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ふさ千明のおたネタ日記

漫画、アニメその他諸々の感想がメインのブログです。現在は「ここだけの話」シリーズについての感想を中心に運営しております。毎日15時の更新は終了し、現在は再び不定期更新に戻っております。

台湾旅行記2016 4日目

今日も農市は開かれているが、この日は別に行きたいところがあった。台北から南西に30キロ弱行くと、鶯歌という街がある。ここは日本で言えば信楽や常滑、伊万里のような陶器の街。
 元々夫婦揃って陶器好きということもあり1日居ても飽きない街だと思われるが、その鶯歌で工夫茶用、つまりは要は中華式茶道用の茶器を探したかった。
 というわけで、朝食後台鉄台北駅へ向かう。
 台北から鶯歌へ行く場合、朝夕ならば日本の急行にあたるキョ光号も停まるのだが、日中の時間帯は各駅停車の區間車のみが停車する。ロングシートの座席に腰掛けて揺られること30分ほどで鶯歌駅着。
 ホームの階段を上がると、コンコースに唖然とするほど巨大な壺と茶壺(日本で言う急須)があった。手前のプレートには『全國最大茶壺』と書かれている。初手から強烈な歓迎である。



 駅からの道は線路沿いに案内板がそこかしこにあるため迷いようもない。線路の下をくぐり、橋を渡れば『歡迎光臨 陶瓷之鎮(ようこそ 陶器の街へ)』と書かれた石碑に出会う。



 そこでまず目に入ってきたのは、茶色がかった直方体の建築物。夏空の晴天であるにも関わらず薄寒くなるような謎の迫力。ファミコン世代としては反射的に『悪魔城ドラキュラ』とかあの辺りを連想してしまうような、そんな建物。



 中はもちろんドラキュラとその眷属が待ち受けていたりはしない。普通に陶器の展示や販売が行われている。飲み物の自販機とベンチがあるのをいいことに少しばかり休憩。駅からそれほどの距離を歩いたわけでもないのに、休憩が必要と思わせるほどには暑い。

 気力体力を回復させて再び歩き出す。坂を登りきった先に広がった景色は、まさに陶器の街。何しろ街の地図まで陶器で出来ている。



 道が左右に分かれていたので、とりあえず右側の道を進む。
 道の両側にある店は当然陶器の店がずらり。路上にも商品が置かれており、また食べ物の屋台がいくつも出店しており、常設陶器市の雰囲気も漂う。これだけ店の数があるので、焦らずゆっくりと気に入ったものに出くわすまで何軒でもまわろうと決めて出発。







 まずは試しに1軒、手近な店に入ってみる。それなりの床面積の店内にみっしりと陶器が並んでいる。食器、置物等々と共に茶碗もあったが、残念ながら工夫茶用のものは見当たらなかった。
 諦めて外に出ると、再び陽射しに焼かれてしまう。あまり長々とは歩けない。これで気候が街歩きに適してさえいれば1日かけても何の苦もないところなのだが。

 牧歌的だった光景に突如現代的なデザインの建物が現れる。看板によるとここは『鶯歌光點美學館』というショッピングモールらしい。涼を求めるのと、品物のチェックとを兼ねて扉を開ける。

 中へ入ると、吹き抜けとなっているので開放感からか実際以上の高さにも感じられる。

 ここには陶器以外にも中華圏ではおなじみの宝石『玉』や水晶の工芸品もある。玉は以前故宮博物院の企画で触ったことがあるのだが、手触りが滑らかで温かみがあり、身近に置いて日々愛でてみたくなる感触だった。とはいえ値段と重量という問題があり、なかなかに難しい。二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉もある。今日のところは茶器のみに集中することとした。

 ここはさすがの品揃えで工夫茶用の茶器自体はあったのだが、なかなかにいいお値段がする。台北市内の専門店で買うのとあまり変わらない。
 
 続いて『老街陶館』という建物へ。ここは陶器窯を模したと思われる外観がインパクト抜群。



 そして。ここ2階でようやく探していた『入門用の安い工夫茶器』に出会った。
 あとはどのデザインを選ぶかだが、空腹だと判断を誤るということで、同じ2階にある食堂へ向かった。ここで甕仔麺という鶯歌名物が食べられるようなので、昼食。
 名物というだけあって人気があり少しばかり並ぶ。いい時間帯だともっと混雑していたであろうことは想像に難くない。
 手際よく運ばれてきたそれは、小型の甕にみっしりと具材と白いスープと麺とが詰まっていた。ソーキそばを連想させる塩味の効いた滋味深いスープが全身に染み渡る。

 美味しく腹も満たしたところで、いよいよ本命の買い物へ。
 入門用の安いものとはいえ、種類はそれなりに豊富で、かなり迷う。私が青磁好きというのもあって自然とそちらに目が向くのだが、当然白磁にも良いものは多い。おかげで大いに迷う。
 妻とふたりで店内をぐるぐると何周もして、ようやく決まった。青磁の青を池の水に見立て、水草と鯉があしらわれた柄を選ぶ。これで飲む茶はさぞ楽しいものになるだろうと心が弾んだ。

 主目的を果たしたところで、ひとつ気になるものがあったのでその場所まで引き返す。例の陶器要塞とも言うべき巨大な建物の敷地内に蒸気機関車を見かけたのだが、あれは実物の静態保存なのか客寄せの模造なのか。

 近づいてみると、ペンキはすっかり剥げ落ち全面に錆が浮いている。この年季の入り方はとても模造とは思えない。
 車両前面の顔ともいうべき部分には『鶯歌号』というプレートが掲げられ、その下には『旅途愉快 一路平安』『鶯歌鎭鎭民蘇有仁敬製』書いてある。



 文字の内容から察するに、この街の住人だった蘇有仁という人物が作ったようだが、とするとこれはその昔陶器の貨物輸送で活躍したものの静態保存ではなく模造と思われる。
 とはいえ周囲になんの説明も手がかりもないのでこれ以上は推測しようもない。それにしてもあまりにも無造作に置かれすぎている。展示しているようにはとても見えない。一歩間違えれば不法投棄である。

 まぁ、日本国内でも地方に行くと「もらったり買ったりしたはいいけど結局維持に困って雨ざらし」な鉄道車両は散見されるのだが。もう少し手を入れて整備すれば立派な観光資源になると思われるので、実にもったいない。

 もったいないといえば、駅まで戻るのに来た道をそのまま戻るのも惜しい気がして、別の道を辿ることにした。来た時に通った道は道幅が狭く店の規模も小さいものが目立ったのに比べ、帰途に歩いたところは道幅も広く、店もそれなりに洗練されているものが目に付いた。おそらくこちらがメインストリートなのだろうが、個人的には最初のほうが好みだったので、この順番で正解だったな、と一人納得する。

 駅に戻ると、何は無くともまずは給水せねばと構内のセブンイレブンでポカリを購入。
 気力体力に余裕があれば電車が来るまで駅構内及び近辺の探検に出るのだが、残念ながらそういうことができたのは30代までだった。今はただ、椅子に空きがあったのを幸い、休息を取るばかりである。

 電車の到着時刻が近づいてきたのでホームへと降りていく。

 この時初めて、鶯歌駅の広さに気がついた。ホームは2面4線でいささかこじんまりしているのだが、ホームのないところにも線路が何本も張り巡らされており、駅全体面積はそれこそ以前はここで機関車の運用をしていたのだろうなというくらいには広い。
 道路に面した場所には貨物の積み下ろしができそうな空き地もあり、とめどなく想像の翼が広がる。
 しかしその翼が広がりきる前に台北方面行きの列車が入線してきてしまい、お楽しみもここで中断。
 来た時と同じロングシートの車両に乗って台北へと戻る。

 いささか消化不良気味だったので、台北駅の中にある鉄道グッズ屋2つをめぐるが、ここでも大きな収穫はなし。この店に来るたびに購入していた台湾オリジナルの鉄道雑誌が見当たらなかったのが何よりの痛手だった。
 強いて収穫として挙げるとすれば鐵道旅行護照(パスポート)という台鉄の全駅が記載された5冊組のミニ手帳を購入したことくらいか。フルカラーでなかなかに出来は良い。
 ということで、いささか不完全燃焼気味ながら体力ゲージが尽きかけているので諦めて宿へと戻る。

 収穫物を片付けてからしばしの午睡。このホテルを選んで良かったと思うのはこういう時だ。

 目覚めると、窓の外はとっぷりと暮れている。となれば夕飯の算段をしなければならない。
 旅行中1回は高級中華を食べるのが新婚旅行以来の習わしなのだが、今日あたりそろそろ決行しようか、という結論に至る。
 ちょうど良いことにはホテルから2駅先の太平洋そごう復興館の中に鼎泰豊と點水樓という名店が2つ入っている。とりあえず行ってみて空いている方に入ろうということで出発。

 忠孝復興駅を降りて案内表示のままに進むと連絡通路の近くに鼎泰豊があるので行ってみると、入り口が遠く感じられるほどに長蛇の列が。めげずに待ち時間を聞いてみると50分とのことなので、一時撤退して11階の點水樓へ。
 こちらは幸いにして待ち時間なし。すぐに案内されて席に着けた。

 ここは日本語併記の安心メニューなので、店員さんに「これはなんですか?」といちいち確認をしなくても選ぶのになんの支障もない。互いに希望するものを挙げていき、そこから絞り込みをかけた。

 まず。鼎泰豊ほどの知名度はないもののここも小籠包の名店。スルーは許されまいと2籠注文。そして忘れてならない台湾ビールも。あとはベーコンと青梗菜が入った上海風ピラフ、トンポーロー、南乳風味のスペアリブ、空芯菜炒め等々互いの好物ばかりを欲望の赴くままに注文。

 ビールと小籠包で乾杯となるはずだったが、あれは作るのにいささか時間がかかるため、すぐに出てきた空芯菜炒めで乾杯。たかが空芯菜と侮るなかれという美味さで、ビールのつまみにする間もないほどスルスルと消えていく。

 後はもう、取っ組み合いの格闘でもするかのように、出てくる料理をどんどん平らげていく。小籠包が運ばれてきたとき調子に乗ってビール2本目を頼んだため最後はいささか苦戦したが、なんとか無事全ての料理を美味しくいただくことができた。
 どうしてもビールと小籠包をやりたかったので悔いはない。ジューシーな小籠包をドライな台湾ビールで流し込むのがなんともたまらない。
 下戸の調子こきが30分の休憩という代償で無事収まったのは奇跡という他はない。

 酔い覚ましにと地下鉄2駅分歩いてホテルに戻ったが、夜風に当たったのが良かったのか、せっかくだからと途中にある24時間スーパーで買い物が出来るくらいには回復していた。

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台湾旅行記2016 3日目

本日は休養日としていたが、朝実際に目が覚めてみると思いの外昨日のダメージは残っていない。とはいえ無理は禁物と、朝食をとってからは部屋でゴロゴロとする。

 ゴロゴロしているうちに「あれ?これなら全然動けるな」と気づく。とはいえ遠出は危険であり、体調の異変を感じたらとっとと宿まで戻ってこられるところへ行くのがよかろうという結論に至る。
 そこでMRT淡水信義線圓山駅前の花博跡地で毎週土日に開催されている台北花博農民市集へと向かった。

 台湾各地から農家の方々、そしてなぜか漁師さんも集まって産物を売りに来ている。台湾烏龍茶もさることながら、最近すっかりハマっている台湾珈琲は市場流通量が少ないのでここで買うのが一番簡単だ。
 果物も豊富なのだが、茶と違って日本に持って帰れないし、ホテルで食べるには量が多い。
 しかし、やはり美味そうなのでせめてジュースでも飲もうか、ということになる。葡萄や桃なども魅力的だったが、日本ではあまり見かけない梨のジュースにした。正直味への期待よりも物珍しさに惹かれたのだが、さっぱりとしていてなかなか良かった。


 
 さてさて。休憩も済んだところで買い物タイム。
 先に農市と同じ敷地内にある『神農市場』という台湾版成城石井っぽいスーパーも覗いてみる。ここも農市と同様台湾各地から集まった名産品が一堂に会している。農市と違って店舗内なので暑さを気にせずゆっくり品物を見られるのがありがたい。

 当然その分お値段は農市よりも上になるが茶、珈琲、はちみつ、ジャム、ネギペーストに始まって肉野菜果物ビーフンと実に豊富。少ないながら石鹸や食器等の生活雑貨も置いてある。
 ここで「相場」を頭に入れておけるのもありがたい。農市の値段は直販ならではの価格で、格安だということを忘れがちになるので。
 結局ここではお土産好適品の雑貨を数点購入するのみとなり、農市に戻る。

 第1目標の『自宅で普段飲みする用の安くてそれなりな烏龍茶』は1包200g入りが4包で1000元と破格のものがあったのでこちらのお店にアプローチする。試飲させてもらうと味はそれなり以上だったので、即決。

 第2目標の『台湾産珈琲』はドリップもいいが豆で欲しいと思っていたところにこちらも1袋100g入りが3袋で700元と大変お値打ちなものが見つかったのでこれも試飲の上で購入。台湾珈琲ならではの透き通った香りがたまらない。

 どちらも当然のようにおまけをあれこれつけてくれるので大変恐縮する。そして、こちらが日本人とわかると片言の英語や日本語を駆使して商品の説明に努めてくれるのも大変ありがたい。

 以上の成果を以て撤収し、昼食とする。
 ここ花博公園のフードコートは国際色豊かでイタリア、アメリカ、日本、ヴェトナム、インド等々各国の料理が楽しめるようになっている。ウロウロしている時からにおいに誘われっぱなしだったので1も2もなくここに決定。





 とはいえ、私は鶏肉飯、妻は麺線と結局ふたりとも台湾ご飯になってしまうわけだが。まぁ…日本はもとよりその他の国の料理は帰国後でも食べられるので。



 食べ終えてMRTの圓山駅へと戻り、まだ動けることを確認したのちに、今度は迪化街へと向かう。
 迪化街は台北屈指の問屋街で、ここは漢方薬や服飾関係等々が充実している。我々はなぜか漢方薬の問屋でドライフルーツを大量に購入しているのだが。

 しかもマンゴーなら六安堂參藥行、パイナップルは乾元參藥行とお気に入りの店がそれぞれ違う。各々の店で「シー(10)」とか「シーアル(12)」とか身振り手振りを交えつつ購入するのだが、数が先方の想定を超えているためか毎年店頭在庫では足りず奥の倉庫まで取りに行ってもらったりする羽目になる。待つあいだに店内をそれとなく見学していたらショーケースに北海道猿払のホタテが鎮座していた。さすが猿払。
 こんな感じでマンゴーとパイナップルを購入後、イチゴを一袋職場の別部署へのお土産用にと購入したのだが、これは大変ご好評をいただいた。

 迪化街と言えば。テレビドラマ孤独のグルメseason5において主人公井ノ頭五郎が訪れた食堂があるのだが。昼食は先程花博公園で食べてしまったので今回はスルー。
 
 私はさらにこのあと職場の同僚に頼まれた漢方薬を仕入れねばならないので、妻を一足先に宿へ戻してひとりその指定された店へと向かった。
 向かったも何も迪化街から100mも歩けばついてしまうのだが。

 預かった処方箋を店の人に渡し、調合してもらうのでそれなりに時間が掛かる。待つ間にお茶など出していただき、ゆっくりと店内の雰囲気を味わう。

 この時購入したのが3ヶ月分と大量だったのでさっき購入したドライフルーツと相まってかなりの体積。これで地下鉄に乗るのも憚られたため、通りでタクシーをつかまえて宿へと戻る。

 部屋で大量購入した荷物を整理しつつ夕飯の相談をする。

 この日は土用の丑の日。日本にいれば鰻を食べる展開となっただろうが、台北屈指の人気を誇る鰻店の肥前屋はおそらく人でいっぱいであろう。
 ならば鰻は諦めて台北市内の川湯温泉で夕飯と入浴を済ませてしまおうということになった。

 再び國父紀念館駅から板南線に乗り、台北駅で淡水信義線に乗り換えて石牌駅へ。ここからは路線バスで行義路三バス停まで。以前はタクシーで行ったが、今回はiPad miniとポケットwi-fiのおかげでバスの運行情報に関してその場で調べられるようになったので往復バスで、ということになった。

 待つというほどの時間も経たぬうちにバスはやってくる。夕刻ということで帰宅ラッシュも相まって結構な乗車率。幸いにして座れたが、この路線市街地を抜けるとその先がかなりな急傾斜の道でその上左右に振られるため座れるかどうかでかなりの差が出る。というか、座っていてもどこかに掴まっている必要があるくらいには揺れる。

 そんな道をバスは快調に登っていくこと15分ほど。目指す行義路三バス停に到着する。温泉目当ての乗客は我々以外にも数組いた。

 ここは山奥にあるが、派手なネオン看板が多数掲げられているので鄙びた雰囲気はない。我々が愛用する川湯温泉はバス停から坂を登ってから長い石段を延々下りた先にある。
 途中にあるスピーカーから聞いたことのない日本語の演歌が大音量で流れてくる。一説にはここのオーナーか誰かが日本の演歌が好きで、訪日するたびにCDを買ってきてはこうやって流しているのであまり有名でないものばかりになっているとのことだが、真偽の程は定かではない。

 いつもは200元払って風呂のみ利用していたが、この日はせっかくだからと夕食もここで食べていくことにした。
 ちなみにここは先に食堂でひとり400元以上食べると入浴代がタダになる仕組みである。先に風呂に入った場合は風呂の半券が食事の割引券になる。

 桜エビとキャベツの塩炒め、鰻の麹漬けの唐揚げ、スズキの蒸しもの、チャーハン等々の中華料理とともに、なぜかメニューに存在していた握り寿司1人前(6貫)を無性に食べたくなり、注文。
 それにしても、土用の丑の日の鰻をこういう形で食べることになろうとは。こういうことがあるから人生は面白い。

 中華料理が美味いのは想定していたが、寿司がかなりの本格派だったことには驚いた。少なくともネタは新鮮で、捌き方も厚過ぎず薄過ぎずと実に良好。台湾はオリジナルブランドの回転寿司があるくらいなので不思議とは言えないが、ネタもシャリも想定以上の味で大いに満足。



 想定外といえば鰻の唐揚げは完全に興味本位の注文で、未知の味だったので想定も何もなかったのだがこれも美味かった。鰻の白身魚独特の旨味が程よく引き出されていて、このあと入浴するのでなければビールを追加注文していたところだ。



 食べきれるか?明らかに頼みすぎなのでは?というくらいの量が来てしまったのだが、空腹だったからか美味さのためか全ての皿をきれいに平らげた。
 食べ終えると店のおばちゃんがやってきて入浴のタダ券を渡してくれる。これを受付の人に渡して中に入る。



 中はすぐに脱衣場で、ちゃんとコインロッカーもある。なお、有料なので要注意。荷物を預けて浴室へ。

 浴室にはあつ湯、ぬる湯、水風呂にサウナと揃っている。洗い場でサッと身体を流し、まずはぬる湯へ。程よい温度の優しいお湯が全身に沁みていく。実にいい。言葉にならない。
 身体がお湯に馴染んだところで今度はあつ湯へ。青湯と言われる濃いめの泉質で、ぬる湯の優しさはないが肌にじんわりとしみ込んでくるので効き目は実感できる。

 あつ湯は無理をせず短めに切り上げ、持ち込んだ飲み物で涼を取る。飲み物は途中で買ってきたものなのでキンキンに冷えたりはしていないのだが、これが実に染みる。
 続いて、温泉の湯を洗い桶に汲みタオルをつける。これをゆるめに絞って目の上に載せると、眼精疲労がスッと楽になる。いつも温泉に入るとこれをやるのだが、温泉成分のおかげか単なる思い込みなのか普通のお湯でやるよりも効き目があるようだ。

 湯船に出たり入ったりを繰り返して、のぼせる手前くらいに終了。きっちり身体を拭いてから脱衣場に戻ったつもりでも、汗がなかなか引かないので急いで服を着ると服がじっとりしてしまう。扇風機の風で身体を冷ましてからゆっくり着替える。

 身支度を整えて外に出ると、昼間の暑さが嘘のようだ。高地ならではの涼風が湯上りの身体に心地よい。

 ベンチに座ってしばし待つと、妻もあがってくる。

 さて帰ろうかというところで、ポケットwi-fiの電源を入れて、バスの時刻を調べる。バスがなかったらタクシーを呼んでもらわないといけないところだったが、この時間本数はまだまだ豊富にあるようだったので、降りてきた石段と坂道を戻ってバス停を目指す。
 天候のせいか星は見えなかったが、眼下に広がる温泉街の明かりが星のようだった。

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台湾旅行記2016 2日目

今回の旅行はいつもより長めに時間がある。すなわち、いつもは諦めざるを得ないところへも行くことができるということだ。
 たとえば、台湾最南端の鵝鑾鼻燈台。

 昨年『ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE』を観たからというのもあるが、鵝鑾鼻燈台の南に広がるバシー海峡は太平洋戦争の隠れた古戦場のひとつだ。この目で見ておきたいという思いは以前からずっと持っていた。それに、単純に最南端まで行ってみたいという思いもある。

 行き方自体はさほど難しくはない。新幹線の終点左営から高速バスで恒春か墾丁まで出て、そこから先は路線バスの鵞鑾鼻行きに乗り換えるだけ。

 ハードルを押し上げているのは所要時間だ。何しろ遠い。距離にして大体450キロ程度だが、上記の最速ルートでも片道5時間程度かかる。行ってみたいというだけで行くにはいささか遠すぎるだろう。
 しかし。行ってみたいという思いはどうしても止み難かった。

 というわけで。日程的にもコンディション的にもこの日がベストと判断し、朝食後とっとと出発する。

 台北駅からは台湾新幹線こと高鉄で終点の左営まで。台中しか止まらない最速達列車で行こうとしたところ満席のためか券売機で切符の選択画面にすら出てこなかったので(存在自体は電光掲示で確認済み)、一部通過である準速達の切符を確保。このあとの長旅を考慮して商務車(グリーン車)を押さえる。

 乗るべき619号は台北9時21分発、左営11時20分着の予定。約2時間とそれなりの乗車時間だが、それでも今日の最終目的地到達所要時間の半分にも満たない。
 今までは台北が始発駅だったので早めにホームに降りて車内で待っていれば良かったのだが、南港駅開業に伴いその手は使えなくなった。やむなくホームのベンチでぼーっと待っていると、程なくして列車は入線してくる。
 乗り込むと、車内はそれなりに空いている。平日の午前中なのでこんなものだろう。台北を出て次の板橋に到着する頃にはアテンダントさんたちが姿を見せる。台湾高鉄においては商務車でおしぼりにお菓子とコーヒーが出るのはいつものことなのだが、今回はミネラルウォーターまで付いてきた。



 新聞の貸し出しもやっていたが、我々の愛読する蘋果日報(アップルデイリー)紙がなかったのでこれはスルー。

 板橋を過ぎて地上部分に出ると、窓から差し込む強い陽光。快適な車内だから平気だが、もし徒歩だったらあっという間に炒りつけられてしまいそうだ。

 北回帰線を越えるとこれがさらに強化されることは既に経験済みなので、商務車のおかげで割と優雅に構えていた気持ちがいささか引き締まる。

 11時20分、左営着。
 駅のコンコースを出たところに左営発墾丁行き高速バス『墾丁快車』の切符売り場がある。二人分を往復で購入。次は12時発で、少しばかり余裕がある。外のベンチで待っていても暑いだけなのでセブンイレブンで買い物を済ませてから駅ビルの三越へ退避する。
 最初は地下のフードコートでのんびりしようかと思っていたのだが。いつの間にか、ここにガンダムベース台湾の2号店が出店していた。






 これは行かねばなるまいと思い中を覗いてみると、1年戦争時代のモビルスーツから最新のオルフェンズまで実に種類豊富に在庫を取り揃えている。ただし1号店のように書籍類は置いておらず、プラモデルのみ。

 台湾の物価は日本の半分程度なのでガンプラと言えどもそれなりに財布を痛める。それでもなおこれだけの一等地に店舗を構えるだけの人気があるというのはさすがと言うほかない。

 思い入れがあるのでいささか長居をしすぎた。フードコートに行く余裕などとっくになくなり、急ぎ足でバス乗り場へ向かった。

 バスは到着していたが、まだ改札を開始していなかったので、最後尾に並ぶ。墾丁はリゾート地なので、我々の前に並んでいる人たちは皆それなりの装備をしている。ちょっとそこまで、みたいなノリは我々ぐらいだった。
 発車時間間際になってようやくバスのドアが開く。先ほど購入した切符を渡すと、代わりに行き先を書いた紙を渡される。どうやらこれは下車札のようで、降りる時に渡す模様。

 どうせ終点まで乗るからと最後列の5人並び席に陣取る。窓際にはUSBの差し込み口があり、タブレットやスマホを充電ができる。これは確かにセールスポイントとしてはなかなかに良い。ただし、事前に仕入れた情報と違ってトイレが付いていない。どうやら付いているのは一部の車両のみのようで、2時間半トイレ無しの旅路となるようだ。これは迂闊に水分を摂りすぎるとエラいことになるな、と気を引き締める。

 窓から差し込む光は、台北よりもさらに強い。今まで何度か高雄には来ていたが、高雄市内はほぼ素通りしてきたので目に入ってくる景色全てが新鮮だった。

 バスは左営の駅前を発車すると下道を少し走って高速道路に入る。平日の昼間なのでトラック等で渋滞していたが、空港横を過ぎる頃にはそれも解消し、快調に進む。
 高雄市と屏東県の境界である高屏渓を越えると、景色はぐんとのどかなものに変わる。所謂「熱帯」という言葉からしばしば連想されるような背のヒョロ高い樹があるので何だろうと思ってよく見るとバナナの樹だった。植物園以外で実物を見るのはこれが初めてだ。
 土地は平らかでそこかしこに農地が広がっている。屏東が物成り豊かな地であることが一目でわかる光景だ。実際、屏東産の果物をしばしば口にするが、いずれも滋味豊かである。

 その屏東の眺めも海が視界に入る頃には唐突に終わりを告げる。山が急激に迫ってきて、平地をぎゅっと狭める。その狭い平地をバスは縫うように走る。これまで離れて走っていた鉄道の線路も寄り添うように近づいてくる。鹿児島の市街地から指宿方面に南下していくとこんな光景だったことを思い出す。

 海の眺めは良いものなのだが、海岸線が単調でどうにも眠気を誘う。かてて加えてなんの前触れもなく豪雨が降り始めたこともあって、いつの間にか夢の世界へご招待されており目が覚めた時には既に恒春の市街地だった。
 ルートとしてはここ恒春のバスターミナルで降りて鵝鑾鼻行きのバスに乗り換えるという手もあったが、せっかくなのでこのバスで終点まで行くことにした。

 恒春の街を過ぎ、墾丁国家公園に入ってから見える海はリゾートの香りに満ちていた。穏やかな波に白砂が洗われる南湾海水浴場ではたくさんの人が夏の海を楽しんでいる。ここのバス停で降りていく人も少なくなかった。
 我々はもう少しだけ進む。夜市を思わせる飲食店街の真ん中に墾丁のバス停はあった。バスから一歩外に出ると、温度差にクラクラした。しかし、慣れると苦痛というほどでもなかった。やはり海沿いは過ごしやすいのだろうか。

 ここで鵝鑾鼻行きのバスを待つのだが、2時間半の長旅だったので、何は無くともまずはトイレ探しから。
 幸いバス停から少し歩くと派出所の敷地内に公衆トイレがあった。ここで用を済ませ、その先のバス停から鵝鑾鼻行きのバスに乗り込む。

 地図を見るとバスに乗った場所から鵝鑾鼻までは頑張れば歩いていけるんじゃないかと思うような印象すらあったが、実際に乗ってみるとそれなりに遠いことがよくわかる。うっかりと調子に乗った行動を取っていたらこうして旅行記を書くこともなかったかも知れない。
 街並みから外れ、森と海の狭間を順調に南下していたバスが、特にアナウンスもないまま道端に止まる。窓の外を見てもバス停もないのでなんだろうと思っていると、運ちゃんがやってきて何やら説明を始めた。どうやらここが終点な模様。
 というわけで我々含めすべての乗客が車外に出る。
 ちなみにバス停は信号のない交差点を挟んだ向こう側にあった。あの場所に止めてしまうと待機場所と思しき先程の停車位置(涼しげな木陰)まで戻すのはそれなりに骨が折れそうなので、なるほどと納得。

 バス停の向こうに鵝鑾鼻の文字が書かれた看板を見つけ、ようやく実感が湧いてきた。




 道は看板の手前で二手に分かれていたが、タクシーの運ちゃんが「鵝鑾鼻公園なら向こう」と教えてくれた。指し示された先、バスも停まれる大きな駐車場の向こうに鵝鑾鼻公園の入り口が見える。

 数百メートルしか歩いていないが既にどっぷりと汗をかいているので、入り口横のベンチで水分塩分補給。屋根付きで日陰もあるので大変心地良い。うっかり長居しそうになるところを、どうにかこうにか意を決して立ち上がる。
 窓口で一人60元の入園チケットを購入し、中へと進む。

 まずは案内板に従ってランドマークの燈台を目指す。最初はゆるかった上り坂が途中から徐々に傾斜を増していく。これが思いの外きつかったのは歳のせいか暑さのせいか。坂の途中の木陰が『涼しくて座れる』という抗しがたい吸引力を持っており、ここでくじけて一息入れる。どう見ても我々より若い人たちやこの人たち台湾人だなぁという人たちも同じところでくじけているので、暑さのせいということにしておこう。
 「あ、ここからでも十分見えるな」と汗を拭き拭き見上げた白亜の塔はタオルの手が止まるほどに凛として美しかった。かつては大日本帝國最南端の燈台であり、交通の要衝バシー海峡を今も昔も見守っている鵝鑾鼻燈台は神々しくすらあった。



 もっと近くで見たくなり、休憩もそこそこに木陰から出る。坂を上りきったところに『鵞鑾鼻(原文ママ)』と書かれた石碑があった。ここが台湾八景であることを示すこれもまた、日本統治時代のよすがである。




 そして。ここから見える海がバシー海峡だ。先述のとおり、太平洋戦争の隠れた古戦場のひとつ。日本と南方をつなぐ重要な交通路であったためアメリカの潜水艦に網を張られ、多数の輸送船が沈められている。私の祖父もここを通ってフィリピン、そしてビルマ(当時)へと旅立って行ったのだが、その時は幸い無事に通過している。




 この海で失われた数多の命を想い、深々と一礼。

 概ね目的は果たしたようなものだが、ここまで来たのでせっかくだから燈台の中も見学させてもらおうと足を向ける。しかし、直線で向かわず手前の売店に吸い込まれてしまうのは熱中症対策という点からもやむなしであろうか。
 いつもなら烏龍茶なのだが、それだと塩分補給にならない。さてどうするかとおもって店の冷蔵庫を覗く。「おお、ポカリがある」「助かった」しかもこれが日本からの輸入物でなく現地生産品なので安かったのもありがたい。1本30元なので円換算すると100円しない。

 店の前にあるベンチでキンキンに冷えたポカリをいただく。目の前に燈台を見ながらの休憩に心は逸るも、無理は禁物。1本をゆっくり飲み終えてから立ち上がる。

 改めて目を向けると、石畳で作られた道がまっすぐ伸びているので、見た目ちょっとドラクエを思い出させる。周囲に塀を巡らせてちょっとした要塞めいた作りになっているのは、実際ここが世にも珍しい武装燈台だったことに由来する。
 記念写真を撮っている人たちの横をすり抜け、下に立って見上げる。巨大とか壮大とかそういう圧倒感はないが、不思議な威厳に満ちていた。



 燈台手前の建物が小さな資料館になっており、せっかくなのでここも入ってみる。この手の資料館にお馴染みの模型に昔使っていた地図や印箱に入った大量のゴム印なども展示している。私も物好きなのでこの手の小さな資料館はあちこち回ってきた方だと自負しているが、ゴム印は初めて見た。『国は違っても似たような文言使うんだなぁ』とか『繁体字は字画が多いので作るのが大変そうだなぁ』等々割と興味深くてすっかり堪能する。
 さて。メインディッシュは終えたものの、公園内はまだまだ見所も多い。海岸線まで下りることもできるようなので、バシー海峡の波に足を浸してみてもいい。
 だが、この時既に時計は16時半を回っている。台北まで5時間かかることを思えば、ぼちぼち引き上げる頃合いであろう。

 この公園は入口の近くに専用出口が設置されているのだが、通路がそのまま土産物屋に直結しているという実に清々しいつくりになっている。
 日本語で「サンゴ」とか「珍しいお土産」とか声をかけられるが、省みる余力もあまりないのでそのまま素通りする。お廟の前だけは一礼したが。

 やって来た道をそのまま引き返し、屋根が付いてベンチもあるバス停でポカリを飲みながら待つ。鵝鑾鼻行き終点のバス停にはこのような設備はなく、待つ時間の長い始発のバス停にこういう設備をつけてくれるところはなかなかどうしてきめ細かい配慮。

 待っているうち、我々の他にも1組2組と徐々に人が集まってくる。3組目がやってくるのと時を同じくして、墾丁の街中をめぐる『墾丁街車』バスがやってきた。リゾート地らしく、路線バスなのにハイデッカーの豪華仕様。これに乗り10分ほど走った先の、墾丁快車の始発バス停『小灣』で降りる。
 ここでもまたしばらく待ち時間がある。近くにコンビニでもあれば良いのだが、生憎とシーザーパークとハワードビーチリゾートというリゾートホテルがあるばかりで、あとは何も見当たらない。
 無遠慮にホテルの売店へ突撃する気力もないのでおとなしく待つ。

 最初にやって来たのは空港行きなのでスルー。その数分後にやって来たバスは今度こそ高鉄左営行き。このバスもUSB充電はできるがトイレは付いていないという微妙にありがたくない仕様。

 バスは数時間前に来た道をひたすら戻る。
 この日、運動量としてはそれほどではなかったのかも知れないが、移動と暑さで疲労が溜まっていたのだろう、バスが走り出すと程なくして座席に取り込まれるように深く座り込んで居眠りに突入してしまう。

 途中、台鉄枋寮駅前バス停の手前で目が覚める。ここから台鉄に乗り換えて帰っても良かったが、実は特急である自強号に乗ってもこのままバスに乗っても所要時間はあまり変わらなかったりする。せっかく初めて乗るのであれば、もう少しコンディションの良い状態で乗りたいという思いもあって下車はせず、すぐまた眠りの世界に送り込まれる。結局この後も寝たり覚めたりで到着間近になるまで夢うつつの状態が続く。

 ただ、あとで気がついたのだが、トイレの問題があるので多少の手間は惜しまず鉄道で帰るのも良かったかもしれない。
 さて。無事左営に戻ってきたところで夕食タイム。高雄市内は六合夜市等々食事をする場所には事欠かないのだが、今から探して回る根性も尽き果てているので左営駅ビルの三越にて夕食とする。

 ここに来るとレストランよりもフードコートに惹かれてしまうのでとっとと地下に降りる。

 以前から丸亀製麺と寿がきや(台湾名『壽賀喜屋』)が入っているところに、『かつ丼 トンテキ 豚一屋』という店が加わっていよいよ自分がどこにいるのか分からなくなってきた。








 天婦羅を揚げる良い香りに誘われたりもしたが、そこはさすがに割り切って夜市風ご飯を食べられるお店へ向かう。なにしろ私の大好物虱目魚(サバヒー)を塩焼きにした定食が食べられる貴重な機会を逸するわけにはいかない。
 妻は台湾南部名物の担仔麺。
 ここの定食はメインの虱目魚もさることながら、付け合わせの青菜、メンマ、豆腐の醤油煮込み、わかめスープもなかなかに良い。そして白いご飯と一緒にいただけるというのが何より良い。ほどほどの塩加減が虱目魚の脂をグッと引き立ててくれて、どんどん飯が進む。



 隣のテーブルでは学生っぽい女子がひとりで丸亀製麺のうどんを前にいささか緊張した面持ち。どうしたのかと思って見ているとスマホを取り出し、うどんを撮影。撮り終えると箸を取り、恐る恐る食べ始めた。
 察するに『初めてのおうどん』なようだ。その様子を微笑ましく思いつつ、残りを平らげる。

 食べ終えて、まだ少しばかり時間に余裕があったので高雄牛乳大王というフルーツメインのジューススタンドでパパイヤミルクをいただく。

 高鉄左営の駅に戻る途中、地下鉄のコンコースを通るとグッズの売店があり、鎌倉の江ノ電とタイアップしている旨の広告看板とともに、日本でいう鉄道むすめっぽいイメージイラストの看板もある。







 あまり時間がなかったためチラ見してちょっと撮影するので精一杯だったが、なかなかどうして油断ならない。
 
 高鉄は左営20時55分発、台北22時28分着の160号の切符を購入。今度こそ台中しか止まらない最速達に乗る。夜の闇を切り裂いて走る高鉄の車中、気持ちは既に明日の行程に向いていた。

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台湾旅行記2016 初日

毎年恒例台湾旅行、今年は10周年ということでいつもより1日長く設定してみた。期間が長い分、今までやってみたくてもできなかったことをひとつ、計画に入れる。
 
 出発当日まではいつもどおり紆余曲折に満ちていたが、どうにかこうにか片付けて無事出発できる運びとなった。
 フライトは関空発13時の便なので、諸々見込んで9時前に自宅を出発する。愛車のエンジンをかけると、この時カーステレオから『1/6の夢旅人2002』が流れるのは、すっかり儀式のようになっている。

 道中はさしたるトラブルもなく、スッキリと晴れた青空のもと関空大橋を渡る。
 駐車場からターミナルに移動し、いつもであればそのままチェックインカウンターへ行くところだが、今回はポケットwifiを借りる算段をしていたので、その受取場所へ先に行く。そこが我々の使う中華航空のチェックインカウンターと真逆の場所にあったので、混み合うターミナルを端から端まで延々移動する羽目になったりしたが、レンタル自体は無事に終わった。

 時間に余裕があったので、普通であればどこかで一服するところなのだが。
 wifiを借りるために1タミの4階を大横断をして、あちらこちらのチェックインカウンターに大量の団体客がひしめいていることを身にしみて実感したため、まだ混雑していないうちにとっとと保安検査を済ませてしまおうということになった。

 ただ、保安検査場の向こうには一服できるような店が少なく、以前まであったネカフェもなくなってしまったので安住の地を確保できるかどうかがネックだったが、行き場がなくなるようであればこれを口実にクレカをゴールドにしてしまおうと思っていた。

 さて。そんな事前の思惑をよそに、根城とするべき場所は意外とあっさり見つかったのだが、ここが別に喫茶店でもなんでもないところで単に座れるというだけの場所。なのでせめて飲み物くらいは調達してこようと売店に向かったところ、これがどの店も長蛇の列。やむなく自販機で緑茶を調達する。

 借りたiPadminiの練習とばかりにTwitterでつぶやいたりしているとやはり小腹がすいてくる。妻に諮ると、とりたてて空腹ではないとのことなので私一人でさまようことになった。

 さっき飲み物を求めてうろついた時には長蛇の列を形成していたプロントが一転すいていたためチャンスとばかりに並ぶ。妻へのお土産として十勝あんぱんやカットピザなどを購入しつつ、ビールとナポリタンでほぼ昼食に近いブランチとした。

 午前中から飲むビールはなんとも爽快で、人をダメにする味がした。ナポリタンにしたのは、台湾にもイタ飯屋はそれなりにあるものの、ナポリタンだけはついぞ見たことがなかったからである。

 そんなこんなで持て余すはずの時間はあっという間に過ぎ去り、搭乗ゲートに向かう頃合いとなったのでモノレール乗り場へ向かう。

 41番搭乗口付近のソファは既に人で埋め尽くされていたので、おとなり40番側のソファに座って待つことしばし。予定時刻より少し遅れて案内が始まった。

 機内がほぼ満席なのもいつもどおり。
 機内食。妻がシーフード、私がチキン。シーフードはエビと魚のビスクにサフランライス。チキンは鶏肉とキノコの中華炒め。サラダのドレッシングはキューピーだったのはまだしも、マンゴーケーキが台湾のものでなく宮崎製であることが衝撃的だった。台湾名物のマンゴーを、なぜ…という疑問が自然と湧いてくる。

 まぁ、考えても結論が出る話ではないし、とっとと平らげてしまうことにした。マンゴーケーキ自体は旅のおやつとしてとっておくことにする。

 例年であれば機内食のあとはパソコンを取り出して文章を打つなりなんなりするのであるが、今年はポケットwi-fiのおまけで借りてきたiPad miniがあるので、慣らし運転がてらいじり倒す。

 もともとmacを長く使ってきたので、感覚的に戸惑うところはさほどない。何を行うにもファイルではなくアプリで、というところだけが要注意だが。

 機内wi-fi(有料)という誘惑にも打ち勝ち、ある程度習熟した頃合いに飛行機は着陸態勢となる。

 台湾桃園空港着。

 トラブルなく入国審査も荷物の回収も両替も終わり。まずは地下のフードコートへ向かう。タピオカミルクティーの春水堂で一服。

 ここは激戦区なようで毎年少しずつ店が入れ替わっており、今年はヒゲ張のニックネームでお馴染みな魯肉飯屋さんを見つける。現在日本で唯一店舗がある金沢まで食べに行ったことがあるほどに好きなお店なので「ここで夕飯を済ませてしまおうか」という話にもなりかけたが、さすがに思いとどまった。

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 また、毎回ここのセブンイレブンでバス内で飲む用のお茶を購入しておくのだが、店内で売っているドーナツがミスドでちょっとびっくりする。日本でもやってほしいと思いつつ、夕飯が食べられなくなったら困るので購入は控える。

 1階に戻ってバス乗り場へと向かう。

 切符を購入して待っていると、韓国人と思しき女性から地図を片手に英語で話しかけられる。
 ハングルと英語の書かれた地図にはホテルの名前と場所が書かれており、どうやらそこへ行くバスを探しているようである。
 そのホテルはバスの路線から外れていたため、どうしたものかと悩みつつとりあえず「台北駅からタクシーに乗ったほうがいいのでは?」という結論に至る。
 至ったのだが、それを伝える前にその女性の連れの男性が解決策を見出したようで、礼を言いながら去っていった。

 まぁ、それはそれとして。
 我々の乗るべきバスも間もなく発車時間になっていたため、エアコンの効いた室内に別れを告げ、乗り場へと向かう。

 バス乗り場の係りのおっちゃんに切符を見せるとどこで降りるのかを聞かれたので「國聯大飯店、United Hotel」と答える。おっちゃんは二三度うなずいて並ぶ場所を示してくれたのだが、それに安心してバスに乗り込んだ時には「ニーハオ」しか言わなかった。

 思えばそれが間違いだった。

 我々が降りるべきバス停をスルーされてしまったのだ。やむなく終点の松山空港まで行ってタクシーにてホテルに向かったが、長年通っているからこそ油断せずちゃんと意思表明はせねばならないと痛感した。

 そんなわけでちょいと時間もお金も予定よりかかったが、無事宿にチェックイン。

 今回我々の根城となるのは801号室。ありがたいことに角部屋でちゃんと希望どおりのツインルーム。窓の外には台北101もしっかり見える。

 我々をシーザーパークからここに移る決意をさせた寝心地の大変良いベッドにてしばし仮眠をとり、気力体力を回復させる。
「さて、どこへ行こうか」
初日の夜の過ごし方はこの旅行全体に影響を与えるため、必ず確認を取るのだが、まぁ答えは決まったようなもので。

 最低限の荷物を持って饒河街夜市へ。ここの夜市の按摩店で足ツボをやってもらってから薬膳料理屋で夕飯というのがほぼ毎年おきまりのコースになっている。

 MRT板南線國父紀念館駅からふた駅乗って忠孝復興駅で文湖線に乗り換え、次の南京復興駅でまた乗り換え。松山新店線で終点松山駅に出れば、階段を上った先はもう饒河街夜市である。乗り換え2回はいささか手間だが、タクシーで行くしかなかった頃を思えば便利になったものだ。

 うっかり出口を間違えて按摩屋さんと逆方向に出てしまったので、混雑する夜市の人波をかき分けかき分け延々歩く。荷物を最低限にしてきて本当に良かった。

 激戦区の夜市なので毎年微妙に店が入れ替わっている。その中で年々勢力を広げ、今や出店4つ分くらいのスペースを有するようになった胡椒餅屋はさすがというしかない。それでも捌ききれない長蛇の列に、毎年スルーを余儀なくされているのだが。

 そしてこれも毎年のことだが、混雑している夜市ではひとの流れガン無視スマホぶんまわし勢に道を遮られることがしばしば。大抵日本人か大陸居民なので英語で注意すると割とすんなり道は開く。

 コツは「Please clear my way!」と、流れるようにハッキリと、そしてにこやかな笑顔で言う事。

 そうして5分歩いたか10分歩いたか。無事按摩店に到着。店内は繁盛していたが、運良く次の順番が取れた。我々よりも一足遅く到着したカップルは30分待ちと言われていたので本当にラッキー。

 空いた椅子に座り、先に足湯をしてもらう。程よい湯加減にほぐれていくと、既にもう眠気がやってくる。さすがにこれはどうかと思って、肘掛に据え付けられたテレビをつけてみる。3ケタに届こうかという多チャンネルなので一周全部チェックするだけでも結構手間取る。ファミリー向け、子供向け、ニュース番組といろいろある中で、台湾プロ野球の中継があったのでこれに決めた。
 ただまぁ、結局足湯の心地よさに負けて寝てしまったのではあるが。
 按摩師のおっちゃんに起こされ、挨拶もそこそこに施術を開始してもらうが、やっぱり寝てしまう。どれだけ眠かったのか自分。普通は足ツボマッサージを受けると痛い痛いを連呼してのたうちまわるイメージが一般的かもしれないが、ここの店ではそういうこともなく、毎回気持ちよさに寝てしまっている。

 そんなわけで「オワリマシタ」の声で目覚めるまでの記憶はほぼない。しかし、施術の効き目は靴を履くときにすぐわかる。足がすっと入っていくのだ。寝こけていた時の疲労感は何処へやら。心身ともにスッキリするとともに、食欲も湧いてきた。

 足取りも軽く薬膳の店『圍爐』へ。ここのメニューはシンプルに薬膳排骨(スペアリブ)、薬膳羊肉、魯肉飯のみ。このほかに飲み物もあるので、「せっかくだから」と調子に乗ってビールを注文。
 昔から「良薬口に苦し」と言われるように、身体にいいものは受けつけ難い味がするとイメージされがちだが、ここのは旨い。肉本来の旨味が滋養となって体内に元気を届けてくれる。さらにこの店オリジナルの辛味噌と合わせるとどれだけ食べても飽きが来ず、しかもビールにもぴったりの味となる。

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 酒にそれほど強くない私でもさすがにビール1杯をふたりで分け合ったので酔いがまわることもなく、完食して上機嫌で地下鉄の駅に向かった。

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かくしごと1巻 感想

なんか久々に書くので色々忘れてます。不手際ご容赦ください。


・表紙を見て「え?姫ちゃん黒ぱんつなの?」とかいう感想を抱いたひとはわたしと一緒にスコップの刑を受けましょう。
・「隠し事は」「描く仕事でした」ラストから始まる物語。
・とりあえず開明墨汁のTシャツが欲しくなりました。
・「姫が知ったら」「どーする?」死んだらどーする?に匹敵する深刻さ。
・「父親が恥ずかしい漫画描いてるなんて知れたら」「学校でいじめられるだろ!」ですなぁ。
・「姫にそんな事言われたら」「パパはもう生きていけない!」めんどくさい人だなぁ。気持ちはわかるけど。
・「昔は全裸でしか描けなかったのだ!」あ、私そういう漫画家さん知ってます。
・誰かによく似た、メガネをかけた真ん中分け少女がツボです。
・担任の六條先生、今までの久米田キャラにはなかったタイプではないでしょうか。あと、久米田ワールドのキャラではないんですが、その昔『ろくじょうひとま』という名前のキャラがいた事を思い出してちょっと懐かしくなったりしました。
・『亀の雫』『夏子の豆』『風のタイツ』次回作は『さぶさん』とかどうでしょうか。
・「お母さんに捨てられちゃいました」あー。
・「着れるやつ」どんなデザインでも、貴重さを考えるとおいそれと着られないんですよ。
・もしクオカードがなくなったらこの手の読者プレゼントは何になるんでしょうねぇ。
・「お父さんは上場しないの」もし久米田康治株なるものがあったらとりあえず一株株主から始めさせていただきたい所存。
・「エピソードの8割方が実話からのフィードバック」8割は多いのか少ないのか。

・「ダークファンタジーとか描いちゃうぞ」「すし屋がケーキを握るようなもんですって‥」ケーキを作るんじゃなくて握るってのが生々しい。
・とりあえずどう見ても藤田先生なキャラが長髪なのはご本人からのリクエストに応えてですか?それとも配慮ですか?
・「漫豪」日本より先に台湾で定着しそうな…。
・「スクールカースト」おぞましい単語ですよねぇ、コレ。
・「私 読みたいです!」「先生のダークファンタジー読みたいです!」『楽園』でやりませんか?
・「作家の描きたいものを描かせないのが編集の仕事です!」この本で一番生々しいセリフはこれですかねぇ。
・「週刊マンガジン」創刊時は『漫画人』だったっぽいですねこの雑誌。
・この手の勘違いはプロ野球に入った事で満足しちゃう選手とかに相通ずるものが。
・橘地 莉子よ、眼鏡はどうした眼鏡は!
・古武 シルビアっていう名前が古武術→後藤強さんを連想させるんです。させるんです。
・「ここいらで暮らしているおしゃぴーはな」「自分の事にしか興味ないんだ」「他人がなにやってるかより」「今日の自分の靴下の色に興味があるのさ」石ころ帽子をかぶって生きられる平穏。
・私もりんごの小箱をいじくり倒してますが、意識はずっと低空飛行です。
・「しかしいくら漫画が売り上げで貢献しても」「漫画部門は出版社内ヒエラルキーの底辺である」漫画というものが登場してからずっとこうですよね。理由は知ってますが理解ができません。

・「まんが飯」既にそういう漫画ありますなぁ。
・バルサンを焚く、の危険度がMAXなのは、家の中に誰もいられなくなるからですね。ええ。わかります。
・「餃子作ったから間に合ったんだろうが」「このドシロウトが!」わかる。支持する。論理性は欠片もないけど。
・甘くておいしいカレーってどんなんだろう。
・「鎌倉病」ここから延々と生々しい話が。
・「不審者!」最近の学校の先生は刺股の使い方習います。
・「ママに教わらなかったの?」嗚呼…。
・「考えてないんじゃなくて」「あえて考えないようにしてるんじゃないかって気がします」防衛機制。
・部屋で水着着てると何かの撮影みたいですよね、ええ。
・「好きな子言い合いっこしようか!」「私先生!」わかりやすい人だなぁ。
・「楽しいなぁー」「漫画描くの楽しいなぁ」漫画も小説も現実逃避でかいてる頃が一番楽しいと言う話はよく聞きます。

・「もう少し可愛く描けなかったのか」「そこですか」親バカにとってはそこがすべて。
・「やっぱどう描いても本人の可愛さには勝てないよなー」自慢だ。自慢してる。
・「公安警察です」「中を改めさせてもらう」新撰組の市中見回りみたいな展開に。
・「タイツかぶってゴルフするか」「ですよねえ」落語か。
・「これで官邸攻撃するつもりだったのか!」アレは官邸が悪い。おかげで方々にとばっちりが。
・「ウチで国家転覆なら」「不二多のとこは世界征服目論む品揃えですよ!」…漫画の参考になりそうだからと目論んでても驚きません。
・「あの先生の仕事場や」BP懐かしいなぁ。
・「全裸写真は見逃してくれたんだ」「そもそも出版してるし!」その昔は出版できたものが今はアウトとかもありますけどね。
・8さい箱から16さい箱まであるということは、7歳頃かなぁ…。
・「だいたい帝国ホテルのパーティでTシャツとか信じられなくない」古くは結婚式で花嫁が春麗の格好するような業界ですから。

・漫画家じゃありませんが100M15秒を切れる自信はありません。
・「美輪明宏にバカにされた三島由紀夫かよ!」そういうところがむしろ精神のひ弱さを露呈してますよね、あの先生。結果、ああいいうことに。
・単行本の帯のあるあるネタは掘り起こし始めるとキリがないくらいありますなぁ。
・「私‥‥アイドル志願なんです」「良かったら」「聞かせてくれないか?」
・BBCクッキングスクールって講師がテリー・ギリアムだったりするんでしょうか。
・なんかどこかで見たようなめんどくさい展開になってる。

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同人誌が委託販売になりました

先日お知らせさせていただきましたアニメ・声優ラジオを紹介する同人誌『声を詠むひと。 声優ラジオのすすめ』がCOMIC ZIN様において委託販売が開始されました。
 通販でも購入可能となっておりまして、そちらのページのサンプルのところには拙稿も掲載していただいております。興味がおありの方はこちらのリンクからお願いします。
 私も主催のレコン・ギス田さんから一部いただきましたが、アニメ・声優ラジオに詳しい方もそうでない方も総じて楽しく読める本に仕上がっていると感じました。
 何卒よろしくお引き回しのほど、お願い申し上げます。

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同人誌に寄稿しました

レコン・ギス田さんという方にお声がけを頂きまして、『声を詠むひと。 声優ラジオのすすめ』というアニメ・声優ラジオを紹介する同人誌に寄稿させていただきました。
 もちろんさよなら絶望放送について書かせていただいたわけですが。

 改めて振り返ってみて痛感するこの番組の化け物っぷり。年末年始の休みを削って久々に絶望放送と真正面から向き合い、その魅力を解きほぐすのに苦心惨憺しました。コンセプトが「声優ラジオを知らない人に、おすすめのラジオを紹介していく」でしたので。


 この同人誌はサークルRecord of the Deadさんによってコミティア115(1月31日(日)の11:00~16:00 東京ビッグサイト東5・6ホール)にて頒布されます。ジャンルはC、スペースNoはV27bとのことです。

 同人誌の詳細やその他の執筆者の方等々についてはレコン・ギス田さんのブログをご参照ください。

 お手に取っていただけましたら幸いです。

 どうかよろしくお願いします。

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謹賀新年

あけましておめでとうございます。本年が皆様方にとって良い年でありますようにお祈り申し上げます。

 昨年は絶望放送関連で更新ができるという望外の喜びがありました。今年も何かそのような良い出来事があることを期待したいところです。

 今のところ小説を書く方でもあまり進捗状況をご報告できるような状態でもありませんが、ぼちぼちとやっていきたいとは思います。

 感想書きたいネタはいくつかあるんですけどねぇ…それやってしまうとそれで満足して小説からますます遠ざかってしまうんですよねぇ。

 なんだか歯切れの悪い文章になってしまいましたが、本年も宜しくお願い致します。

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声優ラジオの時間ゴールデン『【俗・】さよなら絶望放送とは何か?』感想(後半)

相変わらず無駄に長い感想ですみません。お待たせして本当にすみません。

新谷良子 至極の普通

・秀逸なタイトルに感服。

・新谷さんの重みというのは創作物に『読者/視聴者目線キャラ』という存在が重宝がられるところと似ているかも知れません。

・初手から「あんまり覚えてないです」とパンチをかます新谷さんが相変わらずで何よりです。そこに「新谷さんにはそう言われる気がしてました(笑)」と返したインタビュアーさんもよく分かっていますね。

・選ばれた理由は今でも「なんでだろうな?」なんですな。まぁ、野中さんを選ぶ方が妥当というか、多くの人を納得させるだけのものはあったでしょうけれども。そのifは、現在では全くもって想像が出来ません。

・「神谷さんは先輩ですし、どうしていいかわからないですよ」このどうしていいかわからないというスタンス、結局最後までいくらか残っていたようにも思います。あの絶妙な距離感があってこその絶望放送だったかと。

・絶望放送の出鼻を飾った某ドーナツ事件ですが、8年前のことを「未だに申し訳なくて」とおっしゃる新谷さん。自称「あんまり真面目じゃない」とか、謙遜がすぎますよ。まぁ、それでこそ新谷さんなんですけど。

・「あそこまで全力でふざけてくれる大人たちがいなかったら、絶対に何もできてなかった、本当に1クールで終わってたんじゃないかなって思います」同じことを繰り返し書いて大変恐縮ですが、一般的なアニラジフォーマットで作られた絶望放送というのがどうしても想像できません。

・「私は”脊髄反射”で喋るタイプなんです」とは思っておりました。そしてこれまで感想を書きながら新谷さんの脊髄スゲェなぁと思ったことが何度となくあります。

・「私って『すべらない話』ができないんですよ」どっちかと言えば新谷さんは滑り芸の使い手ですよねぇ。しかも名人級の。

・「じゃあ、『南国アイスホッケー部』が好きって言っちゃったし、ちょっとくらい汚れてもいいかなって(笑)」その『ちょっと』がちょっとじゃなくなるのは世の中押し並べて起きがちなんですが、新谷さんの場合は大規模で発生しましたねぇ。振袖火事のエピソードを連想してしまいます。

・新谷さんの人生を変えたと言っても過言じゃない絶望放送ですが、恨み言のひとつふたつ出てもいいところなのにそれをプラスに転化しているあたり流石ですねぇ。

・さしすせソルトは何度聞いても笑えます。そして次に出た「ソイ」も思いがけない不意打ちでした。

・絶望放送における新谷さんの果たした役割は大きかったわけですが、具体的には「バランスをとる」ことを意識したがゆえだったのですね。

・新谷さんのラジオ師匠は田村ゆかりさんでしたか。師匠とは路線が違うようでいて、底流に近いものを感じることもあったりします。

・打ち合わせで内容を聞きすぎたり喋りすぎたりしないように、というのは前出のつ脊髄反射のためだとは思いますが、打ち合わせで寝てたことがあるっていうのは流石にびっくりです。

・オタクのネガティブノリと絶望放送のテイストがマッチングしたというのは大いにあると思います。『◯◯の××が大好きなの!』における大自白大会っぷりなども「ああ、ずっと隠してきたけど、ここではさらけ出せるんだ!」というネガティブゆえの強いエネルギーが爆発していましたね。

・今でこそ肯定的な捉えられ方をするようなケースも増え、間口が随分と広くなってきましたが、それでもまだ「オタクは叩いて平気、むしろ当然」みたいな風潮は残ってますからねぇ。この辺は感想とは別のお話になりますから程々にさせていただきますが、いずれブログででも書いてみようかと思います。

・震災後のイベントについてはやるかやらないか会議の前まで「どっちに決まっても嫌だなあ」だったのが「このメンバーだったらたぶんやったほうがプラスだなっていう思いが出てきて」に変化したというエピソードに、審判者としての新谷さんの秀逸さを感じます。

・絶望放送同窓会は先日Twitter上にも出てましたが、一度こっそり録音して流していただけないものでしょうか。

・言い出しっぺなのに「話すことがない」と黙ってしまう新谷さん萌え。

・「アニメがあるんだったらやりたいです。でも、ないのに同じものを同じチームでと言われたら無理だと思うので」これはもう絶対的な前提条件なんでしょうね。

・持って帰ったさのすけを「真ん中に置くのがシャクなので、隅っこに置いてます」とか言っちゃうのは、経緯が経緯だけに仕方ないかと。いじり方としては『ツンデレですね』なんでしょうけど。

・さのすけ、相方ができたんですね。貴重な写真も載ってます。

・絶望放送を聴いていたのに新谷さんを声優さんだと知らなかった方は、どうやってアニメイトTVにたどり着いたのか…。あと、声優さんでなかったとしたらなんだと思っていたのかがすごく気になります。芸人さんとかだと思われてたんでしょうか。

・初対面の相手に「絶望放送聴いてました」って言われたら、もう何を隠しても無駄すよね。ええ。

・「ラジオって大変ですけど、逆にありがたかったり。アニメの打ち上げで喋れって言われるよりは全然楽ですから」めっちゃ新谷さんらしいお言葉ですけど、こんなこと言う人他にいないんじゃないですかねぇ。それともみなさん意外と内心ではこうなんでしょうか。

・今や新谷さんも後輩を導く立場になられたわけですが。今度はその立場においての難しさがあるわけでして。それでも絶望放送を通じて磨かれた新谷さん流のやり方が、今後新たなラジオの魅力を引き出していってくれることを願ってやみません。

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声優ラジオの時間ゴールデン『【俗・】さよなら絶望放送とは何か?』感想(前半)

再びこのカテゴリーでブログを更新する日がやってきました。そして、いつものことながらだらだら書いていたら分量が多くなりすぎたので2回に分けさせていただきます。すみません。本当にすみません!


 佐藤太×田原弘毅 アニラジ屋の矜持

・このタイトルを見て携帯版を連想したリスナーの挙手を求めます。いないとは言わせません!

・この対談は過去のトレーディングDJCDと内容が重複する部分がありましたので感想も重複するかも知れませんが、もう何年も前のことなのでご容赦ください。…って、今確認したらトレーディングDJCDの感想ってアップしてなかったですね。もう今更ですからやりませんけど。

・「なったらいいなあ」が全て実現した構成T。そりゃ奥様から「あの4年間あなたはおかしかった」って言われますわな。

・それに対して普通に仕事として受けただけな佐藤D。この対比がことごとくプラスに働きつづけていた4年間でしたねぇ。

・「送られてきたメールを今すぐに使わない」これはライブ感を重視する傾向が強いラジオにおいては珍しいやり方だと思います。おかげで何度でも聴けるSZBH仕様に。

・番組終了までに届いた投稿数17万通以上に対して「20万通に行かなかったのがちょっと残念」と述べる構成T。4年でプラス3万通あったら毛根以外にも絶望的なダメージが入っていたのでは…?

・佐藤D、過去に却下された手法を絶望放送にぶち込み、批判にも負けず見事SZBH仕様の一部として昇華させる好プレー。

・生放送アレルギーがあるラジオディレクターって。生魚を扱っていない寿司屋みたいですね。

・今でこそニコ生とかで普通に生放送やってますけど、この頃はWEBラジオで生放送?なんで?どうやって?みたいな時代でした。

・絶望放送の構成台本、3日がかりで書いていたとは…。まぁ、それだけの内容ではありましたね。

・割に合わないことを敢えてやるというのは成功したコンテンツにおいてはしばしば当てはまる現象でして。そもそもが原作であるところの「さよなら絶望先生」自体が明らかに割に合わない労力のかけ方をして作品の魅力を広げていましたね。

・綿密かつ長時間にわたる濃厚な打ち合わせあってこその絶望放送。しかし、ここで初めて明かされたように思いますが、やっぱりアジアさん(諸事情あって拙ブログでは神谷さんのことを敢えてこう表記しております)が台本作成に絡んでいたんですね。テイストと言いますかフレーバーと言いますか、台本に構成T以外の要素を感じる部分が確かにあったんですよね。具体的に「ここ」という指摘をしようと思えばCD全部聞き直さないといけないでしょうけど。

・「全部の引き出しを使ってネタを読む」ぴろし17歳とかいう、この番組さえなければ世に出なかったであろう謎のキャラクター。

・新谷さんを評して「普通の天才」とは実に正鵠を射ていますな。ただ、「無我の境地」はともかく「禅僧」はどうだろうか。

・避けて通れない東日本大震災の話題。そこでも「普通」だった新谷さん。さすがです。

・実際、非日常的な出来事に打ちのめされることってしばしばあるわけです。その時、新谷さんが「我々の帰るべき普通」として君臨していてくれることのありがたさ。絶望放送が終わって4年、いよいよ身にしみます。

・新谷さんの「黙るスキル」。会話に加わらない、でも確かにそこにいる。杉田さんゲスト回で如実に発揮されましたよね。兄とその友人が楽しく遊ぶ姿を見守る妹のようでした…というとちょっと美化しすぎですかね。でも「今回はほっといてもらっていいですか」はなかなか言えないですよ。

・新谷さんをパーソナリティにした決定打が「かってに改蔵のファン」だったのは高橋Pの好判断でした。新谷さんは『ファン代表』的なポジションにも座ることができる貴重な存在になっていたと思っています。

・今思えば絶望放送のフォーマットは第1回で既に完成していたんですねぇ…。バリエーションは豊富でしたけど、あくまで原点は不動でしたからね。

・「毎回が奇跡」というのは感想ブログを書いていた人間には痛切に響くところがございます。毎回苦労したのは量の多さのみで、うわ〜今回は面白いところがないぞ的な苦労はついぞございませんでした。

・ゲストの方々もまぁ、見事というかなんというか…。人間誰しも生きていれば絶望的体験の持ちネタはあるわけでして。それをプロのスキルでご披露なさるわけですから面白くならないわけはないんですが、それでも一種独特の「絶望放送だからこのくらいハッチャケてもいいよね?」オーラがありました。あと、ゲスト回で個人的に一番好きだったのはさおりん、一番ハマったのは杉田さん、一番笑ったのは親方でした。

・常連リスナーを「絶望放送のキャラ」として立たせたのは見事でした。リスナーのファンがつくようにもなったりもしましたし。ここで個人のお名前を挙げるのは控えますが、別のラジオ等で絶望放送当時のテイストで投稿なさっているのを見聞きしますと嬉しくなったりいたします。ええ。ハイ。

・「共犯関係」とは実に言い得て妙。基本、私は感想書きばかりしていて本体には貢献できなかったんですが、この表現はよくわかるつもりです。

・副委員長会議の実態は『あいつらあんな面白いことしやがって。だったらこっちはこうしてやる』という思いを腹に隠して馬鹿話に興じるおっさん達の集いだった模様。

・インタビュアーさんの「違う場所にいる熱いファン達による究極の素人コラボ」は実に言い得て妙。我々の『こういうことをやったら面白いだろうなぁ』がどんどん形になっていく夢のような時間が確実にそこにはありました。

・復活はして欲しいですけど、原作やアニメがあったから面白かった部分というのは確かにあるでしょうし、「復活は四期ありき」「もう1回アニメになる以外ない」というのは分かります。時代を超えた面白さがある一方で天地人揃ってこその面白さというのも存在するわけですし。

・文字屋かつ聴くだけリスナーだった私としては構成Tの「ラジオは言葉だ!」も佐藤Dの「ラジオは音だ!」もどっちも分かるのですが、この二人のスタンスの違い、せめぎ合いが番組に活力を与えていたのだとも思います。どっちかに特化していたら最後までついてこられなかったリスナーもいたかも知れませんし。

・原作最終回のテイストをラジオに生かすのは…、いや、それこそ久米田先生が構成作家でもない限りは不可能でしょう。「アニラジとしては先に終わって正解だった」という言葉は構成作家としての白旗かも知れません。

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