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漫画、アニメその他諸々の感想がメインのブログです。現在は「ここだけの話」シリーズについての感想を中心に運営しております。毎日15時の更新は終了し、現在は再び不定期更新に戻っております。
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疲れやすくはなっているものの寝れば何とか回復するのは広い風呂の効用だろうか、それとも広くて寝心地のいいベッドのおかげだろうか。昨日は本探しでヘトヘトになってしまった上にマッサージを受けそこねたのに朝ちゃんと起きられた。
 
 その上ちゃんと食欲もわいてきたので今朝も盛りだくさんの朝食をしっかりいただけた。バイキングの献立は昨日と同じだったので省略するが、同じメニューでも飽きが来ないというのは重要だと思った。
 
 さて。今日はどうするか。

 本来であれば、お廟行きの計画を実行するにふさわしい日なのだが。

 だがしかし。躊躇せざるを得ないほどに今年の台湾は暑い。熱暑炎暑という言葉がふさわしい状況だ。比較的北に位置する台北市内ですらこうなのだから北回帰線の向こうっかわである高雄市内はさらに暑いだろう。

 妻は身体が弱いのであまり無理をさせたくない。キツい日程になることを説明し、その上で体調を確認したところ「大丈夫」という返答が。

 ならば行くしかない。
 お供え物として関空で調達してきた清酒『玉乃光』と煙草『峰』にいよいよ出番がやって来た。部屋の片隅に固めておいてあったそれらをトートバッグに詰め、暑さ対策の帽子とタオルを持てば出発準備完了。

 地下鉄で台北駅に出て、そこから新幹線に乗る段取り。
 窓口には結構人が並んでいたのだが、クレカで買える券売機はガラガラで、9:54台北発左営11:30着の速達型列車の切符をすんなり購入成功。

 発車まであまり時間が無かったので、道すがらにある便當本舗で飲み物だけ購入してホームへと急ぐ。

 途中台中しか止まらない速達型だけに車内はほぼ満席。ほんとうによく並びで席が取れたものだ。座席についてホッと一息つくと、列車は静かに動き出した。

 もう何度目の乗車になるのかも憶えていないが、相変わらず車内は快適である。日本の新幹線とは姉妹的存在であるのに、乗るたびに明確に違う何かがあるように感じるのだが、それが一体何なのかは未だに答えが出ないままでいる。

 台中で隣に座っていた青年が降りたかと思うと入れ替わりで別の青年が乗ってきた。他の席も同様の状況で、乗車率はかなり高い。

 乗客をいっぱいに詰め込んで、列車は定刻どおり11:30に左営駅到着。ここで我々はMRTに乗り換えて終点近くの高雄国際空港駅で下車する。

 地図によると目指す紅毛港保安宮はひとつ手前の草衙駅が最寄りなのだが、ここからだと徒歩で2キロ近くかかるため極力避けたいルート。そのため、タクシーが確実に捕まるであろうしバスもたくさん走っているという推測のもとに空港から向かうことにしたのである。

 このとき、国内線ターミナルと国際線ターミナルのどちらを選択すべきか少しばかり悩んだ。両方で情報収集出来ればベストだったのかも知れないが、このふたつが結構離れているので行ったり来たりしているうちに体力も時間もどんどん使ってしまう。
 ではどちらにすべきなのか。

 私が出した結論は、国内線ターミナルだった。その決め手となったのは「国内線のほうがあまりメジャーでない場所についても把握しているだろう」という推論だった。
 という訳で早速観光案内所にて紅毛港保安宮についてたずねるが、そもそも国内線ターミナルなので日本語がわかるガイドさんがいなかった。そのため最初はうまく通じず全く別の『旗後天后宮』のほうを案内されてしまう。
 苦心惨憺してどうにか『紅毛港保安宮』であることを分かってもらえたが、先方は知らないようであった。手元のノートパソコンで検索してくれたが、残念ながら出てきた結果は既にこちらが入手している以上のものではなかった。
 それでも精一杯の努力に関しては大いに謝意を表して案内所をあとにする。

 出来れば路線バスを使いたかったが、こうなってはやむを得まい。すぐ目の前に止まっているタクシーを使う他は無い。
 タクシーで行く場合、往路はいいのだが帰りが困る。地元タクシー会社の電話番号を調べても、電話で『今紅毛港保安宮にいるので1台そこまで配車して欲しい』ということを伝えられる自信が無い。
 なので正直背水の陣である。帰りはあまり詳しくないガイドブックの地図だけを頼りに最寄りのMRT駅までたどりつくか、はたまた偶然流しのタクシーを捕まえて再び空港に戻ってくるかくらいしか思いつかない。

 それにしても。こうやって地図を頼りに現地の人もよく分からない場所へ行こうとしていると、新婚旅行の際に日本統治時代の史跡巡りの一環で烏山頭水庫というダムへ行ったときのことを思い出す。
 あの時はその為だけに台南市内の割と大きなホテルに前泊したのだが、この時も行き方を教えてもらおうとコンシェルジュに行ったところやはり『分からない』と言われてしまったのである。
 そこで我々夫婦とコンシェルジュの係の人と3人で地図を見ながらああでもないこうでもないと検討を繰り広げることとなった。
 最終的には『台湾国鉄の隆田という駅が近いようだが、ここからタクシーで行けるか?』『おそらく行けるだろうが、その駅にタクシーがいるかどうかは分からない。少し先の新営ならばほぼ間違いなくいると思う』というやりとりがあって、見事隆田駅からタクシーで到達出来たのは大変良い思い出である。
 ちなみにその際はやはり帰りのタクシーを自力で呼ぶことが出来ず、ダムの管理事務所に助けていただく羽目になった挙句、待っている間お茶までごちそうになってしまった。

 さて、今回はどうなることやら。まずはたどりつくことだが。

 幸いにしてタクシーの運ちゃんに地図と住所を見せたところカーナビで検索してくれて、場所そのものは判明。車は迷う事なく進んで、もうすぐつくかというところでまさかの通行止め。
 しかし、さすがそこはプロ。運ちゃんは諦める事なく迂回してどうにか目的地へたどり着こうとしてくれたが、住宅街の細い道に苦戦する。いくつ目かの角を曲がった時に、豪華絢爛な廟に翻る旭日旗が見えた。間違いない。
「あれだ!」
日本語での反応だったが運ちゃんにはしっかり伝わったようである。
 しかし、アスファルトの舗装工事が我々の行く手を阻んでいた。舗装したてでアッツアツのアスファルトの上を車が走ることは出来ない。まぁ、ここまで来ればいかな灼熱気候でも歩いて行けるので、工事をしている手前で下ろしてもらう。
 靴底が溶けるんじゃないかというくらいに熱冷めやらぬアスファルトの上を飛び跳ねるようにして歩き、どうにか無事紅毛港保安宮に到着した。

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 こちらで神様として祀られているのは旧大日本帝国海軍軍人にして第三十八号哨戒艇艇長。
 艇長が戦死後に地元の人の夢枕に立ち「漁民を護り豊漁を約束する代わりに日本へ帰して欲しい」と希望したのがこのお廟の由来なのだそうだ。信徒の方々は艇長の慰霊のため定期的に沖縄の護国神社や東京の靖国神社に参拝をしておられるそうで、実に何とも頭の下がる思いである。

 そんな由来なので、いささか緊張して神妙な面持ちで中に入ると、管理人の方が笑顔で出迎えてくれた。日本語は通じなかったが、我々が日本人だと分かると身振り手振りで案内してくれた。

 まずは中央の祭壇。これこそがこの地にて『海府大元帥』という神様として艇長を祀った祭壇。ここには一緒に郭府千歳と宗府元帥の2柱の神様も祀られている。

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 この祭壇には月桂冠や赤玉ポートワインなど日本のお酒が多々お供えされている。そこに私が持って来た玉乃光と峰も仲間入りさせていただく。

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 備え付けの線香に火をつけゆっくりと参拝。戦死後もなお海と人を護る神としてこの地に在るということの重みに、胸の内を熱いものが満たす。

 続いては、中央祭壇のその手前にある神輿。なぜ神輿。いや、ここの神様が日本人だから、なのだろうけれども。神様の乗り物だから、神輿を『日本への里帰り用』として用意してあるのだとしたらその周到な配慮に感謝の念が湧く。ただ、手前にある日付が間違っているのはご愛嬌。

 中央祭壇の左がわには『にっぽんぐんかん38』と書かれた神艦が祀られている。こちらはこれ自体がご神体扱いらしいのだが、荘厳な中央の祭壇とはまた別次元に強烈なインパクト。元々は艇長を『日本に帰す』ために“建造”されたものであり、本来は神器ともいうべきものだが、神器がご神体に昇格したようなものでああろうか。

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 中央祭壇同様、こちらにもお供え物が多々あるのだが、ここに艦これグッズであるところの戦艦大和の艦娘イラスト入りお酒が奉納されている。どこの提督かは存じ上げぬが、見上げた志である。



 こちらにも深々と頭を下げる。 

 この神艦、模型とは言え船大工さんに発注した本格派なので実によく出来ている。70年前の哨戒艇がモデルだと言うのにレーダーやミサイルが装備しているのご愛嬌。また、万国旗が満艦飾になっているのだが、先の大戦では敵同士だった日の丸と青天白日旗も仲良く隣同士なのが微笑ましい。

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 日本と台湾のつながりをまたひとつ実感出来て、そして廟内をいっぱいに満たしている善意に触れることが出来て。烏山頭水庫の時にも思ったことだが、蛮勇を振るってでも来て良かった。

「では、帰ります」
と。管理人さんには通じないのだが、どう言っていいか分からなかったので日本語で挨拶をする。
 通じたのか通じてないのか、管理人さんは笑顔ひとつうなずくと、そのままどこかへと姿を消してしまった。
「どうしたんだろう」
「昼時だし、用事があるんじゃないかな?」
まぁ、詮索しても仕方ないので最後に中央祭壇に向かって一礼をし、お廟を出た。
 外は相変わらずの炎暑。雲は出ているのだが、陽射しを和らげるような働きをしてくれている気配はまるでない。お廟の中は割としっかりめに冷房が効いていたので、温度差もあって頭がクラクラする。
「大人(ターレン)!」
ボーッとしていた私に、管理人さんが声をかけてきた。生まれてこの方そんな呼ばれ方をした事が無かったので一瞬自分のことだと分からなかったが。 
 両手に持っているのは冷たいお茶がふたつ。何といっているのかは聞き取れなかったが、差し出されればさすがにこれが何を意味するのかは分かる。
「謝謝!太謝謝!」
これから最悪2キロ近い道のりを歩くかも知れない我々にとっては何よりも心強い援軍だ。繰り返し頭を下げながら、名残を惜しみつつ紅毛港保安宮をあとにした。

 敷き終わったばかりなのでまだアッツアツのアスファルトの上を飛び跳ねるように歩いて、まずは比較的大きな通りである『明鳳三路』に出る。

 先程お廟でもらってきたリーフレットには分かりやすくかかれた地図があり、それを見ながらどっちが草衙駅だろうかとためつすがめつ。左側を見た時に保安宮とは別の大きなお廟が見えた。こちらはどうやら濟天宮というらしい。もしかしてタクシー会社に電話して『濟天宮まで来て!』と言えば来てくれるのだろうか、と考える間もなくその近くにバス停がある事にも気づく。
「バスあるの?」
『紅7』と『69』と書かれた表示の横には電光掲示。これは明らかにあと何分で来る、という表示であろう。69の『小港站』行きのほうが早く来るようなので、これを待つ事にした。

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 先程までの悲愴ですらあった覚悟はどこへやら。相変わらずの刺すような暑さだが15分もすればバスが来ると分かっていればどうという事はない。
 この69系統は国鉄高雄駅からMRT小港駅方面へと結ぶ路線のようだ。わざわざ『方面』と書いたのは、路線図を見ると終点の小港站とは別に『ニ苓國小(捷運小港站)』と書かれたバス停があったため。終点まで行かずここで降りねばならない。乗り過ごすと面倒そうなので気をつけねば。

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 路線図に続いて時刻表を見るとこの69系統は1時間に1~2本程度の運行間隔なので、15分待てば乗れるというのは大変な幸運だ。
 小港行きではなく逆方向の高雄駅行きであればもっとありがたかったが、そこまで望むのは贅沢が過ぎるだろう。
 それに、もし待っている間に反対側にバスが来ればそれに乗ればいいだけのこと。

 そんな話をしているうちに小港站行きはやってきた。

 台北で乗ったバスと同様、電光掲示で次のバス停が表示されるので乗り過ごす心配はなかった。空いていた座席に腰掛け、ホッと安堵のため息。
 気持ちに余裕が出ると車窓を楽しむゆとりも生まれる。観光路線ではなく住宅街をひた走る生活感溢れる眺めだが、見知らぬ土地においては十分楽しめる。

 時間にして20分だろうか30分だろうか。結構な乗車時間を経てようやくニ苓國小(捷運小港站)のバス停に到着。
 バスから降りてもMRTの入口らしきものは見当たらなかった。前後左右を見渡して、一番大きな通りに出る。
 交差点から再び前後左右を確認してみると右手にそれらしき建造物が。おお、あれだあれだと喜び勇んで近づいてみたらそれは入口ではなく冷房用の通風口だったりしたのだが、地下用の通風口があるということはすなわちこの下を地下鉄が走っているという何よりの証拠であり、通風口の少し先には今度こそ小港駅の4番入口があった。ようやくたどり着けた。

 地下に降りて乗車券がわりのトークンを買うに際して、相談がひとつ。

 空港で降りるか、左営駅で降りるか。

 実は今回もうひとつの行き先があった。

 台湾で一番大陸に近い島、金門島。国共内戦最後の戦場。今でも一部が立入禁止区域だったり海岸線に地雷が残っていたりする最前線の島。
 そこに高雄空港から行ける便があるので、高雄から金門島経由で台北というルートで戻る計画だった。
 問題は体力的余裕。最後はバスに助けられたとは言え、心身ともにかなり疲れているのは確かだ。
 金門島に行くなら空港へ、おとなしく台北に帰るなら左営へ。

 夫婦で最終確認をし、大丈夫、それでも行こうということになった。
 ではまず空港まで、とボタンを押したところ、なぜか表示は左営。
「え?」
時既に遅し。トークンは2枚出てきてしまっている。
「払い戻しする?」
「それはしてもいいけど、駅員さんにどうやって説明する?」
等々言い合ったが。
 これは海府大元帥が『おとなしく台北へ戻れ』とおっしゃっているに違いないという結論に至り、トークンはこのまま使用することにした。
「帰ろう、帰ればまた来られる」
これは南方ではなく北方における海の男の名言だが、今我々が置かれた状況はまさにこの言葉のとおりであっだと思う。
 MRTの車内でひと寝入りしたおかげで、左営駅に着いた時には気力体力も随分戻ってきていた。

 となると、人間やはり腹が減ってくるもの。

 いつもなら駅弁を買って車中で食べてもよかったが、今日はゆっくり食べるほうを選んだ。幸い左営駅には三越が隣接しており、中にはレストランもフードコートもあるので選択肢は豊富。

 MRTの改札から地上に出ずそのまま直結で行けるのも何気にありがたい。

 連絡通路を抜けると目の前がいきなりフードコートなので、まずは一周ぐるっとまわって良さそうな店がないかどうかの下見。

 一大勢力が丸亀製麺だったりナゴヤ飯でお馴染みスガキヤが入ってたりと「ま、まぁ日系百貨店だから」としか言い様のない光景であったが、我々の好む夜市飯っぽいお店もあるのでセーフ。
 とりあえずそこを第一候補として、レストランのほうも見てみることに。8階9階には本格中華に日本料理店、イタ飯屋やタイ料理店などが軒を連ねている。どれもそれほど悪くない選択肢ではあったが、せっかくだしフードコートで夜市飯だなぁということになり地下に戻った。
 地下に戻ると丸亀製麺の天ぷらを揚げる香ばしい匂いに一瞬だけ誘惑されたが、わざわざ台湾の、しかも高雄まで来て丸亀製麺というのはさすがにノーだ。もっと長く滞在して日本食に飢えていたら違っただろうが、まだまだそこまでではない。
 『八陽』という海鮮小皿の店で魯肉飯と海鮮野菜スープセットを注文。
 今日どれだけの汗を流したか知れない身体に、スープの塩味が染みる。野菜もスープの旨味を吸って滋味深く、箸が止まらない。
 魯肉飯はもう、安心安定の旨さ。豚肉をしょうゆニンニクベースのダシで煮込んでご飯にかけた、という説明するために自分で書いた字面を見ただけでもう腹が減ってくる。



 この時も気づけばあっという間に平らげてしまったあとだった。最初は足らないかな?とも思ったが食べ終えてみればちゃんと満足出来た。

 あとは『お告げ』に従って粛々と新幹線で台北に戻る。

 ホテルに戻ると峰圃茶荘からの紙袋が届いていた。中を確認し、おまけでもらったマンゴーを冷蔵庫に入れてからぐっすりお昼寝タイム。

 目が覚めた時、外を見るとまだ夕陽はかろうじて空にとどまっていた。

 しかし、起きてはみたもののまだ若干頭がボーッとしている。本当にフットワークが重くなってしまったものだ。

 このあとどうするか、をぐずぐずと決められぬまま時間だけが過ぎていった。

 まぁ、どこへも行かないとしても飯だけは食わねばなるまい。特に昨日はコンビニで簡単に済ませてしまったので今日はちょっと張り込んでもいいかな、という気分になっている。

 鼎泰豊。

 言わずと知れた台湾が世界に誇る小龍包の名店である。これがホテルから徒歩圏内ということもあり、

 結構並んでいる。まぁ、小1時間くらいなら並ぶ覚悟で来ている。まずは順番を取らねば、と受付のお姉さんに近づいていくといきなり
「いらっしゃいませー」
と声をかけられた。
「おふたりさまですか?」「15分から20分くらいお待ちいただきますけどよろしいですか?」
という、淀みなく流れるような日本語に圧倒されつつ無事順番は確保。待っている間にメニューと記入表とを渡され、注文を組み立てていく。
 何と言っても台湾ビールと小龍包は外せない。小龍包も色々種類があるので迷ったが、最後はオーソドックスなのを10個入りで1カゴに決定。あとは空心菜の炒め物、海老と豚肉のチャーハンと肉チマキと割と普通なチョイス。ちょっと少なめなのはお酒を飲むため。

 小龍包そのものは食べる機会がそこそこあるので、『名店』の味やいかにといささか勿体ぶって口にする。
 食べてみると、この店の知名度も混雑もその全てに納得が行く味だった。何をどう表現しても不正確になってしまうというか、はっきりとした輪郭のある味ではないのだが、これがどうにもクセになる味で、ひとつ食べると自然と2つ目に手が伸びる。

 ビールを飲む間もあらばこそ、10個の小龍包はあっという間に消えてなくなった。もう1カゴ頼むかどうか真剣に検討したが、食べきれなくなっても困るのでここはグッとこらえる。
 その他の料理もちゃんと美味かったのだが、正直小龍包に全てが持っていかれていてあまり憶えていない。
 2人で1000元ちょいと台湾の物価を考えれば結構なお値段がしたのだが、次回も必ず来ようという気持ちになるくらいには満足していた。

 幸せな気分で店を出ると、ついつい寄り道をしたくなる。体力が尽きていたはずなのに、飯がうまいということには不思議なパワーがあるものだ。

 昨日行ったのとは別の誠品書店の店舗がちょっと行ったところにあるので、そこへ足を向ける。
 今日はどうしても買わねばというお目当ても特に無いので、のんびりと本を楽しむ。
 画集や写真集などをメインに目の保養をしていると、コミックのコーナーでうっかり『BL POSE』とか書いてある本を見つけてしまう。
 ちゃんと見ていないので断言は控えるが、男性同士が熱いまなざしで見つめ合っている表紙からしておそらく私の推測どおりの本であろう。そんなところまで日本の後追いしているとは思わなかった。
 何だか一気に疲れてしまったので、中にある喫茶店でひとやすみ。台湾ではあまり目にすることがなかったハーブティーがあるので、これを食後の一服にした。

 今日もコンビニで買い出しをしてから宿に戻る。疲労の蓄積を自覚していたので本当はマッサージを受けたかったのだが、それすらも面倒になってしまっていたので省略してしまった。明らかなミスである。

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マッサージの効果か薬膳が効いたのか、それともベッドが良かったおかげか。いずれにしても大変良い目覚め。

 妻の目覚めも悪くなく、朝食を食べる余裕もあった。

 主食となるものは小麦系が食パンにデニッシュ、ワッフルとフレーク各種。米飯系は普通の白いご飯や粥に加え十六穀米もある。あと、これは主食と言って良いかどうか分からないが、ふかしたサツマイモまであった。

 さて副菜だが。
 基本的にはシーザーパークと大きな差は無い。向こうでもやっていた卵のリクエスト調理がここにもあったし、ハムを注文して1枚1枚切ってもらうのも同様。生野菜各種、スクランブルエッグ、ソーセージ、中華風野菜炒め、中華風肉野菜炒め、ハッシュドポテトと豊富だったがスープは味噌汁のみだった。西洋系の方々は困らないのだろうか。 

 デザートはフルーツが5種類に小豆餡を使った餡餅。
 最後に飲み物だが、珈琲とミルクはアイスもホットもあったものの紅茶はホットのみ。また、烏龍茶は存在そのものが無くちょっと残念。他にはクランベリー、グァバ、オレンジの各ジュースと、なぜか『白湯』があった。

 白ご飯をメインにしつつも、おかずは極力野菜を多めに取るように心がける。特に生野菜は台湾で食べ歩きメインな食生活をするとなかなか食べる機会が無いので積極的な摂取を行なう。ちなみに日本ではあまりお目にかからないが台湾のホテル朝食ではお馴染みなアルファルファが実は好物だったりする。

 ドレッシングの種類が豊富なことにも後押しされて割と美味しく平らげ、デザートのフルーツに締めの珈琲までじっくり堪能して部屋へと引き上げた。
 
 さて。本日の予定であるが、今回の旅の主目的のひとつである高雄のお廟行きはとりあえず保留とし、もうひとつの主目的であるお茶その他の買い出しをメインとすることに決定。
 私にとって台北でお茶と言えば峰圃茶荘さんだが、妻が冬の一人旅で見つけてきた迪化街のお茶屋さんが大変良かったので今回はそこにも足を向けることとした。

 ただし。この迪化街というのがなかなかにクセモノで、MRTの駅からもそこそこ遠いし、タクシーで行くにもこのあたりは道幅が狭いので思ったとおりの場所で下ろしてもらえる自信が無い。

 歩くこと自体を忌避する訳ではないのだが、この日の陽射しが暑いを通り越して痛いになりつつあることが懸念の種だった。
 異国の地で熱射病など避けねばならない。少なくとも極力対策を立てて臨まねばならないと考え、資料やら地図やらをあれこれ検討した結果バスで行くことにした。

 迪化街最寄りと思われる南京西路口バス停に行くには206番のバスが良いようであり、それに乗るにはMRT西門駅からが適切と思われた。

 出発前に水分を多めにとり、かつ移動中の飲み物も携帯して部屋を出た。

 西門はホテルの目の前を通っている板南線の駅なので乗換えも無くスムーズに移動完了。
 構内の案内板に従い、5番出口から地上へ出る。
 陽射しはさらに強くなっており、中華鍋で炒りつけられているような気分になりつつ、バス停へ。天母行きという比較的長距離な路線のためかバスはなかなか来なかったが、幸い屋根付きベンチ有り木陰も有りという恵まれた環境だったので、陽射しさえ『当たらなければどうということはない』…は言い過ぎにしてもバスが来るまでの時間をどうにかこうにか耐える事が出来たが、そうでなかったらおそらく手近なタクシーを捕まえて運を天に任せたドライブをするか、もしくはホテルに一時撤退を余儀なくされていただろう。

 空港同様、何台も何台もバスを見送ったあと、ようやく206番のバスがやって来た。車内に満ちる冷気をありがたく全身に浴びながら、悠遊カードをタッチ。
 椅子に腰掛ければ車窓を楽しむ余裕も出る。何度もこの街に来ているのにちゃんと見ることがなかった北門(清朝時代の遺構)もしっかり確認。
 降りるべきバス停もLED表示のおかげで把握出来て、大阪や福岡でバスを使うのとあまり変わらない感覚で無事任務完了。

 さて。バスで北上してきた延平北路を渡ると、もうそこは問屋街。厳密には迪化街ではないらしいが、厳密な区画もないので別に気にせず目的の店へ進む。
 アーケードではないが歩道が屋根付きだったりするのが地味にありがたい。まぁ、歩道を歩けば「おみやげどう?」「からすみあるよ」等々声をかけられたりするわけだが。
 漢方薬やからすみを買うつもりは無かったが、ドライフルーツは好物なので立ち止まって検分。『六安堂参薬行』や『黄永生参薬行』というお店でガンガン試食を勧められ、これがどうにも美味かったのでこちらもガンガンと購入する。毎回購入するパイナップルやマンゴーに加え、今回は試食して美味かったイチゴも追加。
 持って来たトートバッグをドライフルーツでいっぱいにして、再びお茶屋さんを目指す。彰化銀行のところで左折し、西へ少し歩くと目指す茶樂樓がある…のだが、シャッターが閉まっていた。
 年中無休と聞いていたのだが、どうやら臨時休業のようである。昨年冬にこの店を訪れた妻の情報によると店主が唐突に茶畑に出かけたりする可能性もあるらしいので、多分そういうことだろうと判断。
 まさかの事態にやや呆然としたが、そんな悠長なことをしていられないくらいに暑い。近辺を無目的にうろついているだけで倒れそうに暑い。
 体力の消耗を避けるためにも次なる目的地峰圃茶荘さんへとっとと向かうことにする。それこそ立っているだけで干物になりそうな暑さなので移動手段はタクシー一択となる。
 幸いにも5分も経たぬうちに目の前に空車のタクシーが現れてくれたので、素早く手を挙げ、乗り込む。
 峰圃茶荘の名刺を見せると、運ちゃんは大きく2回うなずいて車を発進させた。実になれた感じで10分走るか走らないかのうちに車は店の前に。このあたりの知名度の高さはさすが老舗。
 店内に入ると、店主の蒋老人は先客対応中。次の予定があるでもないので店内商品を確認しつつ待つ事しばし。
 先客の購入が完了し、我々の番が来た。勧められた椅子に座ると、早速好みのお茶の種類をたずねられる。「阿里山の高山烏龍茶をお願いします」と答えると、老人はすかさず茶葉を茶器に投じ、試飲用の一杯を用意してくださった。
 まぁ、ここのお店の試飲は一般的な日本語で言うところの『歓待』なのだが。
「ゆっくり、香りを楽しみ、ワインのように味わって飲んでみて下さい」
とのお言葉だったが、すっかり暑熱にやられてしまった私は我慢が足らずあっという間にカラにしてしまい「早すぎますよ。もったいない」とご指摘を受ける羽目に。 

 2杯目からは喉も潤い、ゆっくりゆっくりと香りも味も楽しみながら飲むことが出来た。
 口から鼻に抜ける甘さすら含んだ芳醇な香りは阿里山烏龍茶ならではのもの。嗚呼、嗚呼。これだ。これを求めて、これが欲しくて、我々は毎年毎年この国を訪れているのだ。

「これでお願いします」

というと、購入希望品を記入するA4両面の発注シートを手渡される。ちなみに勿論表記は日本語。これに記入している間に、空になった茶碗が再び琥珀色の液体で満たされる。

 お茶は自分たちで飲む分にお土産として送る分を含めるとかなりな量になり、そこに台湾島の形をしたパイナップルケーキと舞茸チップスも同じく自宅用お土産用に大量確保したら、総計で大きな紙袋2つ分になってしまった。
 また今年もやってしまいましたなぁ、と夫婦で顔を見合わせて苦笑いしていたら老人から「ホテルまでお荷物をお届けします」とのお言葉を頂戴する。
 
 実はこのあと、ここの近所にある『光南大批發』という日本で言うヨドバシソフマップ的なチェーン店で時計のバンド交換をするつもりだったので一も二もなくお願いする。
 ではこれにて、と挨拶をしかけたところで老人は
「マンゴーもおつけしておきます。ホテルで食べてください」
と言い、孫におやつをあげるかのような表情を見せた。

 さて。身軽な状態で光南大批發を目指す。道すがらに昨日食べ損ねた胡椒餅のお店があるので、妻のご要望に従いこちらで一息つくことに。


 灼熱の昼日中に食べる胡椒餅もなかなか乙なものだが、夜市で大行列が出来ていたもうひとつの理由を身を以て理解出来た気がする。

 小腹を満たし、イザ!バンド交換と意気込んでお店に入ったものの。目当てのバンドが見当たらない。正直もう体力ゲージが限界に近かったこともあり、素直に白旗を掲げて店員さんに聞いてみる。咄嗟なのと疲れていたのとで、口をついて出たのは怪しい英語。
このとき「I want to change this watch band」かなにか言ったと思う。もっとカタコトだったかも知れない。ともかく、これで通じた。
 通じたのは良かったのだが、在庫が無いので取り寄せになるとの返答。実は手元にはバンドの切れた腕時計が2つあったのだが、もうひとつのほうも在庫切れだそうで、万事休す。
 確認してみれば前にバンド交換したのが2009年。もう5年も前のことだ。在庫が無いのもムベなるかな、である。
 ここでもうひとつ別の腕時計を買っても良かったのだが、もう何かを選択する余力が無かった。くらくらする頭をどうにかなだめて、台北駅にたどり着く。直射日光を浴びなくなった途端に少し楽になったのだから、やはり南国の太陽というのは舐めてはいけない。ここ数年適度にスコールと遭遇してきたりして心身に優しい状況が続いていたので、すっかり慢心していたようだ。

 しかし今宿に帰ってしまうと昼食を食いっぱぐれる。貴重な台湾での一食を棒にふるのはいかにも勿体ない。そう思ってフードコートで牛肉麺など食べてみたのだが、半分しか入らなかった。やはり体調の悪い時に欲をかいて無理をするとロクなことが無い。

 せっかく台北駅に来たのに構内にある鉄道グッズ屋に立ち寄る根性も無くMRT乗り場に急ぐ。
 國父紀念館駅で下車し地上に戻ると、再び目眩が襲ってきた。逃げ込むようにホテルに戻り自室で横になる。
 目が覚めた時、時計は17時を少しまわっていた。窓越しに感じられる陽射しは依然として強かったが、体調が回復したおかげで出かけようという気持ちも復活していた。
 それにしても夫婦というのは面白いもので、私が目覚めてしばらくすると妻も起きだしてきた。

 自然、さぁて、このあとどこへ行くベエかという話になる。
体力が回復したとは言え万全ではないし、明日以降のことを考えると無理は出来ない。
 こういう時、答えはひとつ。本屋、である。
 台湾におけるジュンク堂的存在である誠品書店。ホテルからMRTでひと駅隣の市政府駅の裏手にはその誠品書店があるのだ。
 中にはレストランもあったりするので、夕食もすませられる。ちなみに誠品のとなりは阪急百貨店なので、そこでも夕食可…というかそこで夕食をとるのが普通の選択なのだろうが、ここは日系百貨店ということで日本でお馴染みすぎるお店が多々入っている。さすがに台湾に来てまで『ぼてじゅう』だの『さと』だのはちょっとためらわれる。
 まぁ、何にせよ誠品で本を買ってから、その時の気分に合わせて店を選ぼうという結論に至った。
 買い置きのパパイヤミルクで水分補給をして外へと出る。
 夕暮れ時、風こそ凪いでいるものの昼間と比べたら歩きやすさは雲泥の差。MRTでひと駅なら歩いたほうが早いと、てくてく進む。エアコンで冷やされた身体には多少の熱気がむしろ心地いい。一日中このくらいの気温気候であればもっとあちこち出歩けるのだが。
 昼間と違い心身ともに余裕がある状態なので市政府駅や阪急百貨店が見えてきた時には「え?もう?」という感じだった。

 市政府駅はMRTの駅であると同時にバスターミナルでもあり、ここから方々へ高速バスが旅立っている。それこそ桃園空港や港町基隆へもここから出発できる。台湾ではあまり見かけないコインロッカーも少ないながら備え付けられている。コンビニやフードショップもある。

「帰りはここから空港へ向かってもいいな」なんてことを話しながら、入ってきたのと反対側へ抜けると目の前が誠品書店のビルだ。

 目当てのものはあるが、まずは最上階のオーディオコーナーへ。以前の旅行記でも書いたとおり日本と台湾ではDVDはダメだがCDとブルーレイは共通規格なので買っても問題無い。
 何か掘り出し物でもあれば、とうろついてみるが今イチピンと来なかったので本売り場へと降りる。

 ちなみにこの時私が探していたのは『日本皇族的台湾行旅』という本。その名のとおり台湾が日本だった時代にこの地を訪れた皇族の旅についての本である。こういう台湾ならではの本は是が非でも押さえておきたい。おカタい内容だが冊数は出ているらしいのでこのクラスの本屋なら簡単に見つかるだろうと思っていたのだが。
 これが、見当たらない。まず新刊コーナーにない。アレッと思い歴史コーナーや台湾コーナーを探るも見当たらない。見落としてしまったのか、それとも売り切れてしまったのだろうか。判然としないまま置いてありそうな場所をぐるぐるまわり続ける。溶けてバターになるくらい歩き回っても見つからない。

 iPadをベースにした在庫検索機があったのだが、キーボードが発音記号式でなかなか思うように字を変換出来ない。どうにかこうにか『日本』だけは変換できたのでとりあえずそれで検索してみると無数に情報が出てきて手に負えない。
 途方に暮れつつあれこれボタンをいじってみると日本語変換設定が出てきた。何でこんな機能がついているのかとか悩みだしたらキリがないのでとりあえず検索。その結果によると、ちゃんと歴史コーナーの棚に在庫はあるとのこと。
 しかし、やはり無いものは無いのである。
 きっと最後の1冊が売れてしまったのだろう、とついに諦めて帰ろうとエスカレーターに乗ったところ、1つ下の階も本売り場であることに気づく。ただ、本以外のものも半分くらいのスペースを占めているのでそんなに期待は出来ない。

 まぁ、それでも見るくらいなら、と新刊コーナーに足を運んでみたところあっさり発見。
「上から見てまわったのが敗因だったか」
と今さら嘆いてみても仕方ないので、平積みになっている本をレジに持っていって無事任務完了。
 本来なら翻訳された日本漫画購入とか色々目論んでいたのだが、心身ともに疲れてしまったので今回はこれにて撤退。
 夕飯をどうしようか、という話もあまり盛り上がらず、結局帰りのコンビニでカップメンやらおにぎりやらを買ってホテルですませることにした。この時買った鯖のおにぎりやらカップメンやらが結構旨かったので全く悔いはなかったが。

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夏がやって来た。世間ではどうあれ、我が家においては台湾旅行の季節である。今年はちょっと長めに休みがとれたため、4泊5日の日程にしてみた。

 ただ、この4泊5日というのがクセモノで。旅行会社のプランというのは基本的に3泊4日までで、4泊するとなるとオプションプランになる。予算的におさまる安いツアーだと延泊不可であったり、また延泊可なものは予算を大幅に超過していたりする。
 散々検討した結果、ネット販売で往復航空券とホテル予約のみを押さえることにした。いつものシーザーパークを諦め、価格とランクをにらめっこすること数時間。航空会社は中華航空(チャイナエアライン)、ホテルは國聯大飯店(ユナイテッドホテル)で決定。

 当日9時に我が家を出発し、幸いなことに渋滞に悩まされることも暴走車に怯えることも無く、10時半前には無事関空到着。駐車場は3階が満車、4階もほぼいっぱいだったが、なんとか駐車スペースも見つかり、荷下ろしもスムーズにいった。

 いつもならまずチェックインなのだが、まだ時間がだいぶ早かったので、先にたこ昌でちょっと遅めの朝ごはん。台湾でもたこ焼きが食べられるご時世ではあるが、明石焼はさすがに見たことが無いのでここで食べておく。…うっかりこんな事を書いたらそのうち食べられるようになったりするかも知れないのがあの国の恐ろしいところなのだが。
 
 食べ終えるとガラガラのチェックインカウンターで手続きを済ませ、荷物を託す。

 ちょっとばかり時間に余裕が出来たのを幸い、本屋をさまようことしばし。妻は探している本があるようなのだが、どうにもお目当てのものがなかなか見つからないようなので、先にATMで両替用の現金を引き出しておく。

 結局探せど探せど目当ての本は見つからず。予定時間を過ぎてしまったので若干慌て気味にドタドタと手荷物検査場へと向かった。

 平日にも関わらず検査場の入口にはかなりな行列が。一瞬だけやばいかな?と思ったものの、列は思いのほかスムーズに流れてくれて事なきを得る。その先の出国審査もそこそこ混雑していたが、こちらは指紋認証登録をしてあるおかげで専用ゲートを並ばずにパス出来た。
 予定していた有料ラウンジでくつろぐというのは却下になったが、それでも何度か脳裏によぎった『荷物抱えて通路を全力疾走』はしなくてすんだ。

 わずかに残された時間を使って免税店へ向かう。と言ってもブランド品をどうこう、というのではない。今回、日本に大変ゆかりが深いとあるお廟を訪れる予定だったので、そこに奉納する煙草とお酒をここで購入。

 大きく『KIX』と書かれた紙袋をぶら下げ、込み合うモノレールに乗って搭乗ゲートへ。ここまでくれば一安心。
 あとはもう案内が開始されるのを待つばかりなのだが、その案内が始まらない。なんでも桃園空港の滑走路整備の関係で折り返し便の出発が遅れているとか。なんとも焦った甲斐の無い話だ。
 さすがに何時間も待たされるということはなく、ちょっとばかりの待ち時間で搭乗開始となる。
 エコノミーなので狭い機内ではあったが、美味しい食事というのは素晴らしいもので、機内の印象は食事待ち時間→食事時間→食後の時間という感じになっている。珍しくビールなど飲んでしまったこともあってか、苦痛を憶えることも無く2時間ちょっとの旅は瞬く間に過ぎて、気づけばもう台湾上空。

 先述のとおり今回は旅行社のフリーツアーではなく航空券とホテル予約オンリーの旅路なので、当然空港からホテルまでの交通手段も現地手配。手間はかかるが、次の予定に追い立てられて焦る、という煩わしさから解放されるのはありがたい。

 飛行機に預けた手荷物がなかなか出てこなくてもイライラせずに済んだ。この時間を交代でトイレに行ったり両替を済ませたりと、積極的に活用する方向で動けたのも、荷物を回収したら即合流という動きから外れていればこそ。

 ちなみにこの時両替した5万円はレート0.287で14,350台湾ドル(以下元と表記)、1円=3.484元の換算だ。ここに手数料が30元引かれて14,320元が手元にやってきた。

 物価の安い台湾においてはちょっと多すぎ、くらいの金額なのだがこれが後々すっかり足らなくなって慌てる羽目になろうとは思いもよらなかった。

 荷物のピックアップと両替が済んだら、あとはバスのチケットを押さえて発車までの時間に一服休憩する段取り。
 事前調査にて泊まるホテルの目の前で下ろしてくれるバスがあることは把握していたので、そのバスのチケット売り場を確認してに並ぶ。並んでいる時に簡体字を使いこなす女性に自然体で割り込まれたりしつつも無事購入成功。
 ただ、発車が15分後なので空港内の喫茶店でくつろぐプランは無しになった。代わりに自販機で無糖のお茶を購入し、熱風渦巻く外気の中へ。



 バス乗り場は国光客運やら長栄客運やら、我々が乗る目当て以外のバスがひっきりなしに出たり入ったりして熱気をさらに追加してくる。
 何台も見送ったあとにようやく松山機場行き5502系統の建明客運バスがやって来た。

 運転手さんにチケットを見せてスーツケースを預け、ようやく車内へ。2階に上がると最前列が空いていたのでそこに陣取り、まずは水分補給。

 空席が目立つ状態で発車。空港最寄りのホテルにだけ停車すると、あとは一路台北市内を目指して爆音を響かせた。

 建設中だった追加の高速道路が開通し、いつもより遥かに高い場所をバスが走っている。おかげで見慣れたはずの車窓が実に新鮮に映った。渋滞もなく、おかげで居眠りする間もあらばこそ、気がつくともう淡水河が見えてきた。ここから先が台北市。計った訳ではないので概算だが、いつもより10分程度の時間短縮だろうか。
 中華宮殿様式で有名な圓山大飯店が見えたらバスはいよいよ市街地へ。行天宮のところで高速から一般道へと降りて、まずMRT忠孝復興駅前で停車。結構な人数が下車。荷下ろしもあってちょっと時間がかかるのはお互い様。
 次のMRT國父紀念館駅前で我々も下車する。バスが止まったのは生憎と車道を挟んだ反対側だったが、それでもホテルが目の前なのは変わりなく便利この上ない。バスの運ちゃんは荷下ろししながらあれがホテルだ、分かるか?というようなことを指差ししながら教えてくれた。
 「明白了、謝謝!」と頭を下げてから横断歩道を渡る。我々に似つかわしくないオシャレな外観にちょっと戸惑いつつ、今回の根城である國聯大飯店(ユナイテッドホテル)へ。
 フロントでホテルバウチャーを見せたところ、以後は全て日本語で対応してくれた。チェックイン時に保証金がいることを知らされていささか慌てる。ちなみに1日1000台湾元、4泊で4000台湾元と長く泊まるおかげで結構な額になってしまった。多めに両替をしておいて本当に良かった。
 手続きが無事終わるとカードキーが渡される。この時、空いていたので無償でグレードアップしてくれた旨を告げられる。初めて使う、しかもかなり格安料金で予約を押さえた客であるのにこの気遣い。本当に嬉しい。
 アップグレードしてもらった部屋は、扉を開けると居心地の良さが一目で分かった。中華と西洋が程よく調和した家具調度の品の良さもさることながら、ベッドの寝心地が良いことや風呂が広いことなどもありがたい。



 風呂に関しては独立したシャワーブースがあったことも特筆しておこう。私のようにどんくさい人間にはこれが大変重宝した。

 寝心地のいいベッドで一休みし、体力気力を回復させてからようやくお出かけタイム。

 ホテルから車道を挟んだ向こう側、ちょうど空港からのバスを降りたあたりはドーム球場が建設中であるが、そのさらに向こうには松山文創園區なるギャラリースペースがありそこでは演劇上演やアート作品の展示などが行なわれている。この日は偶然にもガンプラエクスポ台北なるイベントが催されているらしいので、覗いてみることにした。
 道すがら、ホテルの至近にコンビニやスーパーがあることを確認しつつ歩くこと10分。目の前に思いっきり『GANPLA EXPO』の看板が。



 しかし、大通り側は出口専用で入ることはできないそうなので、公園の中を通って入口側へ。歩いてみて分かったのだが、ここはどうにも本来オシャレ空間であるべき場所っぽいのだが、違和感なくガンプライベントが溶け込んでいるのは良いのか悪いのか。
 中に入ると、展示は初代から最新かつ未放送のGのレコンギスタまで大変充実している。ただ、展示資材をどこから持って来たのか分からないが『テレビ朝日系 金曜ごご5:00から放送』とか明らかに放送当時のポスターまんまなのが気になった。



 見れば『NO PHOTO』の表記も無くどうやら写真撮影フリーなようで、スマホを向けてバシャバシャやっている人々に混ざって我々も熱心に画像を確保する。

 歴代放送分の公式的展示のあとは、創作意欲が溢れまくった工夫プラモの数々がずらりと並んでいた。個人的にはウーロン茶のペットボトルを背中に背負ったセブンイレブン仕様に最もハートを射抜かれた。売り物だったら間違いなく購入不可避な逸品だった。



 展示会場には蕎麦屋の手打ちブースよろしくモデラーの方がリアルタイムで製作に勤しんでおられたり、『ガノタに日本も台湾も無い』と言わんばかりの雰囲気。
 展示の先は物販コーナーになっていて、日本直輸入の各種ガンプラから「こんなの日本で見たことねぇぞ!?」と慌てふためくような謎グッズまで所狭しと積み上げられていた。
 Tシャツ類はかさばらないし、1枚くらい買ってもいいかと思ったものの、こういうのは買うだけ買って満足してしまい実際にはコレクションとしてタンスの肥やしになるだけなのでグッと我慢。手ぶらで会場を後にした。
 初手からハードパンチを食らった感があるが、特に動揺も無くMRTの入口まで戻る。

 國父紀念館駅から板南線で南港方面に2駅の永春駅で下車。5番出口から上がると忠孝東路五段に出るので、そのまままっすぐ交差点まで歩き、交差点を左折して松山路へ。そこから歩いて5分ほどすると目指す沐錦堂足體養生會館が見えてくる。
 ここは台湾の代名詞のひとつである足ツボマッサージの数ある名店のひとつ。以前、この店は光華デジタル新天地の近くにあり、その時は買物ついでによく立ち寄ったのだが、現在のこの場所に移転してからは縁遠くなってしまっていた。今回はホテルから近いこともあって久々に行ってみることにした。

 足ツボと半身マッサージをあわせ技にしたセットで計70分。まずズボンをマッサージ用半ズボンに履き替え、足湯につかる。
 足がほぐれたところで専用の椅子に座ってマッサージ開始。痛みを訴えたりするどころか、5分もするとすっかり眠り込んでしまうくらいなので、移転しても腕は相変わらずのようだ。

 心地よい眠りから覚めると、二階に上がってベッドに横になる。こちらでもあっという間に寝こけてしまいマッサージ中の記憶がほとんど無いのだが、終了後は全身がすこぶる軽かったことからも効き目は歴然。

 礼を述べて店をあとにし、次なる目的地饒河街夜市を目指す。ちょっと歩くと服飾問屋街の『五分埔服飾特区』があり、その先が台湾国鉄松山駅。そこから夜市までは目と鼻の先だ。
 ここの名物は胡椒餅なのだが、狭い夜市にひしめくような行列を見て早々に諦める。というか、夜市に来た主目的である夕飯としては物足りないし、そもそもこの店は支店が台北駅近くに出ているのでそれほど無理をする必要も無かったりする。
 気を取り直して、夕飯リサーチ開始。込み合う夜市を歩いて気づいたのが、先程見かけた五分埔服飾特区の影響かファッション関係の店が増え、代わりに食べ物の店が減っているということ。その中でも、疲労回復に効果があって大変重宝した四神湯という薬膳料理を出してくれるお店は今回目当てのひとつであり、別のお店になっていたのを確認したときの落胆は大きかった。
 端から端まで歩いてもピンと来る店が無く、士林の夜市まで移動しようかとも思ったが、歩いた道の反対側に何かあるかも知れないと、手近にあった猪ソーセージで小腹を満たしてもう一度チャレンジ。
 行けども行けども見つかるのはかき氷とかたこ焼きとか関東煮(おでん)とかクレープとかカットフルーツとか、どれも夕飯にはしづらいものばかり。
 半分以上を過ぎてダメならこのまま松山駅に出て電車で移動しようと思っていたところに出会ったのが『圍爐』という薬膳料理の店。

 煮込んだスープから漂う香りとほどほどに込み合った店内が決め手となって席に着く。迷うほどのメニュー数もないのだが、それなりに迷ってから魯肉飯の大をひとつと中をひとつ、それに羊肉のスープと骨付き豚肉のスープをひとつずつ注文する。
 相変わらず台湾で食べる羊肉はクセも臭みも極限まで押さえ込まれていて、実に食べやすい。しかし本領はスープ。何味と言っていいのか、私の乏しい語彙では出てこないのが非常に惜しい。塩っぱくも辛くも苦くもない。強いて言うなら羊肉の旨味が溶け出した味、であろうか。プラスチック製のレンゲでグイグイ飲めてしまう。
 さらには店の一角に置かれた3種の調味料が味に変化を与えてくれるので、飽きが来ない。ひとりあたり二品だったが、魯肉飯を大にしたおかげでボリューム的にも不足無く、質量共に満足して夕食完了。

 あとは大通りへ出てタクシーを捕まえ、ホテルへと戻りこの日は無事終了。

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さきほどチェックインしまして。無事お部屋でくつろいでおります。
 今回は旅行会社差し向けのホテル行きバスでなく普通のリムジンバスでここまで来たので、道中の休憩時間で目を見張るようなラッピングバスに遭遇したりはしませんでした。
 ただ、いつもと違うホテルなので試しにテレビつけたら普通にアニマックスが見られる環境なことが判明しまして。ちなみに今は『変態王子と笑わない猫(台湾名:變態王子與不笑猫)』やってます。あと、別のチャンネルでこち亀やってまして。
 どちらも吹替版かつ字幕付きです。

 あんまり堪能しすぎているとホテルから出なくなるので気をつけます。

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ただいま台湾の気温は32度。京都と同じか若干涼しいくらいですね。

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今年も例年どおり出国前から色々ありましたが、どうか今年も良き旅行となりますように。

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半年以上のご無沙汰でございます。

 今年も台湾旅行に参りますゆえ、こちらにてお知らせさせていただきます。

 日程は7/16〜20の4泊5日です。今回もリアルタイムのご報告などしつつ、こちらのブログに旅行記をアップさせていただく予定ですが、今回どこまでここ向けのネタが拾えるか不明でして、もしかするとあまり読むところの無いものになってしまうかもしれません。

 そもそもとして、ここしばらくちゃんと文章を書いていないのでちゃんと書きあがるかどうか、という不安がございますが。

 ともあれ、行ってまいります。

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あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

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 今年も間もなく終わろうとしている訳ですが、年の瀬と言えば毎年吉例、蝉丸Pの除夜動画でございますな。
 ちょっと早いですが既にアップされておりますのでこちらでもご紹介させていただきましょう。


「ら♪ら♪ら♪曼荼ぁ羅んど」

除夜m@s'13 お願い!シッダルタ
 ありがたやありがたや。

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久々にこのカテゴリで書かせていただきます。ただし、今回取り上げるのは平成ではなく昭和のアニメですが。
 と、いうのもですね。ついうっかり、標題のこの番組がサンテレビで再放送しているのを発見してしまったんです。
 絶望のあまり『いいのか?放映当時ですら阿鼻叫喚だったんだぞ』的なつぶやきをしましたところ反応してくださった方がおられまして。
 そこから色々思い出すことがあったりしましたので文章としてまとめてみました。
 この作品の本放送は1976(昭和51)年10月3日からということなので、資料を調べて初めて自分(昭和50年生まれ)が再放送組だったことを知ったんですが、その割にみんな見てましたなぁ。再放送なのにテレ東のゴールデンでやってたおかげでしょうか。ゴールデンでアニメの再放送とか、今はさすがにテレ東でもやらないことですが、今に通ずるルーツのようなものを感じますね。

 また、本作は全50話なので約1年間かけて放映されていたことになりますが、これは当時としてはそれほど珍しいことではありませんでした。ただ、今回この全50話というのが実に大きな意味を持ちます。

 不思議な世界の魔王ベルトサタンが己の魔力を取り戻して再び君臨するために主人公ポールのガールフレンドのニーナをさらうのですが、その事実をニーナの家族を初め街の人々が誰1人として信じてくれないという強烈な鬱展開が当時の子供の心を痛撃しました。
 まぁ、リアルな思考とすれば当然なんですが、子供向けアニメでやることとしてはどうなんでしょうか。しかも荒唐無稽な設定が叩かれるような時代でもなかったというのに。

 ほのぼのしたオープニングソングから地獄の鬱展開。しかも、オープニングの歌詞である程度示唆されているというのが、もういけません。「大人は誰も信じちゃくれない」という文言はこの手のお話の歌詞にありがちなんですが、先述のとおりニーナの両親を初めとして、全ての大人がこの歌詞そのまんまの行動をとりまして。

 なにしろニーナの行方を現実世界で探している刑事さんに不思議な世界の話をしては「捜査の邪魔をするな!」と怒鳴り散らされる始末でして。

 結構冒険部分は活劇としてもドラマとしてもよく出来ていて、ベルトサタンの『魔王』の名に恥じぬ悪逆ぶりと、それに怯えつつも自尊心を失わずポールやニーナのために比喩でなく命懸けで便宜を図ってくれたりする不思議な世界の住人達の生き様に胸を打たれたりもしたものですが。
 そのメインのはずの部分よりも、ポールが酷い目にあうシーンばかり憶えているのはやはり子供心に人と人が分かり合えない辛さが一番深く刻まれてしまったからだと思います。

 さて。以下お話する内容は、重要なネタバレを含みますのでこれから新規に視聴される方はお読みにならないようにお願いをいたします。

    以下ネタバレゾーン

 と。大仰な注意書きを終えたところで一番書きたかったことを書かせていただきますと。

 このお話、資料によれば本来は最終話にポールがニーナを救い出して大団円というのが当初の予定だったようですが(オープニングソングからもその辺は明らか)、なんと半分にも到達しない17話で救出されてしまうんですね。その後はポールとニーナがコンビでベルトサタンに立ち向かうという、どっちかと言うとタイムボカンシリーズっぽい路線に変化します。

 ここから先は私の完全な邪推ですが、阿鼻叫喚した全国の子供達の声を親達がテレビ局やタツノコプロ等制作サイドに届けたがゆえの路線変更だったのではないかと思う次第です。
 私の記憶でも確かに途中でニーナが助け出されて、以後コンビでベルトサタンと戦うという展開に憶えはありましたが、それは17話よりももっと後だと思っていました。それだけポールが周囲から糾弾され爪弾きにされる展開が辛かったということなのでしょう。

 そんなに辛かったにも関わらず毎週欠かさず見ておりました。テレビ画面(当時はまだブラウン管)に向かって憤慨したり悲嘆したりする私を見かねた母親からは『そんなにまでして見なきゃいけないの?見なきゃいいんじゃないの?』と諭されたりもしましたが、どうしても見ることをやめられなかったのです。それどころか母親に対して「なんてヒドいことを言うんだ」と逆恨みに近い心情を抱いたものです。
 そんな胸を抉られるようなドラマにこそ、人を引きつける魅力があるのだと今となっては分かるのですが。むしろ、自分が文章を書くにあたってはそのくらいのものを書けるようにならねば、とすら思うのですが。なかなかこの辺も思うようにはなりません。

       以上ネタバレゾーン

 以上、重大なネタバレを含む部分でした。

 最後に。あの頃のタツノコは結構な頻度で油断ならないトラウマアニメを送り出してくるので(ガッチャマンFとか)、今後視聴なさる方々もくれぐれもお気をつけ下さい。




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今さらですが非公開に変更
趣味:
読書、創作活動(文章のみ)、野球観戦、旅行、食べ歩き
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四十路オタです。そんな年齢なので言う事やる事古くさくてすいません。
艦これ提督ですがリポートをここにあげたりとかいう事はしておりません。攻略記事を書けるほど上手でもないので。
一次創作及び二次創作に関してはpixivで発表しております。興味をお持ちいただいた方は上部のリンクからお願いいたします。
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