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朝の良い目覚めは旅先においては何よりも貴重なものであると思う。どれほど入念かつ綿密に組まれた計画も、体調が悪ければ画餅と化してしまう。
 この日も夫婦揃ってそれなりに元気で、寝心地の良いベッドから起き上がるのにもそれほど苦労しなかった。
 やはり温泉の功徳なのだろうか。

 さて。今日はどうするか。双方体調は100%とは言わないものの、十分に動けるコンディションである。日程的にも中間点で、それなりに無理がきく。初台湾の時からずっと行きたいと思っていたある場所にチャレンジするのに条件は揃っている。
 この日、山ほどある選択肢の中から私が選んだのは飛虎将軍廟。台南市にあるこのお廟は、高雄市にある保安宮同様、日本人を祀ったお廟である。
 昨年の旅で訪れた保安宮についてこのブログにて「日本でも他国でも神として祀られている存在はここの他にないのではないか」と書いてしまったが、この飛虎将軍廟が見事に当てはまる。うっかりにもほどがある。

 朝食もそこそこに身支度を整え、関空で調達したお供え物を持って台北駅へ。
 
 いつもどおり新幹線の切符を券売機で確保。いつもは普通席なのだが、今回は体調を慮って商務車ことグリーン車の席を押さえる。
 行きがけに売店で飲み物だけでも、と思ったが、行ってみるとかなり混雑していたので断念して車内販売に頼ることにした。
 台湾高鉄645列車は11時36分、定時に出発する。
 商務車は広々とした座席によって移動による体力へのダメージが少なくなるのもありがたいのだが、飲み物とお菓子のサービスがあるのも嬉しいところで。
 車内販売で買い損ねたペットボトルも無事買えて一安心。

 13時19分、定刻どおり台南駅に到着する。

 今まではここからバスに乗り換えだったが、今回は高鉄と台鉄の連絡線として開通した沙崙線に乗る。高鉄の改札を抜けて、すぐ横にある台鉄の改札へ。台北で散々使った悠遊カードがここでも使えるので、乗り換えは実にスムーズ。
 高鉄台南駅は台鉄では沙崙駅となる。



 改札のむこう、島式ホームで待っていたのはどこか懐かしさを感じさせる青い車両。高鉄からは結構な人数が降りていたと思ったが、4両編成の列車に乗ってみると空席が目立つ。




 車内は涼しいものの、車窓から照りつける陽射しはあくまで強い。2駅先の中洲駅からは本線である縦貫線に合流。仁徳、保安と走って終点台南駅に到着する。

 台南駅前は、初めて来た時からあまり変わっておらず、タクシー乗場もすぐにわかった。

 飛虎将軍廟の名前だけではたどり着けない可能性も考慮してメモには住所も書いておいたのだが、杞憂だったようで、かなりお年を召した運ちゃんは一目見るなりうなずいて車を出した。

 まずは台南駅を背にして西へ向かい、そのまま台湾省道(日本における一般国道)17甲線へ入る。道なりに進んでいるうちに西から北西へ、北西から北へと進路が変わっていく。郊外に出るとホームセンターやディスカウントストア、中古車センターが増えてくるのは日本と同じだが、堂々カタカナで『パチンコ』と書かれた看板を見た時にはさすがに我が目を疑った。
 鹽水渓というそこそこ広い川を渡り、八田ダムこと烏山頭水庫から流れてくる水路をもう一つ越えれば残りはあとわずか。
 右折して同安路という道路に出て直進すれば、左手に紅い瓦屋根のお廟が見える。これこそ飛虎将軍廟に間違いない。
 料金は厳密には覚えていないが、確か100~200元の間くらいだったと記憶している。  
 さて、お参りをしようかと外に出たところ、運ちゃんが何やら話しかけてくる。身振り手振りと合わせてどうにか意図するところを読み取ると、「ここで待っている」ということらしい。
 帰りはバスになると思い、お廟の最寄りバス停まできっちりチェックしてきたのだが(ちなみに同安路口という)、これは思いもよらぬ幸運。何しろここは北回帰線よりも南にある。気温は高く陽射しは強く、バスを待っている間に身体に変調をきたさないとも限らない。
「謝謝、太謝謝」
と感謝の言葉を繰り返しつつ、お廟へ。
 正式名は鎮安堂・飛虎将軍。この飛虎将軍とは日本名杉浦茂峰。旧帝国海軍兵曹長(死後少尉)。彼は1944年10月12日、米軍が台湾に仕掛けた大空襲を迎撃すべくゼロ戦で立ち向かった。しかし、当時旧式化していたゼロ戦では質量ともに優勢な米軍に苦戦を免れず、ついには被弾。そのまま脱出すれば助かったかもしれないところ、集落への墜落を避けるため機体を畑に向けて住民の命を救った。
 戦後、この杉浦飛行士を祀るために建てられたのがこの飛虎将軍廟。飛虎とは戦闘機のこと、そして将軍とは杉浦飛行士を意味する。
 このお廟、看板の下に日本語で「歓迎 日本国の皆々様 ようこそ参詣にいらっしゃいました」と書いてある。もうこれだけで感動してしまうのだが、これを読んで感動している我々にお廟の中にいた日本語を話せる方が気付き、つきっきりでお参りの作法を教えてくださることに。
 今更ながら本当に台湾の方々は優しく温かい。



 圧巻だったのは、タバコ好きだった飛虎将軍に捧げるために、タバコにバーナーで火をつける儀式。この発想はなかった。ちなみにタバコを嗜む人は自ら吸って火をつけるとのこと。
 3体あるご神像にバーナーで火がついたタバコを7本、お供えして思わず合掌。
 我々が一通りのお参りを終えた頃、なんと車内で待っていたはずのタクシーの運ちゃんがお参りを始めた。なんと言っていいのか、なにを言うべきなのか。咄嗟に「ありがとうございます」と言っても伝わったかどうかわからないけれど、言わずにはいられなかった。
 
 廟の中はご神像以外自由に撮影していいとのことなので、奉納された飛虎将軍の写真や制帽、飛行メガネ、勲章、徽章等々をどんどん撮っていく。













 その中に小さなお神輿があった。



 これは日本から奉納されたもの。台湾では神様はお神輿がないとお祭りに参加できないそうで、「これでようやく飛虎将軍は他の神様達と同じになりました」という言葉が深く響いた。
 最後に、日本から持ってきた『日本の翼』というお酒を奉納し、参詣の記念として飛虎将軍Tシャツを購入。しかし、タバコ好きと知っていればそのお名前にちなんで『峰』を買ってくるべきであったと反省。次回は是非そうしたい。
 案内役の方に見送られて外に出ると、タクシーがスタンバッていた。
「ありがとうございます」
と、本来であればタクシーを台鉄台南駅へ向けてもらって台北に戻るところであるが。こうして待っていてもらったおかげで気力体力時間の全てに余裕ができた。
 そこで「林百貨(リンパイフォー)」とメモを見せながらお願いをする。
「オーケー、リンパイフォー」
ちゃんと通じて一安心。
 林百貨とは何か。戦前、台南の地に唯一営業していた百貨店(当時は『林百貨店』)で、戦後閉店の後は製塩工場や警官の派出所等に使われてきたものの1980年代には主なき空虚となっていた。それが、なんと昨年見事新装開店したとのこと。
 台鉄台南駅から徒歩15分くらいのわりと繁華街な場所にあるのだが、再開発の対象にもならずにずっと残されてきたのは、台湾人の心の在り方の現れなのだろう。
 建物を生かしつつの改装ということで、外観だけでも一見の価値があるところ、中にはレアな工芸品やグッズなども各種販売していると聞けば、これはもう食指が動くどころの話ではない。
 来た時同様渋滞しらずのスムーズな道行きで15~20分ほど。格式溢れる建物にタクシーで乗り付けるとまるでタイムスリップしたかのよう。これで私の服装がシルクハットに燕尾服で右手にステッキでも持っていたら最高だったのだろうが、この烈夏の台南でそんな格好をしたら塩茹でになってしまう。
 お廟で待っていていただいた分、感謝の気持ちをチップに込めて降車。

 入り口横には戦前の林百貨店及び台南市の様子がパネルで展示されており、単なるノスタルジーやアミューズメントではない本気の姿勢に嬉しくなる。
 中に入ると1階は土産物コーナーで、南部の物産を中心に台湾各地から取り揃えた名品が所狭しと並んでいる。当然のように結構お高い。ちょっと手が出ないなぁ、とため息交じりながらも見ているだけでも楽しくなるのでゆっくり目に一周まわってみた。
 すると、中になぜか見覚えのある『宇治 三星園』の文字。何かと思えば1階の喫茶コーナーは三星園こと上林三入本店直営店だった。…宇治以外には進出していないはずの上林をまさか台南の地で見ることになろうとは。
 このままずっと1階だけで閉店まで楽しめそうな勢いだったが、さすがにもったいないので上を目指す。
 名物の一つにもなっている、当時のものを再現した(中身は当然最新式)エレベーターに乗ろうとしたところ、大きさが当時の寸法なので実に小さく5人しか乗れない。そのため扉の前には列ができてしまっている。
 やむなく階段で上がるが、これも同様に広くないのですれ違いが発生すると上りと下りが各々譲り合わないといけない。
 各階をじっくり見ながら上を目指すをいつになるやらわからないので、先に一番上まで上がってしまうことにした。えっちらおっちらと登って屋上にたどり着くと、開けた眺望に暑さを忘れる。
 小さなグッズショップの先には当時の神社(末広社)があり、一部が復元されているものの空襲で破壊された鳥居はそのままで、被弾の痕が痛々しい。



 お賽銭箱はないのだが、暗黙の了解としてお賽銭置き場になっているところへ小銭を置き、二礼二拍手一礼。
 さて、お買い物タイムになだれ込もうと思ったが、昼食がまだなことを思い出した。幸いここは百貨店なので外に出なくても食べるところには困らない。むしろ選択肢を絞るのに困るくらいである。
 何しろ次いつ来られるかわからないのだから、この1食は貴重なものになる。5階には『大手焼き』というおでんメインの居酒屋と『cocorico』という洋食レストランがあり、さて、どちらにしたものか。
 暑さにだいぶ痛めつけられていたので、決める前にまずコーヒーでも飲んで一息入れようということになり4階の喫茶『HAYASHI CAFE』へ向かう。
 最初はコーヒーだけのつもりだったが、メニューを見てみると、セットで頼めば3種の甘味、すなわちコーヒーゼリーと柿の上生菓子にプリンが付いてくる模様。
 いかな大食漢の私でもこれを平らげたあとに昼食は入らないし、逆もまた然り。
 しかしどうだ。
 三品はいずれ劣らぬ猛者の風格。どれか一品だけに絞るのも惜しい。妻に諮ったところ「これを昼食代わりにして、夕飯を早めに食べれば?」という回答が。
 というわけで。魅惑の三品にアタック敢行。甘みが濃厚だった場合に備えてコーヒーはLサイズにしておく。
 前置きはこのくらいにして肝心の味はといえば、これが見事。ゼリーは爽やかにほろ苦く、上生菓子は品良く甘く、プリンはノスタルジックに旨い。これが昼食代わりであることに一片の悔いも曇りもなくなった。



 腹一杯、というわけではないのだが満足度はかなりそれに近い。
 満ち足りた気持ちになってしまうとガツガツ買い物をしようという考えも薄れてしまい、どうしてもこれだけは、というものに絞って購入。その中の一つが林百貨店開業当時をイメージしたイラスト入りのタンブラー。
 これはもう見事と言うほかなく、すっかり一目惚れしてしまった。



 食べるものを食べ、買うものを買い。切り上げるにはいい頃合いだ。建物を出て、全景を1枚撮影。この建物に再び会うためだけにもう一度台南を訪れてもいいというくらいには惚れ込んでしまった。



 駅まで戻るのに簡単なのはタクシーだしバスも手軽だが、我々も台南には何度か来ていてわずかながら土地勘がある。ここから駅までそう遠くない上に、ほぼ一本道で迷いようもなく、さらには天候も歩くことが苦痛になる程ではなかったため、移動手段に徒歩を選択した。

 台南には何度か来ていて若干ながら土地勘がある。ここから駅までそう遠くない上に、ほぼ一本道で迷いようもなく、さらには天候も歩くことが苦痛になる程ではなかったため、移動手段に徒歩を選択した。
 久々に歩く台南の街並みには不思議な懐かしさを感じる。視野に入る光景は確かな異国でありつつも妙に落ち着くこの感覚は我が事ながら良く分からない。自分が馴染んだどこかの街に似ているからということでもない。
 訪れるたびにいい思い出を刻んで帰るからかも知れない。

 台鉄台南駅の白亜の駅舎が見えると嬉しくなると同時に、ここを発たねばならない寂しさをも感じる。



 しかし、始発の沙崙行がホームに姿を見せている。案内板を見れば発車まで5分もない。大慌てで改札を抜けてホーム階段を駆け下りると、先程まで心身を満たしていた感慨もどこかへ吹っ飛んでしまう。
 何しろこれを逃せば次は30分後。
 大汗かいた甲斐あって無事間に合ってめでたしめでたしなのだが、ぼちぼちもう少し落ち着いた旅のスタイルに移行していきたいと思わなくもない。
 しかし、沙崙駅に到着後も新幹線の切符を手配するため急ぎ足にならざるを得ない。人を押しのけて走るような真似こそしないが、「慌ただしい日本人だなぁ」くらいは思われたかも知れない。
 乗換改札最寄の自動券売機に誰もいなかったことも幸いして直近の切符を入手。セブンイレブンで飲み物を買う余裕まであった。
 ちなみに帰りも商務車で、ドリンクとお菓子のサービスを受けた後はすっかり寝落ちして体力の温存もしくは回復に努める。鉄オタの体内時計というものは不思議によく出来ていて、あと10分で終点台北駅というあたりでしっかり目が覚めた。
 台北に戻ってきたら時間は既に夜7時半を過ぎていた。昼食をちゃんと食べていないということもあって食欲は割と旺盛。駅の近辺にもホテルの近くにも美味しいお店は数々あり、豊富に存在するはずの選択肢の中から敢えて駅2階のフードコートをチョイスする。
 毎年一度はここで食べるのが最早我が家の風習と化しているので、南部に遠征した帰りはあれこれと検討しつつも最終的な結論はいつも同じになってしまう。
 込み合ってこそいたが、なんとか2人分の席を確保し交代で食べたいお店に並ぶ。私は昨夜が肉だったので今日は魚の気分。サバヒーという魚は私の好物なのだが、ちょうどそれをメインにした定食があったので即決定。ちなみに別名ミルクフィッシュともいうのだが、漢字で書くと『虱目魚』で、知らずに見たらギョッとする字面をしている。白身であっさりしつつも旨味が濃く、食べても食べても飽きのこない素晴らしい魚なのに。
 付け合わせの野菜ともどもしっかりいただいて大満足の夕ご飯となった。

 心身共に余裕がいささかあったので、寄り道などしつつノンビリとホテルに戻った。

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明けて2日目。時差は1時間しかないので特に支障はない。カーテンを開けて窓の外を見ると、空は良く晴れている。あまり暑くなると困るが、まずは観光日和と言っていいだろう。
 朝食つきなので、券を持ってバイキングへ。
 昨年同様バラエティ豊かというか無国籍にもほどがあるというか。定番のパン、白飯、シリアルに生野菜各種はもちろんのこと。ご当地メニューな中華惣菜、和食からは味噌汁に沢庵に茶そば、あんころ餅があると思えば洋食からハムソーセージにワッフルやパンプディング。デザートとして各種フルーツも揃っており、果ては蒸したサツマイモも置いてある。
 気の向くままにチョイスし、締めのコーヒーまでしっかりと美味しくいただく。 

 満腹になったところで、相談タイムとなる。さて本日はどこへ行ったものか。今回もやはり行きたいところが沢山ある。全ては回りきれない。こういう時は優先順位の高いものから片付けていく方が良かろうということで、まずは買い物を済ませて後顧の憂いを断とうという結論になった。
 台湾を訪れる動機は数々あるが、中でも台湾でしか買えないものの買い出しというのは特に強い。
今回はまず花博公園に新しく出来た神農市場を目指す。
 国父紀念館駅から板南線で台北駅へ。ここからは淡水線に乗り換えて圓山駅で下車。目の前にあるのが花博公園である。
 ここは2010年に行われた台北国際花の博覧会の跡地を利用して作られた公園で、台北という大都市の中にあると思えないほど広大である。
 目指す神農市場は駅近なので困らなかったが、道二つ向こうにある天使生活館に行こうと思ったら2キロ以上歩かなければいけないようだ。広大にもほどがある。
 さて、その神農市場であるが、ここは台湾各地の産物、特に農業関係のものを中心に集めたマーケットである。



 国を代表する特産品のお茶は勿論のこと、はちみつ、ジャム、ドライフルーツに調味料、麺類各種
等々取り扱いは豊富である。ここなら最近すっかりハマってしまった台湾産珈琲もあるだろうと期待をして訪れたのであるが、お茶の一割にも満たない棚面積ながら確かに存在していた。
 台湾産珈琲はお茶に比べれば生産規模は実に小さいもので、価格はそれなりにお高い。しかし飲めば納得するだけの実力があると私は思っている。阿里山や凍頂、杉林渓といった高級烏龍茶と同じく、高原の澄んだ空気を思わせる透きとおるような香りに私はすっかり魅了されてしまっている。
 烏龍茶は入手するアテが多々あるのでここでは買わず、珈琲のみを戦果としてお店を後にする。

 MRTで台北駅へと戻り、板南線に乗り換えて西門駅に出る。珈琲を求める行脚パート2は駅前にある蜂大珈琲店。ここでは台湾産豆で淹れた珈琲がいただけるということで前から気になっていたお店である。
 妻はブレンド、私は台湾珈琲を注文。ブレンドも香り豊かであったが、やはり台湾珈琲は格別だった。昼時だったのでなにか腹にたまるものを一緒に頼んでもよかったのだが、ここは敢えて珈琲だけをじっくりと楽しんだ。
 と、珈琲を堪能した後は烏龍茶の番。
 日差しが強ければタクシーでの移動をと思っていたが、幸いにして程よい曇天。目指す場所までそう遠い距離でもないので歩くことにした。蜂大珈琲店から西門駅へと戻り、大通りの中華路を北上。横丁の漢口街へ入って5分も歩けば台北老店(老舗)として知られる峰圃茶荘に到着する。
 毎年のようにお世話になっており、台湾に来れば顔を出さずにはいられないのは良い茶が手に入るからというのもあるが、やはり店主のお人柄だろうと思う。
 試飲試食として振舞われるお茶やお菓子をいただきながら会話するその言葉の端々ににじみ出る温かさはまるで親戚の家に来たかのよう。
 今年などは「円安だから大変でしょう?」と懐具合の心配までしていただいた。まぁ、確かに毎年同じぐらいの量を買って帰るのに今年は円換算すると過去最大額の出費になってしまったのだが。
 購入量が多いので(一番大きな紙袋2つ分)ホテルへ配達してもらうことになるのも毎度のことだが、おまけにマンゴーをいただくことも恒例になってしまっているのはいいのだろうか。毎回ホテルに戻ってからいただくのだが、味は濃厚で素人の私にも安物ではないなと一口でわかるくらいには美味しい。
 帰り際には「お昼はもう召し上がられましたか?」と聞かれ「いえ、まだなんです」と答えると「近くのいい店をお教えしましょう」と手ずから店への地図を書いて教えてくれた。
 點水樓というそのお店は小籠包が美味しいそうで、「鼎泰豊もいいお店ですが、こちらも負けません」とのこと。
 何は無くともまず小籠包。これを2籠。上海菜飯というピラフとチャーハンのいいところを集めたような中西折衷的料理があるのだが、これが好物なのでメニューに発見した時の喜びは大きかった。
あとは東坡肉に季節の野菜炒めを注文。
 小籠包は確かに鼎泰豊に負けず劣らず。並ばずに入れる分こちらが有利とも言える。大量の針生姜と一緒に酢や醤油をつけてどんどん口に放り込む。
 上海菜飯はベーコンと青梗菜を具にした中華風ピラフ。

 なんだかんだと昼食を食べずにおいて本当に良かった。心底そう思える味に出会えて、老板(オーナー)への感謝の念で満ちる。
 あとは台北駅前のNOVAというミニ電気街のようなビルに立ち寄って細かい買い物をしようと足を向けるも、改装工事中。近くに別のチェーン店もあるのだが、気力が削がれてしまったのでMRTでホテルに戻る。
 結構歩いて体力を消耗したので、軽くシャワーを浴びてお昼寝タイム。最初は仮眠のつもりが結構な熟睡になっており、眼が覚めるとすっかり日が暮れていた。
 さて、どうするか。買い物に関しては本日の結果がそれなりに満足できるものであったし、選択肢の自由度はそれなりに高い。
 実は前から行きたいところがあった。行義路温泉というのか紗帽谷温泉というのか、ガイドブックによって名前が違うのだが、MRT淡水線の石牌駅からバスかタクシーで行けるところに日本風の温泉があるとのこと。旅の疲れを温泉で癒して体力回復、という目論見なのだが。その中でも川湯温泉という店は雰囲気も良さそうで気になっていた。
 ただ、妻の方がいささか渋っていた。以前訪れた北投温泉は川が天然足湯状態になっているほどの豊かな湯量なのだが、その足湯で湯当たりを起こしたことがあるので、また同じことになるのでは、と警戒気味だった。
 とは言え、疲れをとって翌日の行動をスムーズにしたいという思いは同じだったので最終的にはオーケーが出た。
 最寄り駅まではホテルから30分もかからない。ラッシュの時間帯ではあったが、MRTは本数が多いので混雑はそれほどでもない。まぁ、日本の乗車率が異常でそれに慣れすぎているというのもあるとは思うが。
 さて、石牌駅からはどうするか。温泉街までは地図を一目見ただけでもわかるくらいに山道の連続なので「バスだと酔いかねないから」と主張したところこれが通り、タクシーを選択。
 運ちゃんに川湯温泉と書いたメモを見せればすぐに伝わり、レッツゴー。
 5分としないうちにうねうねとした山道に入るが、それに合わせたように沿道の家々は急に豪華なものになる。台北市内は地下が高くて一軒家が買えないというのが定説らしいのだが、このあたりにくるとそうでもないらしく、凝った造りの家々がずらりと並んでいる。中にはどう見ても『お屋敷』と呼びたくなるような日本風建築もあった。
 そんなこんなで退屈知らずの道中は楽しく過ぎて、温泉街に到着。運ちゃんは『川湯』と書かれた、この上無く分かりやすい看板の前につけてくれた。



 ゲートをくぐり階段を降りていくと、スピーカーから大音量で流れているのは演歌だった。よく似た台湾の曲の空耳的聞き間違えだとかではなく、思いっきり日本の演歌。私は詳しくないので誰のどんな曲かはわからなかったが、日本語なのはさすがにすぐ分かった。
 階段の脇には鯉の泳ぐ池もあり、公式サイトによると『純日本風味』なのだとか。まぁ、よくある「頑張ってるけど、違うよなぁ」ではない。ここはかなりの本格派だ。何しろ露天風呂で、入浴方法も海外でよくある水着着用方式ではなく、日本流の全裸である。







 チケット売り場で入浴券を購入し、受付の人にもぎってもらって中へ。半券は食堂で割引券として使えるのである。
 下駄箱に靴を預けるとすぐに脱衣場。ここにはちゃんとコインロッカーもあるし、鏡やドライヤーも備え付けてある。小さいが別室にマッサージルームもあり、超ベテランと思しき老人が笑顔で待機していた。
 マッサージはかなり魅力だったが同行者がいるので今回はパスするとして。さぁ風呂だ。温泉だ。
 手早く衣類や荷物をロッカーに放り込んでタオル1枚を手にして浴室へ。まずは洗い場にて汗をしっかり流す。ボディーソープもシャンプーも備え付けのがあるので、その辺の不便もない。
 さっぱりしたので、浴槽へつかる。大きい熱めの湯と小さいゆるめの湯に冷水ジャグジーの3種類があり、まずは広い方へ。
 熱めの湯が全身にしみる。そこかしこに溜まった疲労が湯の中に溶け出ていくようで、なんとも言えぬ心地だ。手足を広げて全身で湯を味わう。所謂『濃い』お湯質で、その上源泉かけ流しなのもいい。効く。実に効く。露天の解放感も効果を高めてくれるようだ。
 ただ、熱めなのであまり長く入っていられない。一旦あがって夜風で涼む。
 涼んでいて気がついたが、多くの人がペットボトルや水筒で飲み物を持ち込んでいる。早速真似しようとタオルで水気を拭って脱衣場に戻ったが、ロッカーを開ける前にハタと気づいた。小銭がないので、一旦開けてしまうともう閉められない。
 しおしおと浴室に戻り、足を洗ってぬる湯のほうへつかる。こちらは頃合いの湯温で長く入っていられる。ただ、狭い上に打たせ湯があるので人口密度がかなり濃い。
 ここは地元の方々の憩いの場でもあるので、ここは譲り合うのがいいだろう。ほどほどに楽しんで、再び夜風に当たって身体を冷ます。
 しかし、さすがは温泉と言うべきか。保温性に優れていてなかなか体温が下がらない。やむなく冷水ジャグジーに入って強制的に冷ます。
 程よく下がったところで再びゆる湯へ。たまたま誰も使っていなかったので打たせ湯にもチャレンジしてみたが、なるほど人気があるのも納得の極楽加減。
 ただし、血行が良くなればなるほどノボせやすくもなるので長く入っていられないという諸刃の剣。
 最後にあつ湯に入り直して、シメとした。

 外に出た時、まだ妻の姿はなく。出てすぐのところにあるベンチで夜風で涼をとりながら待つことにした。
 照明が強いので星空を楽しめないのだけが残念だが、それすらもさして気にはならない。MP3プレイヤーを取り出して好きな音楽たちとともに5分待ったか10分待ったか。
 女湯から上がってきた妻の姿を見て思わず一言。
「またダメだったか」
「うん…」
また湯あたりしてしまった模様。
 ただ、今回はペース配分を工夫したのでそれほどきつくはないとのこと。夕飯も食べられると主張している。
 ここはもともと温泉レストランなので食事が可能であるし、先程の入浴券の半券を使えばその分の値引きもしてもらえる。しかし今回は敢えて別の選択をしたかった。ここに向かう道中、タクシーの車窓にある店を見つけたので。
「夕飯、ひげ張にしたいんだけど」
「あ、いいよ」
ひげ張。正確には[髪/胡]鬚張魯肉飯。
 日本においては以前神戸三宮の駅前に店を構えていたこともあり、我々には馴染みのある店。現在では石川県に2店舗あるのみになってしまったので、わざわざ兼六園観光に際しては昼食に立ち寄るくらいには愛用している。
 ただ、台湾に来れば台湾小皿料理を食べられるお店はそれこそ山のようにあるのでなかなか選択肢に入ることはない。
 それでも、今回のようなチャンスがあるとなれば話は別だ。
 店の人にタクシーを呼んでもらおうかと思ったが、割と遅い時間までバスが走っているらしいので待ち時間のロスを避けてバス停に向かった。
 長い長い階段を登り、さらにその先の坂道を登って大通りに出ればすぐそこにバス停がある。次の時間を確認するまでもなく、嘘のように出来すぎたタイミングで坂の上からバスが降りてくる。
 乗り込む際に何事か言われたのだが聞き取れずまごまごしていると身振り手振りで座るように示してくれてようやく意味がわかった。
 慌てて席に着くと、すぐさま右へ左へ車体が揺れる。行きがけにもこの道行きは体験したが、バスだからか下りだからか、帰りの方が揺れる。これは注意されるのも当然だ。
 石牌駅前のバス停で降り、妻の体調を再度確認。問題ないとのことなので勇んでひげ張へ。
 店内に入ると、レジの前に列ができている。結構夜遅くなのに並ぶくらい混雑しているのか?と思ったところ、これは持ち帰りのようで、我々は列に加わることなく空いている席についてメニューをもらう。
 色々迷いはしたが、最終的には魯肉飯と季節の野菜炒めにスープの定食という定番を夫婦おのおので微妙にアレンジして注文。
 料理が来るまでの間店内を眺めていて気がついたのだが、雰囲気がほか弁や吉野家のそれに近い。日本においてこそ珍しくて美味しいものが食べられるお店であるが、台湾においては馴染みのある料理をお手ごろ価格で提供している地元のチェーン店もなんだもんな、と納得する。
 こんな当たり前のことすらも、体感してみるまではピンとこなかった。
 そんな話をしているうちに料理はやってくる。食べてしみじみ思うのは、台湾小皿料理万歳!ここまで夕飯を食べずにおいて本当に良かったな、ということ。
 温泉と夕飯とでチャージしたエネルギーの甲斐あって足取りも軽くホテルへと戻ることができた。

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毎年の事ながら、夏は台湾という我が家。
 今年は引越しがあったり仕事がかなりバタバタだったりと出発間際まで落ち着かない状況だったこともあってかなりギリギリまで行けるかどうか予断を許さなかった。最悪チケットとホテルのキャンセルまで覚悟するも、当日朝無事出発できる運びとなった。
 車にスーツケースを積み込んでいる時にも「やっぱり戻ってこい」という電話が来ないかという不安を抱えていたりしたということから、どのくらいギリギリだったかお察しいただけるだろうか。

 しかし、一度出発してしまえば雑念も去る。それよりも考えるべきことがたくさんあるからだ。道路は渋滞していないか、空港の駐車場はちゃんと空いているのか、今回の日程に問題ないのか、等々。
 とは言うものの、久しぶりに100キロを超える距離を運転するので、道中あれこれ考える余裕などはあっという間に吹っ飛んだ。
 後ろから猛スピードで迫られたと思えば横の車がウィンカーなしで車線変更してきたりとなかなかにスリル溢れる展開はなかなかの試練だったが、ちゃんと無事故無違反で関西国際空港に到着。

 懸念していた駐車場もエレベーターからは遠い場所ながら空きがあってホッとする。
 チャイナエアラインのカウンターも並ばずスムーズにチェックインできたし、保安検査もあっさり終わり、なんとも順調。あとはいつもの有料ラウンジでひと休み、と思っていたら関空の改装に伴い閉鎖されていた。
 さて、こうなると行き場に困る。残っているのはビジネスクラス以上やゴールドカード以上を対象にしたラウンジばかりだし、飲食店はどこも満席。
 右往左往していると、物陰にひっそりと存在しているパソコンデスクに気づいた。人目につかない場所にあるためか、幸いにして誰もいない。イスも机もあるので、荷物を置いてゆっくりできる。交代で飲み物等々買いに行き、くつろぐことしばし。本来であれば昼食にしたい頃合いなのだが不思議と食欲に乏しい。買ったばかりのお茶で喉を潤しつつパソコンをいじっているうちに搭乗時間も近くなり、とっととゲートへと移動する。所謂『爆買い』直後とおぼしい同乗者でいっぱいのモノレールに揺られることも、この先に待っている日々を思えばどうということもない。

 たどり着いた搭乗口で待っていたのは「出発時間10分繰り下げ」というお知らせ。これ幸いと、最後のトイレタイムとする。
 搭乗開始となっても長蛇の列なので、慌てずノソノソと並ぶ。列はゆっくりと進むが、たまーにおしゃべりに夢中な面々が流れを止めていたりする。しょっぱい。
 そんなこんなでようやく乗り込んだチャイナエアライン157便は見る限りほぼ満席。ほぼ飛び込みに近い予約でよく窓際二人並びの席が確保できたものだ。

 そのラッキーを堪能すべく外の景色を楽しむ。そのうち電子機器の使用許可が下りたので、デジカメで何枚か撮影。上空からでも「お、喜入のコンビナート」とか分かってしまうのは我ながら無駄特技だと思う。

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 そういう楽しみ方も、流石に洋上に出てしまえば続行不可能である。おとなしく機内食の配布を待つくらいしかできない。
 ちなみにこの日のメニューはチキンかポークの2択。夫婦でそれぞれ違うものを注文し、食後に感想戦を楽しんだりする。


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 飲み物は下戸のくせにビールを頼む。昼間っからビールの解放感は下戸であっても、いや、下戸だからこそ格別のものがある。せっかくなので酔いに任せて一寝入り。モーニングコールはシートベルト着用サインの点灯音だった。

 幸いにして座席のモニターから機外カメラにリンクして着陸の様子を見ることが出来るので、迫力満点の映像を楽しみながらの到着となった。
 
 1年ぶりの桃園空港が『なつかしい』とすら思えるのはこの場所にも楽しい思い出が多いからだろう。荷物を担いで入国審査を待つ長い列に並ぶのも、あまり苦にならない。
 大陸居民と書かれた薄紫のパスポート軍団に列を阻まれたりしたものの、通関自体は無事終わり入国を果たす。スーツケースを回収し両替を完了したら、あとはとっととホテルに向かっても良かったのだが、バスの中で飲むお茶が欲しくなり地下のセブンイレブンへ向かう。
 購入後はそのままフードコートで休憩。ここには春水堂という台湾の国民的カフェがあって、名物はタピオカミルクティーだったりするのだが、うっかりタピオカ抜きの単なるミルクティーを注文。その上、サイズがSとMのみだったので「じゃあ」とばかりに深く考えずMサイズを頼んだら私の知ってるMサイズの5割増くらい大きいのが来て、飲み終えるのに少しばかり手間取る。
 それでも休憩の甲斐あって気力体力ともに回復し、意気揚々とフードコートをあとにする。
 今回はバスのチケットを買うのにメモではなく口頭での注文にチャレンジしてみたのだが、無事に通じた。通じたというか聞き取ってもらえたというか。ちなみに先方の説明はうまく聞き取れなかったので「オーケーオーケー、センキュー」で済ませてしまった。まぁ、前回と同じバスなので特に問題はなかったのだが。
 バスは高速道路の事故渋滞に巻き込まれたようだが、その時すっかり眠りの世界に入っていた私は全く気付かず。目が覚めたあとで顛末を教えられる。

 そんなこんなで予定よりは遅れたが、予約していたチェックインの時間にはちゃんと間に合った。MRT国父紀念館駅前のユナイテッドホテルこと國聯飯店。相変わらずオシャレな造りで自分たちには似合わないなと思いつつも、立地の良さとシモンズベッドの寝心地に負けてまたここにしてしまった。
 昨年はたまたま空いていたので無償アップグレードしてもらったのだが、今年はさすがにそういうラッキーはなく、一般客室へ。一般客室でも居心地は十分良い。前述の通りベッドの寝心地もさることながら、バスタブが広いので旅の疲れを癒すのには実に助かる。
 一つ難点があるとすれば、居心地がいいのでついつい部屋に長居してしまうことだ。荷ほどきをしたりネット接続を確認したりベッドでゴロゴロしたりしているうちに気づけば1時間半以上経過していた。

 これでは何をしに来たのかわからない。意を決してベッドから這いずり出て身支度を整える。
 さしあたって出かける用事としてはまず夕飯、そして国境越えの移動疲れを癒すマッサージというところだが。この両者を満たせる場所として真っ先に浮かんだのは[食堯]河街夜市。
 また、ホテルの道向こうに広がる元タバコ工場の広大な敷地が松山文創園地区として再開発されたそうなのだが、ここに台湾を代表する本屋である誠品書店が出来たらしく、方角としては[食堯]河街へ向かう途中になるのでここに立ち寄ることにした。ホテルからは徒歩圏内なので夕涼みがてらのんびり歩く。
 道すがら、スーパーだったはずのところにジュンク堂(台湾表記は淳久堂)が出来ていたり、イベント限定だったはずのガンダムグッズショップが常設になっていたりと初手からノックアウト気味。

 ちなみにジュンク堂はほぼ全て日本の発売された雑誌・書籍で埋め尽くされており、「これなら日本で買うなぁ」と肩を落とす羽目になった。個人的には「え?こんな本まで翻訳しちゃったの?」という驚愕の出会いを楽しみにしていたので。







 ちなみに、店に貼ってあるポスターも完全に日本のものなので、一瞬どこにいるのか分からなくなること請け合い。

 初手からそんなショックを受けたりしたものの、目指す誠品書店にはちゃんと着けた。
 ここは書店でありながら本を扱うスペースと同じかそれ以上に台湾各地の物産を扱うお店がそこかしこにある。お茶もお菓子もなかなか良いものを扱っていたのだが、いかんせんお高い。一昨年くらいまでなら為替レートの恩恵から多少の高値も笑って購入だったのに、人生初体験となる1台湾元=4円の前には慎重にならざるを得ない。
 そもそもとして探していた漢日辞典も良いものが見当たらなかったため結局目の保養をしただけに終わり、タクシーで夜市へ向かった。丸っこいショッピングモール京華城の横を10分も走れば派手な電飾の看板と眼が光る謎のフクロウ親子がお出迎えする[食堯]河街夜市だ。

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 平日夜だというのにここの賑わいは相変わらずで。まずは体調を整える意味からマッサージへと向かう。ここには『視障按摩』、所謂眼の見えない人たちによる按摩店がある。あちこちで揉んでもらってきたが、ここや空港にある視障按摩店はその中でも頭一つ抜きん出て上手い。
 30分、テレビ付きの椅子に腰掛けてプロの技に身を委ねる。テレビでは毎度お馴染みANIMAXがソードアートオンラインの吹き替え版などを放送していたのだが、さすがに聞き取れないので、言葉がわからなくても楽しめる台湾プロ野球の中継を見ることにした。
 見始めた時は試合も中盤、点差は僅かという好展開だったのだが残念ながらマッサージ開始数分で寝落ちしてしまったので内容はほとんど記憶にない。これではアニメでも野球でも同じである。
 眼が覚めると足のむくみは見事解消されて、靴がスッと履ける。おかげで混雑した夜市を歩く足取りも実に軽い。
 夜もだいぶ遅い時間になってきているが、閉まっている店はゼロ。夕飯の選択肢は全く減っていない。めぼしいところとしては台湾名物魯肉飯のほかに鉄板焼き、烏骨鶏料理、そしてまさかの小籠包を発見。小籠包は屋台でひとつひとつ包んでは蒸してるという本格派。これは話の種にぜひと思ったが、狭い一角に並んでいる人がいるくらいの人気なので断念。
 去年も行った薬膳スープが名物の圍爐というお店へ。メニューは薬膳排骨(スペアリブ)、薬膳羊肉、魯肉飯の3つなのだから実に硬派だ。私が羊、妻が排骨。それと魯肉飯を2つ。
 肉づくしの夕飯は胃に優しくないと思われがちだがさにあらず。甘くも辛くも塩っぱくもない薬膳スープは全身に元気を届けてくれる。口へと運ぶ手が止まらない。お店の方で味にアクセントをつけるための味噌ダレもつけてもらえるのだが、最初はそれ無しでガンガンと食べることをお勧めしたい。
 台湾最初の夕飯としては申し分のない選択であったと満足して店を出る。いつもならタクシーでホテルへ戻るところを、今回は延伸開業したばかりのMRT松山新店線に乗って帰った。

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今年も台湾旅行に行ってまいります。
 関空の出国エリアにあった有料ラウンジがなくなってしまい、どこで時間をつぶそうかと一時は途方にくれましたが、なんとか安住の地を見つけて現在休憩中です。

 毎年の事だというのに今回はどうした訳か夫婦揃って妙に落ち着きません。

 何事もなければいいのですが…。

 例年より若干不安交じりで行ってまいります。

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人間としてちゃんと成長しないうちに老化が始まりそうな年齢になってしまいましたが、皆様今後とも宜しくお引き回しのほどをお願いいたします。

 それに伴いまして、拙ブログのキーワードも三十路オタから四十路オタに変更いたしました。…まぁ、あんまりこのキーワードでここにたどり着く方もい無いとは思いますが、サバを読んでいると思われるといけませんので念のため。

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あけましておめでとうございます。さきほど泊まり勤務から帰ってきました。本年もよろしくお願いいたします。

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神谷浩史インタビュー

・「やるならやればいいけど、なんで僕がやるの?」最初に依頼を受けた時からブレないアジアさん。

・野中藍さんと井上麻里奈さんでラジオやるのがオーソドックスだっていうのは、絶望放送の割と早い時期に出てた発言でしたよね。その場合どんなラジオになってたのかが最早想像出来ないレベル。

・新谷さんがいたからこその絶望放送だったというのは異論の無いところですが、「あんなことになった」っていう表現が的確すぎて言葉がありません。
 

・インタビュアーの方の「新谷さんが壊れていく過程が番組の歴史」っていう表現も同様に的確にも程があります。

・全員に久米田作品へのリスペクトと愛情が根底にあった上で「『絶望先生のラジオがやれるんだ!』」っていうのが一番のモチベーションだったというのは番組の実に早い段階からバシバシ伝わってきましたね。

・「こいつら、あの時のスタッフだ。知ってるぞ」仕事は積み重ねが重要である事を教えてくれる大変良いエピソードなのに爆笑してしまうのはなぜなんでしょうか。

・アジアさん、コーナーで一番のお気に入りは『良子・不良子・普通の子』というのは以前もどこかでおっしゃっていたように思いますが、改めてここで明言。『絶望先生』という作品から一番遠いコーナーのはずなのに、親和性は非常に高かった。その現象はこの後の部分でインタビュアーさんによって『血の通ったメディアミックス』と表現されてます。

・「当時は本当にウザかったですからね(笑)」今読み返してもウザいって本物だと思います。

・「原作があって、そこから派生してアニメーションを作って。アニメは忠実に原作に寄っていくっていう方向に進化していったんです。そして、その両方をいじり倒すラジオがある。で、結果として、そのラジオをいじってくれる原作とアニメという構図になっていって。今現在、こういう形で成り立っているコンテンツはたぶんないと思うし、当時としてもなかったと思うんですよね」ちょっと長いですが、重要なので全部引用します。所謂オンリーワン的なコンテンツは、それに関わる人間が日々何かを積み重ねていく中で奇跡のようなプラスサイクルによって生み出される物だと思っております。計算はしつつも、その計算を超えたところにあるものにしか成し得ないというか。昔風の表現だと『天の時、地の利、人の和の揃い踏み』でしょうか。それが絶望放送にはあったのだと思います。

・長くなったので分けて書きますが、絶望放送っていうのは4年という時間をかけて誰もが意図しなかった方向へと進化していきました。絶望放送という史上稀に見る存在が途方もなく成長していく姿を見守ることができて本当に幸せでした。

・「どんな失敗をしても、どんな愚痴を言っても全部ネタになる」絶望放送があらゆるネタに懐広かった全ての根源はこの辺でしょうね。

・常に最悪の事態を想定しつつ、そこに至らなければいいというネガティブハッピー思考は実に絶望放送的。コーナーで言うと『ポジティブですよね〜』。なのにアジアさんがあのコーナーを苦手としていたのは単純に投稿レベルが高すぎたんでしょうか。

・「完全に『絶望放送』はネタラジオでしたから」宣伝とか告知とか少なかったですよねぇ。そもそも初手から『ヤギ対ロシア女』とかありましたし。

・間口の広さ、投稿のしやすさはTさんの構成力によるところが大きかった訳ですが、それをアジアさんの言葉で分析しつつ語られると、その偉業に改めて頭が下がります。

・絶望ネームの武力介入は…。まぁ、しょうがないですね。番組ごとのスタンスがありますから。よそで見かけていいネタだと誇らしくなるってのはジンと来ます。私も他番組で絶望ネームを耳にすると嬉しくなるものですが、中でも軍手のイボ対ロシア女さんの快進撃は未だとどまらぬようで何よりです。

・ラジオ番組はスポンサーありき。これはラジオに限らず商業コンテンツでは当然の事ですが、いかに許してもらうか、もしくは目の届かないところで上手くやるかが腕の見せ所のようで。絶望放送は後者だった気がします。もっと言うと一歩進んで放し飼い状態というか。

・「相手との距離感をしっかりと考えた上で、相手を尊敬し、尊重した上で喋るということが、誰かとラジオをやる上で重要なことだと思います」「本当に困った時は相手を信じて投げるしかないし、相手が困った時は自分が何とかするしかないし。それは持ちつ持たれつなので」さぁ、あなたは絶望放送のどの場面が浮かびましたか?割とボールのぶつけあいだったこともあったかも知れませんが、根底にはこういう精神があればこそ、ですね。

・CM目当てでラジオ聞き始めるってのはなかなか風変わり。そして構成作家つながりでコサキンへ…。しかし、ここであっさり明かされましたけど、絶望放送の収録ってTACスタジオだったんですね。で、調べてみたら今はTACじゃなくてプロネックスって名前になってますな。あんまり赤坂には詳しくないのですが、地図を見ながらこれまで番組内で出てきたスタジオの情報を聞き直してみますと、なるほど、となります。というか、公式サイトの画像に一目で納得。

・アジアさん、ブギーナイトリスナーだったんですな。てことはアニメでやった『熱血電波人間倶楽部』の元ネタはご存知だった、と。私も学生時代はリスナーでした。ちなみに元ネタのラジオドラマで一番好きなのはコンパイラです。まだCD入手出来るようでしたらぜひ原作ご一読の上お聞きください。というか、あのCDに入ってた曲はなんだかんだで今でも聞いてますね、私。

・最後の公録はDVDにしていただいたおかげで不参加だった私でも十分に楽しめました。にしても、「おっぱい党の党員の格好をして、選挙演説をしながら登場したんです」の部分は絶望放送を知らない人が読んだら何事かと思いますよね。単なる事実なんですけど。

・「演説内容をリスナーのみんなが覚えていて、僕よりも先にそれを言ってくれたんです。「こいつら、本気でバカだなあ」と嬉しく思って。こちらが提示したモノに対してリスナーが全乗っかりなんですよね。一切の否定をしない。「100%で受け入れる姿勢が俺たちにはあるんだ」という気持ちが、イベントをやると凄く伝わってくるんですよ」なんで全乗っかり出来るか、と言えばそりゃあこれまでの信頼がありますから。どんな変化球だって受け止めてみせるぜ!的な。創り手とリスナーのキャッチボールを長くやる中で醸成された成果のひとつがあのイベントだったんだと思います。

・糸色望のオールナイトニッポンR。ネットラジオが深夜ラジオの世界に殴り込み。個人的には大成功だと思いますけど、知らない人たちが楽しめたかどうかは分かんないので…。今でも覚えているのは新谷さんの『この人編み出し過ぎじゃないですか』です。というか、この番組うっかり聞き直すと作業ストッパーで危険。

・「どこが評価されたんだと思いますか?」「いやー、まったくわからないです(笑)」まぁ、そうおっしゃると思いました。

・タイミングがあわなかったらあそこまで面白くなったかどうか、というのはありますね。

・絶望放送をもう一度、というプレッシャーは大きく強いんでしょうなぁ。あんなに面白く出来るのか、という不安は無理もないところです。それでも私は信じてます。

・「オチのない話を始めたとしても、結局オチに導いてくれる空気があの番組にはあったんですね」「落ちたところで、佐藤ディレクターが音楽を絡めて、ちゃんとネタに昇華してくれる」投げっぱなしでもちゃんと終わった感があるのは佐藤Dの妙技によるものでしたなぁ。あと、オチのないことに違和感がないのは原作の影響も…。

・「とても面倒くさかったですけど(笑)。いや、本当に面倒でしたよ。だけど、やったらやったぶんだけちゃんと理解してくれる場でした」そうおっしゃってただければ、リスナー冥利に尽きるというものです。

・他番組に一切フィードバック出来ない経験…。でもきっと何処かで生きていると思いたい。

・「限界を超えていける原動力はリスナーなので。そういう得体の知れない分母に支えられているラジオ番組は魅力的だなって僕は思います」またいつか、みんなで『共犯』になれる日が来ることを願っています。

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 ああ、このカテゴリータグを再びつけて記事を書く日が来ようとは。ただし思いのほか時間がかかったので前後半に分けて書きます。
 とりあえず、これなに?という方はこちらをご覧下さい。

番組紹介

・これを書いた人は余程のヘビーリスナーでその上かなりの文章構成力をお持ちなのだと思います。まさしくプロの仕事です。この1ページにあの4年間プラスαがみっちり詰まっています。私がやろうとして出来なかった事のひとつがここにあります。

 

高橋Pとタケさん対談

・正式タイトルは別なんですが、この表記でないとしっくりこないので。

・コーナートップに『アニラジの理想型』の8文字があって脳と心にジンと来る物があります。

・絶望放送は製作委員会側からの立ち上げではなく高橋Pから働きかけたそうですが、そうでなかったら恐らくこういう番組にはならなかったでしょうね。

・アニラジの人気や面白さをうまーく錬金して制作費を回収し番組を息長く続けていくのはやはり『稀』なのですねぇ。
 
・最初はやはり野中さんがノミネートだったんですね。そのふたりだったらどうなっていたか、の試みも新谷さんお休み回で実際に聞けましたが。その場合4年続いたかなぁ…。いや、そもそも初手からスケジュール合わなかったんですから、有り得ない架空ですな。

・高橋P曰く『版権ギリギリなこともやっていたので』っていうのはやっぱり“限りなくイエローな存在”でお馴染みのさのすけでしょうねぇ。

・副委員長会議がこの上なく機能することで原作&アニメ&ラジオの相乗効果を産んでいた事を再確認。

・佐藤D、他の番組で出来なかった事を絶望放送にブチ込む。

・講談社ライツ、3〜5回目で番組にお墨付きを与える大英断。そこにプレッシャーを感じた佐藤Dと構成Tの気持ちは痛いほど…。

・「どんどん汚れていく。この番組のせいだ!」でもまぁそれがウザンヌ役につながったと思えば…。あ、収支の試算とかはしない方向で。

・「アニメイト通販では買うな!」の暴言に対して高橋Pの「それでいい」発言。どっちかってーと高橋Pのほうが暴言だよなぁ、これ。

・絶望放送が1年で終わらなかったのは高橋Pが原因か…。アジアさんにさらっと告げるあたりの周到さはなんとも敏腕。

・「よくポカをしたので」誰の発言かは書くまでもありませんので割愛しますが、自覚はあったんですね、タケさん。

・「不思議な優しさがある番組」「ダメな人間を救うんですよ。決して切り捨てない」タケさんが言うと説得力あるなぁ。

・最後の公録についてのエピソードはひとつひとつが胸を打ちます。参加してたらもっと来る物があったんでしょうけども…。

・4期があったら続いてたのかなぁ、と思うともっとDVDを周囲に買わせておくべきだったと猛省。

・きっこおねーちゃんの17歳と1万日企画、衣装のレンタル代だけで10万越えるとか…。なお、制作費を救済する女神は自前の衣装で参戦した模様。

・原作&アニメ&ラジオの“三すくみ”は確かに機能しましたが、それ以外の部分で割とボロッボロだったのが余計に目立ちましたよね、ええ。

・男性と女性でコンビ組んでのキャスティングはギャンブル要素の高いものでしたが、この大博打は見事的中。馬券で言うと万馬券。麻雀で言えば役満。高橋Pも「あそこまで化学反応を起こしてドカーンと行くとは…」「想像の遥か上」と絶賛。

・高橋P曰く「毎週でなくても○周忌とかの節目でイベントをやるのはあり」とのこと。この発言、拡散希望!というか、具体的に何をどうしたらいいのかがハッキリしたらぜひ情報流していただきたい!


 アジアさんこと神谷さんのインタビューについてはまたのちほど。

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帰国日。正直あまり気分が優れないのは帰りたくないからだろうか、それとも蓄積してしまった疲労のせいだろうか。

 さて。唐突だが偉大なる革命家孫文を台湾の人たちは敬意を込めて『國父』と呼ぶ。そしてその國父を称えるべく建てられたのが、今回の根城であるユナイテッドホテル最寄りの駅名にもなっている國父紀念館。

 この台湾が誇る一大ランドマークをあれこれと理由を付けてはこれまで素通りし続けてきてしまった訳だが、今回はさすがに行ける。ホテルの目の前という好条件であり、朝食からチェックアウトまでの時間で悠々行って帰って来られる。
 の、はずだったのだが。寝坊が全てを狂わせた。
 朝食時間には無事間に合ったものの、時間的余裕は当初の予定よりグッと少なくなってしまった。

 それでも、こんな近くに泊まっていて素通りして帰るのはあまりに失礼だということで半ば強引に出発する。

 ホテルから目的地まではほんのわずかな距離なのだが、それでも油断の出来ない暑さが我々をさいなむ。これは今回何度も経験したが、何度経験してもまだ『慣れる』ということが出来なかった。峰圃茶荘の老人も「今年は異常な暑さです。気をつけて」とおっしゃられていた。台北に住み続けて1世紀近くになろうかという方の言葉なので実に重みがある。

 なんとか無事にたどり着き、建物の陰に入るとそれだけで割と心地よい。どれだけ日差しが強いのか、とふたりで苦笑しつつ中へ。

 孫文の巨大な銅像を一目拝もうとホールへ入ると、ちょうど1時間ごとの衛兵交代式が始まるタイミングだった。この交代式、台湾では中正紀念堂のそれが有名だが、実はこちらでもやっている。
 狙った訳ではなかったが、せっかくなので拝見させてもらおうと人垣の一部となる。
 実際の動きについては動画を撮影してきたのでそちらで確認していただくとして。
 
 機械仕掛けのように正確かつタイミングの一致した動きは余程の訓練を積まないと出来ない。特に銃剣交換の場面などはどれだけの時間を要したか知れない。この10分にも満たない時間の中にどれだけの下積みが裏打ちされているのかを考えると、國父という存在に込められた敬意の深さに思い至る。

 それに触発されたのであろうか、孫文という人物に対して改めて興味が湧いた。『せっかくなので』という言葉は実に便利かつ危険であり、衛兵交代式だけではもったいないと孫文の生涯を展示した資料室にも入ってみる。我が家では面白おかしいエピソードのほうでお馴染みになってしまっているが、勿論ここではそういう展示はない。
 建物を出ると目の前にも孫文の銅像があり、その背後が碑林になっていた。碑林というのはその名のとおり石碑の集まりであり、ここには中華民国の歴代重鎮が孫文に捧げた文字文章を石碑にして集めていた。



 とまぁこんな感じで、ちょっと立ち寄るだけのつもりが思わず時間を長々費やしてしまった。慌ててホテルに戻り、チェックアウト。慌てたためにうっかり忘れ物をしたことには桃園空港に着いてから気づく。

 さて、空港への移動手段であるが。
 来たときに目の前で降ろしてもらったのだから、当然帰りも目の前からバスが出るはずなのだが、路線バス用のバス停もたくさん並んでおり、今イチバス停がどれなのか分からない。バス停が分からなければ当然次が何時に来るのかも分からない。
 もっと言うと、我々が使用したバスは比較的本数が少ない。最悪、20分間もしくはバスが遅れたらそれ以上の時間を炎天下にて焙られる覚悟がいる。帰国日に熱射病にでもかかったらシャレにならない。

 となると、ここから乗ることは断念し、涼しさが確保されている上、大荷物を抱えても気兼ねなくゆっくり待てる乗り場を利用することにした。
 市政府駅のバスターミナルも涼しい点では合致するが、あそこは待機場所が意外に狭く、大荷物を抱えた我々にはいささか窮屈であった。

 となるとどこがいいか。幸いにしてひとつ心当たりがあった。

 松山空港から桃園空港へ行くバスがそれだ。松山空港は当然待機ロビーが結構広いし、そこからバス乗り場は目と鼻の先。周囲に居る人たちも大荷物を抱えているのが前提なので気にせずノンビリ待てる。

 ホテルをチェックアウトしてタクシーを拾う。ここから松山空港までは10分くらいかかっただろうか。そのため料金もさしてかからず。

 ここは国際空港化してからは来たことがなかったので、まずは喫茶店で一服しようかとも思ったのだが、行って見るとなんだか列が出来ているので休憩はパス。とっとと桃園空港まで移動してしまおうという結論に至る。

 バスロータリーは空港内からも見て分かるところにあるので、乗り場を自分でウロウロして確認すれば分かるのだろうが、まぁ暑いし、ということでサービスカウンターで聞いてみる。
 するとコンパクトに乗り場や発車時刻などがまとめられた案内の紙を渡される。書かれているのは当然のように日本語。それによるとバスはここから直通のものがあるようだ。こういうメモは重宝するのでとっておく。

 そのメモに従い6番乗り場に停車中のバスに乗り込む。

 バスは行天宮の近くで一度乗客を拾ったあとは市街地に入らず高速に乗ったのでこれまた快適。今までのように送迎の便があったり、もしくは台北駅近辺のホテルに泊まったりというのでなければ松山空港ルートはなかなか使えるという結論に至った。

 桃園空港は来た時と同じかそれ以上に暑かった。しかし、この暑さともこれでまたしばしのお別れかと思うとほんの少しだけ名残惜しさを感じた。

 チャイナエアラインのチェックインカウンターでは長蛇の列を職員さんが懸命に捌いていた。おかげで列の長さの割には待ち時間が短くて済んだ。こういうところはチャイナエアラインいいな、と思うのだが。

 今回の台湾旅行最後の食事は機内食があることを考慮して地下のフードコートにて軽めに済ます。ちなみに店の中ではセブンイレブンが一番人気でちょっと苦笑。

 待ち時間はマッサージと買物とで幸せに消化する。マッサージは今回結局初日の1回しか受けていなかったので、ここで受けて疲労を少しでも解消しておけるのは幸運だった。
 それにしても、もうこれ以上買う物なんかないだろうと思っていたが、ここの本屋で野球雑誌の『職業棒球』が買えたりしたので侮れない。あと、ホテルの冷蔵庫に忘れてきた台湾製の水筒もここで買い直せたのは大いに助かった。
 このマッサージ及び買物の時間はちゃんと搭乗開始時間を計算に入れてスケジュールを組んだのだが、来た時と同じくまたディレイ発生でがっくりした。

 実際に離陸する時すらも機内でそこそこ待たされたので何事かと思ったら、窓の外を見てビックリ。滑走路上でまさかの大渋滞が起きていた。飛び立つ順番待ちしている飛行機の行列なんて初めて見た。滑走路が工事中というのはアナウンスで知っていたものの、まさかここまでカオスになっているとは。

 搭乗口でも機内でもだいぶん待たされ、ようやく離陸。

 飛び立つと程なくして機内食の配食開始となる。待たされたイライラを食事で解消してもらおうという腹づもりなのだろうか。
 
 機内食は行き同様に帰りもなかなかの充実っぷり。メインディッシュのみならず脇役のはずのポテトサラダまでしっかり美味しいのは『偉い』と褒めたくなる。
 帰りは関空から車を運転しなくてはいけないので行きのようにビールを楽しんだりはせず。ただ、ひねくれ者なので子供のようにオレンジジュースなんぞ頼んでみたりするのだが。




 食事が終わればたくさんの思い出を抱えてひと寝入りし、目が覚めればもう間もなく着陸態勢だとのこと。慌ててシートベルトを締め直し、椅子に深く掛け直す。

 何度来ても新しい出会いと発見がある台湾だが、今回は特に紅毛港保安宮が思い出深い。艇長は日本の軍人なので戦死後は当然靖国神社や地元の護国神社にて祀られているのだが、別宗派にてもあのようにお祀りされている例は世界にどれほどあるのだろうか。

 探せばいくらでも出て来るのかも知れないが、少なくとも艇長がその中の幸せな一例に挙げられるのは間違いないところだろう。

 八田さんと烏山頭水庫のように、こちらの逸話もぜひ広まって欲しいものである。

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ただいま無事帰国しました。またこれから頑張ります

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1975/04/02
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今さらですが非公開に変更
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読書、創作活動(文章のみ)、野球観戦、旅行、食べ歩き
自己紹介:
三十路オタです。そろそろ三十路の残りのほうが少なくなってきました。そんな年齢なので言う事やる事古くさくてすいません。

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