周囲の声が耳に入ってきて大体の事情が分かったのだが、どうやらこれまでそんなに知られていなかったここの存在がどうやら何かで紹介されたらしく広まりつつあるようで、このゴールデンウィーク、京都以外から観光に来た人達がどっと押し寄せたようである。
 そんなに規模が大きい施設ではないので、あんまり有名になるのも困るなぁ、と身勝手な思いを抱きながら湯を使った。

 湯から上がって次は夕食という流れだが、いつもは寝台内で食べるところを今回は出発時間が遅い事もあってどこかで済ませてしまう事にした。混雑しているので京都駅から離れたところに移動するのも面倒で、駅の地下街にある京料理バイキングのはーべすとという店にしようということで目指して行くと、店の前にはずらっと行列が。ここはバイキングなのであまり回転がよろしくない。じゃあ別の店に、と地下街をウロウロしたが、どこも大体列ができている。
 思案の結果、京都タワー側と反対にある駅ビルへ移動すると案の定こっちは比較的すいており、目をつけた和食の店にも並ばずに入れた。

 食べ終わるといよいよやることもなくなり、今度は駅前の漫画喫茶へ引きこもる。「インターネットができない状態なのですが、よろしいですか?」と聞かれるが、否も応もない。どうしてもネットをやらなければならないという事情もなかったのでOKする。
今回は、先日別の店で2巻まで読んでいたハチワンダイバーという将棋漫画の3巻を見つけたのでまずそれを読み、4巻以降を発見できなかったので、そのままの流れで同じ将棋漫画の「月下の棋士」を読み始める。
 私は将棋漫画というジャンルはそんなに種類を読んだ事があるわけではないのだが、今回読んだ2作ともが強烈だったので今現在将棋漫画イコール強烈という図式ができつつある。
 月下の棋士を読んでいるうちに触発されて文章が書きたくなり、途中で読むのを切り上げてパソコンを開く。何を思ったか、事前の構想に全くなかった藤吉さんのラジオ体操のシーンとかを大マジメに書いてしまうのはやはり触発された時に変な部分が開いてしまったからだろうか。その上、開き切ったままの状態で時間が来てしまう。

 コンビニで夜食を買い足してから京都駅に戻った。

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 目が覚めると外は小雨模様だった。晴れていれば五稜郭公園でも桜見物と思っていたのだが…。とりあえず何はなくとも腹ごしらえだ。宿は朝食付きなのだが、せっかく函館に来たのだから朝市をのぞかない手はない。
 部屋のカードキーが1つしかないので交代で朝風呂に入り、さっぱりしてから朝市へ向かう。

 比較的早い時間だった事もあって、それほど人は多くない。込みだすと厄介なのでとっとと朝食を、と思ったが、妻が「一回りしてみよう」と言い出したのでウロウロを開始。「カニ買わない?」攻撃や「安くしとくよ」攻撃を避け、イカ釣りゲームやさきイカ製造マシーンに気を惹かれたりしながらぐるっと一周し、結局いつものきくよ食堂へ。
 ウニカニイクラシャケイカホタテ等々、豊富なメニューを前にいつもながらあれこれと悩む。組み合わせは無限に近いが、食べられる量と予算は有限。実のところ後者はあまり考慮に入れていないが、それでも食べたいモノを全部注文していたら胃袋がいくつあっても足らない。納得いく組み立てができあがるまでに結構な時間を費やして、ようやく決定。

 私が焼き鮭ハラス定食にイカの塩辛と厚焼き卵。妻が銀ダラ定食にめかぶとほうれん草。なんだかパッと見はどこでも食べられそうなメニューになってしまったが、凡百の定食メニューとは素材が違う。ハラスは贅沢に大きなものが3切れあったし、銀ダラも脂が乗った一級品。イカの塩辛やめかぶも自家製。厚焼き卵はできたて。そんなわけで食べ始めると無言になる我々。黙々と食べ続け、満足して店を出た。

 さて、これからどうするか。
 まぁ何はなくとも宿をチェックアウトするとして、問題はそのあとだ。天候はやや持ち直してきたが、撮影中に降り出してくるとカメラを濡らす危険性が高いので五稜郭公園で咲いている桜を探すというのはナシ。空港近くの湯の川温泉まで行ってみようかという妻の提案もあったが、湯の川温泉に関する情報をあまり持ってない上、路線バスや路面電車で行くと結構な時間がかかってしまうのも勿体なかったのでこれにも乗らず。
 検討の結果、元町公園に写真歴史館という施設があるそうなので、歴史にも写真にも興味関心を持つ我々の雨傘企画としてはふさわしかろうということでそちらへ向かうことにした。まずは身軽になるため函館駅のコインロッカーに荷物を預ける。

 地図に寄ると、函館駅前から路面電車で10分ほどの末広町電停から徒歩圏内。
 ただし、徒歩で基坂という結構な急坂を上らないといけない。これは計算外だったが、坂の途中にふてぶてしい黒猫がとぐろを巻いていたのでかえってラッキーだった。私も妻も上る足を止めて画像を確保する。

 観光地の猫によくいるタイプなのだが、人慣れしているので見知らぬ我々が無遠慮に近づいても逃げ出すどころか身じろぎすらせず、写真を撮らせてくれた。それでもなぜか顔だけはよそを向いていたが。
 しかしそのあとで「なんにもよこさないのか?」と言わんばかりに睨んでくるのもこの手の猫によくあること。

 睨まれても何も持っていないので華麗にスルーして公園へ移動を再開し、ほどなく目的地元町公園に到着した。横浜にも神戸にもあるこの「元町」という地名だが、ここ函館も他の2つ同様洋風建築が多い。

 写真歴史館の建物も19世紀西洋式建築。1階が観光案内所で2階に目指す展示があるとのこと。入場券を買って階段を上がっていくと、展示室には年代物のカメラの数々が所狭しと並べられていた。それこそ、19世紀末の写真が誕生したころから明治大正昭和と写真機の歴史が実物でずらりと。飾られていた写真も歴史の教科書や資料集で見たようなものが結構な数あって何とも懐かしい気持ちになった。別にその時代に生きていたわけでもないのに。

 1階に下りていくとそこにも比較的新しめのカメラが置いてあったのだが、その中に妻の実家に置いてあるのと同じ機種があったそうで、2人揃ってまじまじと見る。その他、私が個人的に大変気に入ったのは、変わり種カメラの棚。おもちゃのようなミニチュアから、一見カメラに見えないようなものまで様々あった。
 最初は正直な所大して期待せずに入ったのだが、結構盛りだくさんで堪能させてもらえた。

 昼食にはまだ早いので今度は近場の旧イギリス領事館へと向かった。売店、喫茶店、展示の順に並んでおり、売店をのぞいてから展示を見に進んだ。展示内容は函館にペリーがやってきたころから始まって、生活に密接した歴史的文物が並んでおり、個人的には楽しめた。

 回り終わって窓の外を見ると、空模様が小雨から雨になっていた。雨に関してはかなり楽観的だったので傘などは持たずに来たため、これには困った。ただ、雲はそんなに厚くなかったので雨宿りしていれば小やみになるだろうと高をくくって喫茶室で待避。
これが当たって、紅茶を飲み終わった頃には天候が回復した。

 ただし、また降り出さないとも限らないので、もう一カ所どこか行こうという気持ちは失せてしまったので、とりあえず路面電車に乗って函館駅まで戻る。

 昼飯を食べようかと思ったが、朝食を頑張りすぎたためまだ食べられそうになかった。色々迷った挙げ句、協議の結果駅前にある事もあって港に係留されている青函連絡船摩周丸を見に行った。
 青函連絡船廃止のその日まで働き続けたこの船は現在産業遺産として記念館となっている。どんなものかは知らないが、一見の価値はあるだろうということで乗り込んでみた。JAFの会員証を持っていると割り引いてくれるとの事なので活用して中へ入る。

 私が何より喜んだのは、当時のままのグリーン席。普通船室はカーペット敷の雑魚寝、グリーン船室は座席と寝台がついていたと話には聞いていたのだがこうして見るのは初めてである。何しろこうして趣味の旅行に出かけるようになったのはバイトをして自分で稼ぐようになってから。うちは子供のご意向を伺ってお出かけをするというような家庭ではなかったため、幼少期になくなってしまったものに関してはこうやって自力で追体験するしかない。
 試しに座ってみると、リクライニングするし背もたれには栓抜きまでついている。大変嬉しくなってこのまま時間の許す限り函館港を眺めながら座っていたくなったが、それはそれで勿体ないので断腸の思いで椅子から立つ。
 妻の姿を探すと、青函連絡船の歴史を記した展示パネルや沈没した洞爺丸の航海日誌などを結構熱心に読んでいた。
 
 順路に従って進むと、再現された操舵室で当時そのままの器材に触れたり(いじると反応はするけど当然それだけ)船長のコスプレが出来たりとなかなか充実した企画が揃っていた。あと、展示してあった冬用のコートがどう見ても銀河鉄道999の車掌さんのそれにそっくりで、物凄く着てみたかったがこれはダメだったので吊るしてある普通の船長服を着る。帽子もあったので、かぶってから妻に聞こえないようにそっと「波動砲発射」「私を艦長と呼ぶな。この船は軍艦ではない」「軍人なんてな気楽な稼業」とか呟いてみる。

 続いて甲板に出てみる。眺めは大変良かったが、風が強かった。その風によって妻のかぶっていたブルーインパルスの帽子が飛んでいってしまった。そのままわずかの間空中をさまよっていたが、少しだけ風が弱まるとそのまま浮力を失って海に落ちた。
「あーあ」
以前地元にある自衛隊の基地祭りで購入して以来、妻は撮影に出かけるたびにかぶっていただけに、気に入っていたのだろう。悲しげに歪む顔を見て、なんとかして取りにいく方法はないものかと算段したが、甲板から飛び込むのは論外としても、ボートを借りてこいでいくのも現実的ではない。思案しているうちに帽子は水分を含んで徐々に水中に没していった。
 気落ちする妻を慰める言葉も見つからず、未練を断ち切るためにその場から連れ出すことしかできなかった。

 さて。ほどよく時間も過ぎた事であるし、とっとと空港へ向かう事にした。何とも後味の悪い旅立ちだが、うだうだしているよりは良いだろうと気持ちを切り替える事にした。

 函館駅まで戻り、コインロッカーから荷物を引っ張りだすと、空港行きの直通バス乗り場へ急いだ。このバス、空港は近くにあるので料金は一人400円と大変安い。

 最後がちょっと暗くなってしまったが、それでも良い街であり良い思い出がたくさんあるので、去り際はちょっと寂しかった。来年のこの時期まで寝台特急日本海が生き残っているという保証は残念ながらないが、それでも残っている限り、毎年このルートで桜前線を追撃できるといいなぁ、とバスに揺られながらそんな事を思った。

 空港についてチケットを入手すると、まだ食べていなかった昼食を食べようと言う話になった。しかし妻はレストランのメニューがお気に召さなかったようで、却下となった。私はここで食べる事になったときから豚丼を食べようと決めていただけに残念だったが、決定権は妻にあるのでどうしようもない。結局1階の喫茶店でサンドイッチを食べる妻を、紅茶を飲みながら眺めていた。せっかく函館まで来てサンドイッチで腹を満たす気にならなかったので、今回は私のみ昼食抜き。

 まだだいぶ時間があったので、疲弊気味の妻を休息させる意味もあって空港のラウンジへ。私はゴールドカードを持っていないので料金を払って中へ。

 地方空港とはいえラウンジはラウンジなので、休息を取るのには空港で一番適している。フリードリンク云々よりも、何しろ静かだ。
 電源を使えるビジネスデスクを見つけたので、妻はパソコンを広げながらネットの掲示板など見はじめた。私も隣でパソコンを広げてここまでの記録をまとめる。
 
 トイレに立った時、新聞雑誌のコーナーがあるのを見つけたので、立てかけてあった道新スポーツを手に取って見たら、5面あたりに初芝の唐川評が載っていたのだが、文章の内容はともかく「本誌専属評論家」という表記がしてあってちょっと驚く。いつからそんな契約が。

 そんなこんなで小一時間ほどもいただろうか。ぼちぼち良い頃合いになったのでラウンジを出て荷物検査場に向かった。妻からは「ラウンジって良いね」というご意見がいただけたので、次回から反対されて使用断念ということはなさそうだ。

 検査も無事終わり、ゲート前の待合室に腰掛けるとテレビで千葉ロッテマリーンズ対福岡ソフトバンクホークスをやっており、思わず見入る。
 そう言えばこの日は貴重な全国中継の日だった。うっかり忘れていたので気づいた時にはちょっとギョッとした。チャンスにズレータが大きな外野フライを打ち上げてチェンジになった所で搭乗手続き開始となったので断腸の思いでその場を離れる。

 妻は手術後初めての飛行機利用なのでやや緊張気味。気圧変動が傷に与える影響はどんなものか分からないのだが、今回何ともなければ、今後安心して飛行機を使える。
 さぁどうかと思って見ていたところ、離陸時には特に問題なく、安定飛行にはいったあとはとっとと寝てしまったので大丈夫なようだ。

 寝入ったのを見届けると、私も眠りに落ち、目が覚めた時にはもう近畿地方上空。程なくして着陸態勢に入り、ややハードなランディングだったが無事着陸。この時も特に痛まなかったそうなので、往復飛行機の旅行も計画できそうだ。

 上空の気流が荒れていたとかで、関空には10分遅れで到着。最初の予定ではなんばに出て何か食べて帰る腹づもりだったが、妻は翌日仕事という事もあり、とっとと帰宅して、その代わりに京都の伊勢丹で良いものを買って家で食べることにした。

 来年、妻が「また行こう」と言い出すかどうかは分からないが、もしそう言いだした時に喜んで計画を立て切符を手配する、そんな自分の姿が目に浮かんだ。

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 目が覚めたときはちょうど日付が変わった頃。列車は新潟県内を疾走中で、どうにも荒っぽいので起こされてしまったようだった。

 酒は残っておらず、せっかくなので文章でも練ろうかと思ったのだが、買ってきた「燃えよ剣」がどうにも気になってしまい、読み始める。上下巻に分かれているだけあってボリュームがあり、一気に読み終える事は出来なかったが、読み疲れたら寝る→起きたらまた読む→読み疲れたら寝るを繰り返していたら、荒い運転もさほど気にならなくなり、思いのほか快適に過ごせた。
 そんなわけで今回は、というか今回も寝台内で文章をまとめられなかった。

 列車は定刻どおり弘前到着。弘前駅では、この「日本海」に乗り込もうという人が結構な数並んでいた。

 改札を抜けてまず荷物をコインロッカーに預け、つづいて腹ごしらえに駅そばへ。私は名物津軽そばに天ぷらと卵を乗せ、そこに焼きみそのおにぎりまでつけてしまった。妻は山菜そば。
 食べながら、やっぱりそばは東だなぁ、と思ってしまう。

 食べ終わって、路線バスに乗って弘前公園へと移動。ここは弘前城趾でもあるので、公園の周囲は濠で囲まれているのだが、その外濠付近の桜は既に散り始めていたが、まだまだ十分見る価値を残していた。日当たりの良い外濠でこれだけ花が残っているのであれば、公園内はまだまだ大丈夫だろうと希望的観測をして中へ入った。
 この希望的観測は幸いにして的中しており、ソメイヨシノは盛りこそ過ぎても魅力十分だったし、枝垂はまさに今が見頃だった。前回来たときの咲きたる花わずか一木だったのだが、それから比べると、今年は全く別のところに来たような印象すらあった。

 とにかく数が多いので、全体的に華やかである。特に桜の花が頭上を覆い尽くさんばかりだった、西濠沿いにある通称桜のトンネルは見事としか言いようがなかった。その上、この日は散りはじめという事に加えてそこそこ風があったので桜吹雪も楽しめた。

 私は城と桜と言う構図が大好きなので、天守閣が入るように色々試して撮影してみたが、どれも気に入ったものにならなかった。なにしろそのテーマでとるならベストポジションと思われる天守閣間近の橋の上がツアー客で満ち満ちており撮影どころか近づく事すら出来なかったのだから、これはもう仕方なかろう。かてて加えて私の撮影器材は携帯電話なのだから、むしろ気に入ったものが撮れるほうが不思議と言わざるを得ない。それでも結構ご機嫌で、メモリの容量ギリギリまでパシパシやっていたりした。

 妻は妻でご自慢のフィルム式カメラを構えて縦横無尽に動き回っていた。何しろこの公園は敷地が広大であり、いかに人出が凄いと言っても園内全域がごった返しているわけではない。じっくり撮影しようとすればいくらでも場所はあった。しかも被写体は好素材が選び放題となれば、これはカメラ趣味の人間にとっては理想郷だろう。

 昼前、さすがに妻のフィルムも尽きかけて、休憩という事になった。そこかしこに設営された露店を巡り、気に入った食べ物を片っ端から購入して回る。去年食べて印象に残っていた桜おでんはいのいちに購入。これは桜の花びらに型どられたコンニャクにミソがかかっているという代物なのだが、今年は若干マイナーチェンジと言うか進化を遂げており、ミソが桜色をしていた。味のほうは桜味という事もなく、普通のミソに若干ショウガが効かせてあるという程度。だが、この単純な味がことのほかうまくあっという間に食べ終わった。続いて黒石名物だというつゆ入り焼きそばにチャレンジした。
 これは焼きそばがややあっさり目のラーメンスープに入っているものを想像していただけると概ね間違いないと思われる。

 文章だけ読むとゲテモノのように思われるかも知れないが、先入観を捨てて「これはこういう食べ物」と思って食べるとなかなかイケる。焼きそばが食べたくて仕方のない時にこれを出されると「違う!」と言いたくなること請け合いだが、そうでもない時ならばおいしく食べられるのではなかろうか。

 こんな調子でどんどん書いていくとキリがなくなるので略すが、めぼしいものをほぼ制覇すると、今度は露店ウォッチングを行う。何しろ広いので、露店の種類が大変多く、眺めているだけでも結構愉快なのである。ひもクジで当てる商品がwiiだったりPS3だったりするのは当然の時代の流れなのだが、ひもを引いて商品を当てると言う昔ながらのローテクなのに、商品が大変高度なテクノロジーで作られているそのギャップが大変ユーモラスだった。
 そのほかプラスチックのお面とか綿菓子とかにはたいがい人気アニメのキャラクターが使われているものだが、この辺の変遷は記録していくと結構面白いと思った。そんなきっかけで興味をひかれて観察してみた。まじまじと見ると明らかに不審がられるのでちらちら見ただけだが、ドラえもんとプリキュアとピカチュウは確かあったはず。
「絶望先生のがあったら絶対買うのになー」
「それ持って函館まで行った挙げ句に飛行機乗るの?」
「お面はちょっとキツいが綿菓子なら食べたあと袋をたたんでしまえば問題ない」
とか年不相応な会話をたしなみつつぐるぐる回ったがやっぱり存在は確認できず、諦めて今度は公園内に併設されている植物園へ足を向けた。こちらでは撮影はほとんどせず、のんびりと歩いて回ってちょうど予定時間終了となった。

 バスで弘前駅まで戻り、一休みしてからホームへ。ここから青森経由で函館を目指す。事前の予定では土産物の選定にもうちょっと時間を取っていたのだが、チェックしてみたところ指定席がほぼ全滅に近い状態なので、座席確保のためとっとと並ぶ事にした。
 これが大正解で、発車30分前なのに既にホームには列が出来ており、私たちが並び始めて数分後にはこれが見事な長蛇の列になっていた。去年来たときは5分前でも悠々だったのだが、やはりこれも桜が咲いている効果なのか。

 並んだ甲斐あって、無事に座席を確保。たった30分だが、寝台での移動をしてきた上に、調子に乗って歩き回った身体には貴重な休息時間だった。
 青森駅では乗り換えまでの空き時間を青森の地元新聞二紙を購入するなどして有効に使い、函館行きの「白鳥」15号が入線して来る3番ホームに向かった。
 行ってみると、ホームは移動するのもままならないほどに人の数。何事かと思ったら、2両分のスペースに学生服&セーラー服の学生さんたちがたむろしていた。

 我々が乗ろうとしている「白鳥」の指定席が満席で、グリーン席も残りわずかだったのだが、これで謎が解けた。なるほど、修学旅行生が車両2つも占拠していたのでは席も足らなくなるわけだ。

 二時間立ちっぱなしというわけにもいかないので今回グリーン席を購入する羽目になったのだが、あんまりありがたくない。この白鳥はなにしろ半室グリーン車というヤツで、8号車の半分が扉で仕切られていてそこだけグリーン車になっている構造。狭っ苦しくて好きではないが、この際背に腹は代えられない。

 席に着いてやれやれと思ったら今度は『信号所で火災が発生しましたため発車できません』というアナウンスが。珍しい事もあるもんだが、火災となれば鎮火とそのあとの現場検証その他に時間がかかることは想像に難くない。宿に到着が遅れる旨の連絡をしなければと思って番号を調べ始めたところ、今度は『安全が確認されましたため発車いたします』というアナウンスが。
 そんな簡単に事が納まるものなのか?と思ったが、実際に列車が走り出したのでそう言うものかと納得するしかなかった。

 列車はそのあと特にトラブルもなく青函トンネルへともぐる。見学イベントの乗客回収で竜飛海底駅に止まったが、こちらは特に混乱もなくすぐに発車。そう言えば青函トンネルは何度も通ったが、まだここでおりた事がない。なんでも記念撮影用広場にドラえもんの看板があったりするらしいが、さすがにこの歳になるとそれを理由に函館までやってくるわけにもいかないので、今もって縁がない。

 16時40分過ぎ、列車は青函トンネルを抜けて北海道に上陸した。うかつにも用を足しにいっていたので、トンネルを抜けるとき独特の開放感を味わえなかったのが残念だった。車窓から見えた北海道は空が広く、樹の生え方まで違って見える。この辺の感覚は車窓が楽しめる程度の速度で走る鉄道旅行ならで、飛行機ではこうはいかないだろう。

 事のついでに車窓の話をするならば、北海道に入ってからは途中からひたすら海岸沿いを走るのが私好みでいつもこのルートを走るときの楽しみになっている。
 
 また、私たちが乗り込んだ特急「白鳥」は先述の修学旅行生をおろすために上磯駅に臨時停車し、その臨時停車で乗り換えできなくなった人のために函館の1つ手前五稜郭駅で臨時停車するという細かい気の使い方をしてみせてくれた。

 同じ列車に乗っていた人達の中には隣に停まっていた特急「北斗」札幌行きに乗り継ぐ人もいて、既に2時間以上移動してきてここからさらに最大3時間半の移動とは、そのタフさに感心するばかりだった。

 改札を抜け、駅前のホテルルートインへ。チェックインをすませて部屋に入り、しばし休憩。1時間ほど休んで元気を取り戻してから夕飯を食べに外へ出た。今回は前回来た時に食べ損ねた函館屈指の名店五島軒を選択。この食べ損ねた事がだいぶ後々まで祟ったので、祟りの解消も兼ねている。

 妻はこの店が初めてという事で豊富なメニュー群にだいぶ迷っていたが、「そんなにここが気に入ったんならまた今度連れてくるから」と約束して決断させた。私も10年振りくらいな上に前回は貧乏旅行だったのでカレーライスしか食べておらず、まったく偉そうな事は言えないのだが、せっかくの機会なのでカッコつけておいた。

 そんなこんなでわいわい言いながら結構な時間をかけて選んだ料理は、私がカレーと明治の洋食セット、妻がオムライスと明治の洋食セット。品目がコロッケではなくクロケットだったりするのがこのセットのポイント。運ばれてきたものはどれも美味で、妻は大変ご満悦だった。当然私も同様。

 宿に戻り、大浴場で旅の垢を落として眠りについた。駅前のホテルなのに最上階の大浴場は天然温泉で大変心地よかった。

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 今回オタネタがあまりありません。まぁでもとりあえず書いてみます。読む所少なくてすいません。

 我が家は夫婦揃って桜の花が好きなので、今年も開花して以降やれ嵯峨野だ琵琶湖疎水だ長浜だと方々見て回っていた。
 そして昨年に続いて桜前線を追撃して北上するという話が出た。出たはいいが、昨年のように「行ったものの咲いてませんでした」では困る。ギリギリまで見極めて、これならば間違いなく花は見られると言う自信が持てたところできっぷの手配に動いた。
 しかし、これがうまくいかなかった。
 寝台特急日本海が1日2往復から1往復に削減されてしまった煽りを受けてか、昨年はゆうゆう取れた寝台券の予約がやたら難関になってしまっていた。荷物も多い事からA寝台をと思ったがこれはダメ。ではせめて禁煙車両でと思ったがこれもダメ。こんな状況だったので、喫煙のB寝台が上段隣同士で取れたのはかなり奇跡的だった。なにしろ当日乗ってみたところ『全寝台ご予約をいただいておりますので、車内での変更はお受けできません』という車内アナウンスが流れたのだから、これはバラバラでなかっただけ感謝しなくてはいけないだろう。

 ただし、感謝できなかったのはこの日の運転技術。急発進急停車で揺れる事揺れる事。自分で稼ぐようになって以来結構な回数寝台列車に乗ってきたが、これはもう特筆に値するほどひどい。夜中に何度も叩き起こされた。

 それでも横になっていられるという事はありがたいことで、弘前で下りた時には寝不足感はほとんどなかった。

 ちょっと行き過ぎたので話を戻そう。

 京都駅18:22発なので、一応仕事を定時まで勤め終えてから出発しても間に合わない事はないのだが、寝台で出発するときの習い性のようになっている京都タワー温泉での入浴をしておきたかったので3時間ほど休みをもらい16時前には家を出た。

 京都駅に着くと、風呂は後回しにしてまず先に本屋へ。京都駅近辺に本屋は4軒あるのだが、今回はあまり時間的な余裕もなかったので京都タワーの中にある本屋へ。ここは結構漫画やライトノベルも充実している上に、それほど厳しくマークされていないようで、もうないかもと思っていた本が手に入ったりする一番のお目当てだった「新装版孤独のグルメ」は完売したそうでこの日購入したのは「エマ10巻」、「よみきりものの…やわらかくてグ」、そして「燃えよ剣上・下」。前2つは新刊なのだが、最後のは去年函館行った時にあんまりにも五稜郭周辺の観光客向け施設で土方土方書いてあったもので、せっかくだから買ってみた。この本屋立ち寄りのおかげで入浴時間があまりとれなかったが、それでもさっぱりできたのは何よりありがたい事だった。
 駅ビルの京都伊勢丹で夕飯の買い出し中に妻と合流し、各々気に入った食べ物を買いあさってからホームへ。

 京都駅0番線ホームは珍しく寝台特急を待つ人の列が出来ていた。私は日本海に乗るのはこれでまだ2回目だが、京都駅自体はよく使うため、日本海が入ってくる直前の様子もしばしば見ているが、これまでは日本海1車両あたり3人もいれば多いほうだったのが、今日は私たちが乗る1号車だけで8人が待っていた。快挙と言って良いが、もともと2往復していたものを1往復に減らしたところに、帰省客に私たちのような花見客が加わったらこうなっても当然か。

 青森まで行くにはこのダイヤが都合がいいが、秋田に行く場合はちょっと早すぎるので夏休み冬休みのシーズンには臨時で旧3号4号の時間帯にも走らせて欲しいものだが、まぁまず無理か。

 夫婦揃って寝台に落ち着き、夕飯開始。まずは乾杯。私は京都の地ビール、妻はワンカップの梅酒。互いにおかずを融通し合ったりしながら、あっという間に食べ尽くしてしまった。

 事前に車内販売があることを知っていたので乗り込む前は「じゃあなんか買うか」とか言っていたのだが、満腹になってしまうと途端に「じゃあいいや」になってしまい、せっかくワゴンが通っても華麗にスルー。

 食べ終わってから「エマ」と「よみきりものの…」を妻と回し読みする。エマは最終巻だけあって内容盛りだくさん。よみきりものの…はいつもどおり。そうするうちに疲れていたのか2人とも酔いが思いのほか回ってしまい、早々に寝てしまった。

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 4月25日の夜から寝台特急日本海に乗って桜前線追撃ツアーに出発しまして、弘前から函館へと巡ってまいります。帰宅は27日夜になりますので、その間ここの更新は携帯からのみ、しかし出先ですからネタが拾えない場合は更新なしになりまして、全ては帰宅後ということになります。

 また、5月5日0:37京都発の寝台特急富士に乗りまして米軍岩国日米親善デーに出向き、生まれて初めて航空ショーというものを見て参ります。そのまま広島に出て一泊し、翌6日には呉へと移動して、てつのくじら館でこれまた生まれて初めて潜水艦の内部を見学してきます。
 この際も上記同様ネタが拾えない場合は後日更新となりますので、その間は開店休業状態の可能性がございます。

 あらかじめご了承ください。
 

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 うちの夫婦は揃ってオタクな上にあちこち出かけるのが大好きなのは既にこのブログでも何度か書かせていただきましたが、これからはシリーズとしてまとめていくことにしました。

 今日は唐突に「出かけよう」ということに。理由は特になく、強いて言うなら昨夜私が妻の帰りを待たずに寝てしまったためご機嫌直しが必要だったからということくらいか。
 問題は目的地をどこにするか。買い物するなら梅田に出よう、観光しになら名残の桜を見に行こうという絞り込みをかけ、買い物は別に今日でなくていいということで名残桜を見に行くことに。京都からほどほどの距離でどこかまだいい咲きぐあいのところがないか探すと、長浜という候補地が見つかる。
 長浜というキーワードに記憶の奥底を刺激されたのでちょっと探ってみると、「海洋堂フィギュアミュージアム」が見つかった。

 ああもうこれは行くしかなかろうということで、掃除洗濯が終わったあとでちょっと遅めの出発。しかも京都駅で昼食を食べてしまったため、長浜に到着したのが3時半というかなりな出遅れ。

 とにかくフィギュアミュージアムが18時で閉まってしまうので、まず向かう。せっかくの古風な町並みをほぼ素通りして目的地に無事到着。

 入り口には画像を駆使した看板がいくつもある上、ゲートの両脇にケンシロウと大魔神。ゲートの上にはレッドドラゴンまでいる。これなら日本語がわからない外国人観光客でも一目瞭然と言う有様。

 中へ入ると1階はミュージアムショップになっていて、無数のフィギュアが販売されているため思いっきり引っかかりそうになるがかなりの努力で振り払って受付カウンターに。
 入場料を払うとプレゼントフィギュア用ガチャガチャコインをもらう。回してもらえるのは「ドラゴン」「ドンキホーテ」「コウテイペンギン」のうちのどれか。
 コウテイペンギン狙いで回したらドラゴンが出た。一方で妻は見事コウテイペンギンを引き当てる。このへんの引きの強弱はもうどうしようもないくらいに動かしがたい。

 展示のある2階にあがる階段にはウェルカムフィギュアとでもいうべきか、ピラミッド上に並んだ綾波とアスカが。いきなりこれか。
 一発目から強烈なパンチを食らってその衝撃が冷めぬまま、「ああっ女神さまっ」の等身大三女神が視界に入ってさらにしてやられる。

 階段を上がり切ったところにあったのが動物フィギュア。噂に聞いていたマイワシの群れを生で見て「フィギュアだと分かっていてもうまそう」と私の中の最上級の褒め言葉で称える。
 ほかにも映画の撮影でも使われた等身大トリケラトプスとかあって、当初はさっさと流すはずだった動物フィギュアに結構な時間を費やす。

 しかもその先にあったのが東海道五十三次をフィギュアにより再現したもので、妻はほぼスルーだったのに私は完全に足止めを食う。すげーすげーと感嘆しながら2周する。

 足止めを食う私を妻が迎えにきて、今回の主目的であるアニメ特撮区域へ連れ去られる。ここには色々なアニメ・マンガ・特撮作品の名場面がジオラマ形式で展示されているのだが、中でもイングラム対グリフォンは見事の一語でまた貼り付く。

 ようやく見終えて、いよいよ真骨頂「ガールズゾーン」へ到達。メジャーからマイナーまで数々取り揃えてずらり並んでいる女体フィギュア。さすがにメモは取らなかったので覚えているままに書くと、ヴァリス、ときメモ、エヴァ、ナデシコ、サムスピ等々。どれもこれもハイクオリティで「ボーメさんすげー」の言葉しか出てこなかった。中には乳首が露出しているものもあっていいのかなーと思ったりもしたが、ここに来るような人ならまぁ無問題だろう。ヴェネチアでやってたオタクの部屋をコンセプトにした展示も再現されていたりしてこれも嬉しかった。

 一番奥には社長の個人コレクションコーナーがあったりして、この会社の根っこ部分を見ることが出来た。

 一通り見終わって、一階のミュージアムショップへ戻る。リボルテックダンボーを見つけてかなり購入意欲を刺激されたが、手持ち資金の関係から保留する。アニメ・漫画・特撮関係以外にも戦国モノとかご当地モノとか幅広く備えてあり、1つ買うとどれも欲しくなるため絞り込みをかける。

 絞りきれないまま気分転換のつもりで同じ建物のオルゴール堂へ行ってみたところ、いきなりジブリグッズコーナーがあってほんとうにオルゴール堂なのかと思うが、よく見たらオルゴール堂なのは一部で、建物の他のスペースには地元のお店が色々出店している。
 その中に1つ、我が家に多数転がっている戦国武将を猫にしたグッズを扱っているところがあった。ワゴンの中に、既に発売されているのを知らなかった「いしだみつにゃん」のぬいぐるみがあったのですかさず購入決定。
 これで購入資金が尽きてしまったので、海洋堂のミュージアムショップには戻らず外へ出た。

 その脚でもう1つの目的であった桜を見物するべく駅を挟んで反対側にある、長浜城跡の豊公園へ向かった。

 桜は一部が盛りを過ぎていたが、それでも多数がまだまだ見応えがある状態で踏みとどまっており、来た甲斐は十分あった。結構広めの公園なので、ぶらぶらするだけでかなりの時間をかけて桜を楽しめた。そのまま琵琶湖の湖畔へ出て、ぶらぶら歩きを継続。どんなトラウマに由来するのか不明だが、私は水辺に来るとそれだけで嬉しくなってしまうので結構冷たい風に晒されながらも延々湖畔を歩く。

 ヨットハーバーまで出たところでさすがにだいぶ身体が冷えてきたので駅まで撤退。構内の喫茶店に入ろうとしたら「すいません、もう終わりです」と言われてさらに撤退。駅となりのマクドナルドに入ったが、どうにもコーヒーを飲んだ気がしなかったので海洋堂ミュージアム近くのサイフォンコーヒーの店に出向く。案内された席が海洋堂仕様で360度ぐるっとフィギュアに囲まれている上、海洋堂社長を初め山口さんボーメさんらのサインまで並んでいるという濃厚ぶりはどうしたことか。外観には一切触れられていなかったのは店内の雰囲気を守るためかも知れないが、偶然ここに入れて良かった。

 夕飯を茂美志屋というところで「のっぺいうどん」というあんかけうどんを食べて帰った。

 出発が遅かった割にはなかなか濃密な時間が過ごせて良かった。

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旧世代オタクなので言う事も発想も古いです。
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ふさ千明
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1975/04/02
職業:
今さらですが非公開に変更
趣味:
読書、創作活動(文章のみ)、野球観戦、旅行、食べ歩き
自己紹介:
四十路オタです。そんな年齢なので言う事やる事古くさくてすいません。
艦これ提督ですがリポートをここにあげたりとかいう事はしておりません。攻略記事を書けるほど上手でもないので。
一次創作及び二次創作に関してはpixivで発表しております。興味をお持ちいただいた方は上部のリンクからお願いいたします。
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